左隣のジンクス
OK
春(1)
君に出会ってから、僕は自分のことが大嫌いになった。
その瞬間、君に恋なんてしていなかったと、はっきりと言える。
それでも、出会いたくなんてなかったとはちっとも思えないんだ。
僕が彼女に出会ったのは、大学のサークルで新入生歓迎会の飲み会の席だった。
彼女は明るく人当たりも良くて、僕らの同期の中でも「当たり」と言われるくらいに可愛かった。だから先輩達に絡まれていた。まあ、その絡んでいた先輩というのが僕なんだけど、恥ずかしいから先輩達ということにしておいてほしい。彼女もそこまで覚えていないだろう。忘れていてくださいね。
僕も彼女も賑やかな人の輪の中にいるようなタイプだった。
サークルの中には、騒がしいやつも、人の輪に入れてないやつも、静かに飲んでるやつもいた。多分あいつは羨ましそうにこっち見てるなとか、さりげなく彼女のことをチラチラ見てるやつがいるなとか、卑しくも察してしまった僕は、酔っ払ったフリをして同級生の女の子と話していた彼女に声をかけて新入生女子グループと写真を撮らせてもらう。イエーイという掛け声とともに全員バッチリ写ってくれた。
「あ、ぶれてた」
「先輩、もう一枚」
「イエーイ」
みんなでもう一枚撮りましょうと声をかけてきた彼女の肩をつかみ、ツーショットを撮影すると周囲から笑いが上がる。もう酔っ払ってるんですか?と笑って言う彼女に、こちらも笑ってごまかすことにした。
「ここ、空いてる?」
まだ、ほとんどがいつもの集まりで固まっている。せっかくなので新入生を歓迎しましょうかと強引に入っていった先で、にぎやかな女子の輪はすぐに僕を受け入れてくれた。
もともと親交の場なんだし、あとから陰口のひとつやふたつ叩かれるかもしれないがいいとしよう。人間そんなもんだ。
とりあえず、みんなで写真を撮っておく。別に自分を撮りたいわけではない、新歓の様子が必要になった時に後々困るのだ。割って入った僕に最初に声をかけたのは彼女だった。
「えっと、大井先輩ですよね」
さっき一度したきりの自己紹介を覚えていたとは。彼女の発言のおかげで、なんとなくもたついていた空気が動き出したように感じる。機を狙っていたとばかりに、僕の向いに座っていた明るい茶髪を丁寧に巻いた女の子が話しかけてきた。
「大井先輩はバンド組んでるんですか?」
僕が思うに、名前を呼ぶという行為は人と人との距離をかなり近づけるものだと思う。あの、ええと、それがなくなるだけで、明るく溌剌とした印象になるのだから不思議なものだ。
僕の所属する学内の軽音楽サークルはサークル内でバンドを組んで活動している。他のサークルの事を知らないけれど、比較的人数が多いのは年に一度あるライブの運営もサークル内で行っているためだ。僕はそちら側の、スタッフ側の人間だった。そんなことを話しているうちに、テーブルに僕一人だった男の人口が増えていた。
「なんせこいつは楽器ができないんだ」
「大井先輩ならビジュアルで十分映えそう」
「その手は無くはないんだが、毎年スタッフでモテてるんだよなあ」
「楽器ができないならボーカルって言う手はありますよね」
「歌はやめておきたいなあ」
僕がそれだけ発言したので、楽器が出来ない上に音痴なのだという話になりつつある。そういうことにしておこう。僕にはスタッフに注力する理由があるにはあるのだが、それは熱く語るようなものではない。
そんな会話を聞きながら周囲に目をやると、大体どこのテーブルもほどほどに盛り上がっているようだった。僕は、変わらず右側にいる彼女を横目に見た。楽しそうに話を聞きながら、周囲を見渡して、空いたグラスを集め「飲み物頼むけどいる人~」と声をかけている。
みんなそれぞれ、楽しそうで、なによりだ。
僕の趣味の一つに写真がある。撮る方だ。撮られるのも嫌いではないけど、作品としてなら撮る方に興味がある。大学の構内で写真を撮っていたら声をかけられた。
「ねえ、先輩ですよね」
声がした方へ振り返る。
「あれ、覚えてますか?サークルの新歓で隣に座ってたんですけど」
「先輩だし、覚えてるし、ツーショットは待ちうけにしてるよ」
最後のは冗談だったが、いや、全部冗談調で答えたからか、彼女は少しムクれた顔をした。
「バカにしてます?」
「ごめんね、冗談。アサちゃんはこれから授業?」
彼女は意外そうな顔をして、僕を見た。
「名前覚えてるんですね」
「アサちゃんも覚えてたじゃん。それに僕らが覚えるほうが簡単でしょ。新入生を覚えるだけだし」
それに『アサちゃん』は飲み会の場で何度も名前を呼ばれていた。
「私はなんというか、癖ですかね。初対面の人と話すときに、名前をきちんと覚えてくれてるってだけでうれしくなるじゃないですか。こういう性格なので、その場のノリで話しちゃうだけじゃなくて、私とあなたのことですよってわかるのがうれしくて。 だから、覚えててくれてうれしいです 」
あれ、私うれしいばっかり言ってますね、と彼女は照れくさそうに付け加えた。
「僕もそうだよ。おんなじ、ってこういうのネタバラシしちゃダメじゃない?お互い気まずいよね?」
「たしかに」
でも、まあ、いいんじゃないですか、と彼女がやや投げやりになったのが面白い。
時計を見ると授業の終わり時間が近づいている。昼休みになって人通りが増える前に、僕は昼食を食べるため食堂へ向かいたかった。
「そういえば、なにか用事だった?」
「ああ、いえ、ただ、いいなあ、って思って声をかけてしまいました」
ねえ、先輩。彼女はそう言ってこちらをまっすぐ見つめた。
陽の光に当たると透きとおるような綺麗な瞳がこちらを見ていた。
レンズ越しにみたらどんな色をしているんだろうと思った時にはカメラを構えていた。
「私の写真を撮ってくれませんか?」
シャッターを切ったのと、彼女がそう言ったのはほぼ同時だったように思う。
彼女の問いかけに、ほとんどイエスと答えたようなものだった。
あまりのタイミングに彼女はこう言った。
「すごい、もし映画だったら、運命の鐘がなってる」
映画でもないのに、ちょうど鳩が飛び立った。春の風が吹いて、授業の終わりの鐘が鳴る。あまりのタイミングの良さに僕は堪え切れなくなって吹き出してしまう。
「映画じゃなくて良かったな。危うく君に恋でもしていまうところだった。」
「ねえ、先輩。口説いてもいいですよ?」
「まず、君の今日の授業の予定でも聞こうかな」
こんな素敵な出会いがあって、君に恋なんてしていなかったと言ったら、君は冗談交じりにこう言うだろう。
「私ちゃんと言いましたよね、口説いてもいいですよって」
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