神永学作品から考えうる新本格ミステリーの可能性

前花しずく

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 今までに読んだ小説作品で一番好きなものは何か、と聞かれると、真っ先に神永学の「心霊探偵八雲」が頭に浮かぶ。それまで活字を読む習慣がなかった私であったが、この八雲だけは一度もつっかえたり挫折することもなく、短期間で番外編含めた十巻以上を一気に読んでしまった。本レポートでは、その八雲を含む神永学のミステリー作品を通じて、特に新本格ミステリーの可能性を考察していくものとする。


 まずは、神永学の処女作にして一番の代表作、心霊探偵八雲について説明をしていこう。神永学が自費出版した『赤い隻眼』を改稿し、『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』として文芸社から改めて出版され、シリーズ化されていく。現在は活動の中心を角川文庫に移し、八雲シリーズは本編10巻、番外編含めると16巻にも達する。普段あまり小説を読まない層にも広く親しまれている、言い方を変えれば大衆ウケのいい作品である。

 「心霊探偵」というタイトル通り、幽霊が関わった推理が売りの物語で、主人公である八雲は幽霊を視たり、その声を聞いたりすることができる能力を持っている。この「視ることしかできない」という部分はとても重要で、この制約があることによって、幽霊もただのオカルト要素だけでなく、歴とした証人として取り込むことができるのである。

 設定だけ聞くと、すぐに犯人が分かってしまって推理にならないじゃないか、と言いたくなるかもしれないが、そこは神永学の設定づくりの上手さと言える。さっきも言った通り、八雲は「視ることしかできない」ため、幽霊本人が話そうとしなければ、当たり前だが声を聞くことはできない。それが被害者の霊であったとしても、無口であったり、あるいは加害者を庇うために嘘をついていたりするため、その証言や行動を検証しながら事件の真相に近付いていくのである。

 また、幽霊が視えるのは八雲一人だけであるため、協力者を除いて幽霊の存在は信じていない。そのため、必然的に犯人を逮捕にまで至らせるには科学的な証拠が必須である。あくまで幽霊の証言などは捜査の補助とし、それ以外では科学的なアプローチで犯人を割り出していく。超常的能力と現実的な科学的捜査の融合によって、八雲の独特な推理場面は構築されている。

 犯人側も、「幽霊は現実世界に物理的な影響を及ぼせない」という設定があるために、基本的には科学的なトリックを使用している。序盤(特に読みきりとして書かれた一巻)では、背格好の同じ人間による入れ替わりトリックなど王道的なトリックが続くが、途中からは江戸川乱歩の『白昼夢』にも登場した、屍蝋を使ったものなど、奇想天外なトリックが多数用いられている。もしかしたら普段ミステリーを読み慣れている人も、材料が揃った段階で即座に犯人を言い当てるのは難しいかもしれない。読んでいるだけで非常に頭を使うため、謎解きゲームとしての要素も申し分ない。

 八雲はこれらの「探偵小説らしさ」を存分に保持しながらも、恋愛や葛藤、そして人間の真理のような部分を実によく描いている。八雲は幽霊が視えるという性質柄、人間の憎しみなどの黒い部分を人一倍感じてしまい、非常に他人と関係を持つことを嫌っている。そこへ、ヒロインの晴香、刑事の後藤、育ての親の一心などの優しさや人間観に触れ、少しずつ八雲自身も成長していく。会話の中には、我々に深く刺さる言葉も多い。犯人の犯行動機も「不条理への抵抗」が主であることがほとんどで、事件を解決することが本当に「善」なのか、と八雲が悩むことも少なくない。そういった人間ドラマも、「大衆ウケ」する要素の一つだ。

 しかし、大スジはそうなのにも関わらず、ところどころに猟奇性が散りばめられているのがまた驚きである。事件そのものもさることながら、絶対悪として描かれている黒幕サイドの狂気は、大衆向けにしては割ときつめに描かれている。それがいいか悪いかは別としても、物語内のいいスパイスになっている上、私のような者はそこに惹きつけられてやまない。

 神永学作品のもう一つの大きな特徴としては、その独特の文体が挙げられる。普段小説を読み慣れている人ならば、場面がひどく細切れにされていることに驚くことだろう。短いときには一ページごと程度で場面が変わり、各場面によって視点が分かれている。人称自体は基本的に三人称だが、そうかと思えば急に地の文に一人称が混ざってきたりする。形態としてはかなり珍しいタイプだと言えるだろうが、普段あまり小説を読まない者にはかなり自然に頭に入ってくる文章構成なのだ。無駄に描写しすぎることもなく、しかし的確に状況を伝える地の文は、簡単に真似できる代物ではない。ミステリー小説の良し悪しに関係があるかは別として、多くの人に親しまれるための作品づくりには大いに参考にしたい部分である。


 さて、江戸川乱歩の「探偵趣味」になぞらえて考察すると、人間模様はさておき、幽霊が視える青年という設定、そして、事件の怪しげな雰囲気はまさに「探偵気質」で溢れている。大衆にウケる要素とミステリーの要素を全部積み込んだよくばりセットのようであって、しっかりまとまっているのは流石と言う他ない。

 八雲の場合、ここまで猟奇、怪奇要素を積み込めたのは、やはり幽霊という存在が大きいと思われる。というのも、『怪盗探偵山猫』や『天命探偵真田省吾』などの他の神永学作品では、事件内でも八雲ほどおどろおどろしい雰囲気は漂っていない。つまり、幽霊という設定によって自然に不気味な雰囲気を持ち込むことが可能となっているのだ。それに、人間ドラマの発端も、八雲が幽霊を視ることができること、それ自体である。

 もちろん、新本格ミステリーの基本的な特権としては、非科学的な設定があることによってトリックや推理の幅を広げることなのだが、実はそれによって作品全体の雰囲気をも左右したり、逆説的にリアルな人間ドラマを浮き上がらせる効果が期待できるのだ。これこそが神永学作品から一番よく感じられる新本格ミステリーの可能性である。


 八雲以外の作品も見てみよう。先ほど神永学作品の例に挙げた天命探偵真田省吾も、新本格ミステリーに分類できる。未来に起きる事件が予知ができる少女、志乃の予知を頼りに事件を防ごうとしたり、犯人を追ったりする物語だ。これも例のごとく制約があり、まず自分で予知する内容を選べない上、予知したそのものも被害者しか映っていなかったり、そもそも場所が分からなかったりする。それを探偵事務所のメンバーが割り出して、最低限の被害で食い止めるのだ。

 先にも言ったようにこの作品はアクションに重きを置かれ、バイクの車種や銃の名前、性能が詳しく書かれていたり、全体的に男臭さが漂う。さらには中国や北朝鮮の諜報員が登場したり、核爆弾が爆発しそうになったりと、八雲とはスケール感が異なる。

 これも実は設定に引っ張られているところがあり、予知できることによってある程度被害を食い止められるため、スケールがべらぼうに大きくてもどうにかなってしまうのだ。スケールが大きくなれば外国やら闇の組織やらとの抗争になるのは名探偵コナンなんかに見るように当然の流れである。抗争になれば肉弾戦になり、結果的に男臭くなるのである。もちろん、神永学の場合は順序が逆で、男臭く書きたいがために、書けるような設定を考えているのであろうが。


 天命探偵に見るように、オーソドックスな探偵ものでなくても、新本格的な設定は応用可能である。クリエイターとしては、ミステリーを書く際にオリジナリティを出したり、世界を広げるために新本格という選択肢を視野に入れておくことが望ましいかもしれない。もちろん、神永学ほどに使いこなすには何度も書いて慣れるしかないが。

 繰り返しにはなるが、設定さえ細かく規定してしまえば、いわゆる幻想的な世界観を盛り込んでも現実的な推理は可能である。それどころか、むしろ現実の普段見えないような側面をあぶりだせるような機能さえ持ちうるのである。クリエイターとしては、この無限の可能性を放っておく選択肢などない。試行錯誤を重ね、推理をより活かすことのできる設定、世界観を今一度検証してみる必要がありそうである。

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神永学作品から考えうる新本格ミステリーの可能性 前花しずく @shizuku_maehana

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