第17話 碧の魔女

 苔に覆われた大地。沼地が点々と広がり、侵入したものを容赦なく底なし沼へ誘い込まれる禁断の地だった。

 そこに足を踏み入れたのは旅をする魔女ソラと魔女のお供であるシロだった。


 高青年のシロは魔女ソラの付き添いで、兄妹のように育ってきたこともあり、ソラの兄貴としてソラを支えてきた。


 この地に訪れたのは碧の魔女に会うこと。

 彼女しかわからない事情があった。


「足元気を付けて」

「もう! 子供じゃないんだ――」


 苔むしった石の上に足をついたとき転びそうになった。

 とっさにシロの手を握り、難を逃れたが、ソラがご機嫌斜めだ。


「――シロのせいだからね!」


 プンプンと頬を膨らまして両手を組んだ。

 その様子に鼻で笑い、シロは優しく言った。


「手を貸そうか?」

「結構です!」


 握っていた手を放すと、再び転びそうになった。

 シロに握られそうになり、避けようとした。身体の重心を傾けたとき、思いっきり地面に尻もちついた。


「あいたっ!」


 服が苔で汚れてしまった。

 せっかく着こなしてきたのに、台無しだ。


「大丈夫?」


 シロが問答無用でソラの手を握り、引っ張り上げた。

 ソラは無言で、シロを拒絶していたものの、最後は許してしまった。


「ひとりで…」

「できるからといって、なんでも一人でしようとするなよ」


 シロに言われ、ソラはそんなことないと言い、ツカツカと歩きにくいハイヒールで沼地へ渡っていった。


 沼地は魔法で三ミリほど浮かせて移動した。水にかからない程度で魔法も微弱で押さえる形だ。


「はじめから使えばいいのでは?」

「シロのエスコートを…ゲフン」


 咳をしてごまかした。

 シロにエスコートしてほしいと言いそうになった。兄のように振舞ってきたシロを少しイタズラしようと魔法を使わなかったのだが、間抜けた声を発し、尻餅ついてしまっては、イタズラしようとする気持ちは流れていってしまった。


 イタズラをあきらめ、魔法で移動することにした。でも、少なくからずシロが困っている様子を見たいと、イタズラするのであった。


 シロの魔法が切れかけたのか、少しずつ地面に降りる。


「ありっ? ソラ、魔法が解けそうだぞ」

「どうやら、碧の魔女が近いようね、私の魔法もじわじわと削られている…」


 嘘だ。

 シロが戸惑う姿を見たくてわざと言っている。

 シロが助けを乞うた時、ソラはケラケラと笑って見せるイメージを浮かべていた。


「…別ルートで行きましょう」

「へ?」


 間抜けな声が出る。

 シロがとっさに地面を蹴り、木の株がある方へ飛び乗った。


 沼地の上でソラが見つめる間、シロは枝にかかった蔓を紐替わりにしてターザンのように次の足場へと飛び渡る。

 木がない場所では、拾った葉っぱに魔法をかけて、水面を渡る術を編み出す。


 ソラは苦い表情を浮かべながら「悔しい…」と思い浮かべると同時に「なんでそうなるのよ!」と悔しさで歯をむき出していた。


***


 碧の魔女がいる館に到着すると、シロは待っていたかのように椅子に腰かけていた。


「早かったね」

「遅かったよ」


 シロの問いにソラは否定した。

 別ルートから通るといったシロよりもただ、沼地の上を渡っていただけなのに、3分も時間がかかってしまったからだ。


 これでは、シロを咎めたりイジメたりできないではないか。


「それじゃ、行きましょう」


 先陣切って、我先へと館の扉に手をかけた。ギィ…と軋む音を素通り、中へ入るとそこは、もぬけの殻だった。


「留守ですか…」

「いいえ、違うわ」


 ソラは二階へ続く階段へすぐに向かった。

 碧の魔女は人や獣から隠れることが多く。それはとても臆病だった。ひとりで暮らすことが彼女のせめての安らぎで、こんな場所に身を隠すほどだ。


 人や獣ではなく、バケモノや精霊、魔女が来ることは彼女は知っている。

 だから、館に近づいた時点で、彼女は隠れてしまう。


「いましたか?」


 階段から降りて、入り口の前で待っていたシロ。

 頭を抱えながら、近くにあった椅子に座った。


「いなかったわ」

「この場所にいらしたのですよね」

「ええ…3年前にはね」

「3年前?」

「3年なんて、短い時間よ。彼女ならいると確信していたのだけど…」

「長いと思います。人間やビースト族といった短命の種族にとってはとても長い期間だと思いますが」

「……」


 絶句した。

 魔女は長命であることが多く。三年、五年と短く感じる。時間の流れは種族によって違う。エルフは長くて千年は生きられるという。魔女は、転成のため、死んでも記憶と知識を受け継いで生まれるため、年数は視野に入れない。


「まさか、彼女がまだここにいると…?」

「調べましょう。どこにいるのかを」


 シロの言葉を無視して、館のなかを調べる。

 壊れた家具、割れた窓、穴が開いた天井、崩れ落ちた床、脱ぎ捨てられた彼女の衣類、散乱した腐った食べ物。そして、焼き捨てられた本。


「――彼女は、最近までいたのよ!」


 食べ物の腐り方からしてまだそう時間は経っていなかった。壊れた家具や割れた窓、穴が開いた天井など人為的なものだ。なにか恐ろしい化け物がやってきて、暴れまわったのだ。


「なぜわかるのです?」

「魔女の勘――いえ、腐った食べ物、焼き捨てれた書物をみて、確信したのよ」

「彼女の行方は?」

「誰かに連れ去られた。しかも、魔女を捕まえる方法をよく知った人物のようね」


 焼き捨てられた本に指をさした。

 焼き捨てられている本はどれも植物図鑑、動物図鑑、歴史、文化、宗教といったものばかり。魔女が常に隠し持っている魔法書だけがどこにもない。


「…魔法書だけが抜き取られていますね」

「錯乱のつもりでしょうね。でも魔法書だけ持ち出すなんて、犯人も間抜けのようね」

「追いかけますか?」

「もちろん。彼女の居場所はわからないけど、本の居場所はわかる。すぐに移動しましょう」


 立ち上がり、館の入口へ戻ろうとしたとき、シロが「あぶなーいっ!」とソラを抱きかかえ、床に転がった。

 次の瞬間、扉もろとも建物が吹き飛んだ。


 大きな怪物の手が見えた。それはゴワゴワとけむじゃくらで建物を軽く吹き飛ばすほどの怪力。しかも、息が荒く、賢そうには見えない。


「ケガはありませんか?」

「ええ、それよりも面白そうな怪物に目を付けられたわね」

「ええ…トロールですか。この森に出るとは初耳です」


 <トロール>。知能は低く、人語を解せないなど、トロール独自の言葉でしか喋れない。また、読み書きもできないことから、人に使われることが多く、支配権を握るよりも支配下に置かれるケースが多い。

 姿は人間のように似ている。大柄で子供でおよそ1メートルほどの身長だが、大人になると3~5メートルは超えるという。一種の巨人だともいわれた。

 子供だと、人間と見分けができないことから、<チェンジリング>事件が多かったとか。

 トロールは魔法を使えない。魔力が生まれつき少なく、言葉を解することも少ないため、他種のような魔法を使いこなせない。

 一方で、岩を持ち上げるや武器を振り回すなどといった力技に関してはドワーフよりも引けをとらないなど、トロールの出世は物議を醸すほどだ。


「トロール…身長はゆえに12メートルは超えていますよね」

「シロは見たことあったけ?」

「ええ、ありますよ。最高でも8メートルほどでしたが…」


 トロールの攻撃を凌ぎ、館から遠くへ転移魔法で移動した。

 トロールと戦っていては、魔力が消耗するし、無駄に体力を使ってしまう。


「追ってきますかね…」

「トロールは執念深いから、追ってくるさ。やつらは、力が強くて凶暴なうえ、柔な攻撃じゃ倒れないから、街里で暴れられたら甚大な被害だよ」

「ましてや12メートル…考えただけでも夢に出そうだ」


 シロがビビっている。

 鼻で笑い、シロがこれ以上に怖がればと思い、追い打ちをかける。


「トロールは死んでも、倒した相手を呪うというのよ、大したものね。物理だけでなく精神にも影響を与えるなんて、最強と思える相手ね」

「……」


 絶句している。

 ケシシ…と笑い転げそうになる。


「……倒しましょう」

「へ…?」


 意外な言葉が飛び、思考が停止する。


「呪いを吹き出しては、近辺のみなさまに迷惑をかけてしまう。それに、ソラにもなにかあったら困ります。ここで倒してしまいましょう」


 なんで、そうなるのか。ソラは停止したうえ、混乱する。

 

「どうしましたか? ソラ」

「あー…負けたわ」

「なんの話か知りませんが、被害が出ないうちに倒しましょう」


 シロは考えてもいない。

 このまま近辺の街里に襲わせてみるというイタズラ感を味わってみようともしない。魔女は虐げられているのに…それを防ごうとする考え方がイマイチ気に食わない。


「…わかったわ。やりましょう」

「俺が囮になります」

「わかった。無茶しないでね」

「もちろん。ソラを置いて死にはしません」


 鼻で笑った。


「シロらしいね。さて、トロールとやらは誰の差し金か調べましょう。おそらく碧の魔女の飼い馴らしたペットとは思うけど、飼い主が行方不明だし、どうけじめをつけようかしら」


 トロールの方に興味を示した。


***


 沼地に倒れるようにしてトロールは絶命した。

 心臓を押しつぶす死の魔法でトロールの暴走は止まった。

 多くの木々をなぎ倒し、地面をえぐり、天に亀裂を走らせるなどその凶暴さは街里に出ていたら想像できない恐ろしい光景になっていたのだろう。


 トロールの攻撃をすんなりとかわしたシロは相変わらずだったが、ソラと合流してからはトロールの思考から<記憶>を取り出し、命令主と暴れた原因を突き止めた。


「――やはり。飼い主は碧の魔女ね。不憫なことに、飼い主が連れ去られた後に駆けつけたようね。やはり頭は文字通りとろ~り(トロール)なのかしらね」

「……」

「そんな目で見ないで、つまらない冗談よ。さて、碧の魔女を連れ去った人物を見つけることができたわ。これはとても興味深い相手よ」

「誰なんです? 碧の魔女を連れ出すすごい人は…?」

「――ついてからのお楽しみね」


 トロールの亡骸を魔法で灰にして、その場から逃げるようにして去った。

 トロールには申し訳ないけど、碧の魔女さえ、取り返せばあとはどうでもいい。


 森を抜けると、大きな町に出た。


「カリゲリック国」


 シロが呟いた。

 カリゲリック国は魔女の中でも恐れ知られる魔女を殺す国だ。

 魔女にあらゆる重罪を重ね合わせて死刑にする。死刑は火やぶりから下級動物たちの餌にされるなど地獄のような有様だ。


 魔女は死んでも記憶と知識を受け継ぐ。そしてその赤子は世界のどこかで生まれる。記憶と知識を7才を迎えたころに取り戻し、そして従者が契約を結ぶことで、魔女として再生する。


 地獄のような死を経験したのち、転成されると、その記憶がトラウマとなり、自ら死を求めるようになることもある。従者はそれを阻止するため、すぐに駆け付ける。


 魔女は長命である。

 魔女になるまでは短命である人間やビーストで生まれることがある。姿は生前に生まれ変わる。これは、従者と契約したのちに戻る。


 従者は魔女と契約したものが一生共にする味方であり相棒でもある。魔女は最低でも一人・一体と契約する。

 従者が死んだとき、魔女として再生することはできず、代わりに短命として命が尽きやすくなる。


 魔女は同じ魔女であっても同じではない。転成後、容姿は異なる。髪色と瞳の色、記憶、知識は生前を受け継ぐが、それ以外は受け継がない。

 性別は生まれながら女の子である。


 女の子であるが、魔女となった瞬間、子供を身籠ることはできなくなる。魔女は子供を産むことができなくなる。その原因は、はるか昔に契約を結んだ初代の魔女がつくったとされているが、どういった経緯かは不明である。


 ソラは生まれてからシロという兄がいた。

 シロはソラの生前の夫だったという。呪いで、死なない身体<不死>になってからは、危険な仕事を容赦なくこなすようになり、生前のソラはとても慌てたという。


 シロが兄と名乗るのは、ソラと出会ったとき、まだ魔女として覚醒していなかった際に「お兄ちゃん」と呼んだことから始まった。


 従者は生前の魔女の姿を知っている。違う人物だとしても契約上、離れることはできない。

 シロはソラの夫だったが、兄となってからも愛情や関係は変わらないようだ。


「――ここ、嫌い」


 臭いものを毛嫌うかのようにソラは拒絶した。


 ソラが一度、この地で死んでいる。

 前前世のとき、この地で生贄として殺されたという。前前世の従者がシロに託して、自ら命を捧げた。前前世の従者が死ぬことで、その当時のトラウマを指名して消すことが許されていた彼は、ソラの当時の記憶を抹消している。でも、体は覚えているようだ。従者としてシロが貢献している世代でもソラはこの国を拒んでいる。


「でも、碧の魔女はここにいるんだろ」

「ええ…」

「なら助けなくちゃ」

「私はここで待つわ」

「助けに行かないのか」

「わたしは、この国が嫌い。なぜ嫌いなのか思い出せないけど、思い出したらすべてが壊れてしまいそうで――」


 そっとソラの肩に手を置いた。


「わかった。無理はしないほうがいい。さっきの戦いもあるし、疲れているんだろう。俺が代わりに行ってくるから、ここで待っていてくれ」


 そう言って、さっさと走っていった。

 ソラは待って…と声をかけるも、真っ白世界に消えてゆく彼の背中をただ、手を伸ばすだけだった。


**


 国の中に降り立ったシロは、外見を人間の姿に変える。

 シロはエルフと人間のハーフ。ハーフエルフともいわれているが世間からは軽蔑されている。


 ハーフエルフはエルフの紛い物。姿はエルフと同じだとしても臭いも考え方も違う。森や大地、自然に対して好意を向けるエルフとは裏腹にハーフエルフは天空と大地と海底といった具合に大まかな方面しか見ていない。


 そのこともあっての原因かは定かではないが、どの種族からもハーフエルフは嫌われている。

 魔女はハーフエルフの出世が多いと聞くが、それとは関係がないのかもしれない。


 国のなか、歩いているとみんなある一定の方向へ歩いている。

 その先は広場となっている。かつて処刑場が行われている現場だ。

 ソラが険悪がっていたのもわかる。死臭と混ざるかのように魔物の気配が街の中でうごめいている。

 姿は見えないが、建物の影や人の隅に隠れて見つめている者もいる。


「臭いなー」


 鼻をつく。にぶらせ、こすりつける。息を吸うだけで吐き気が襲われる。口で息を吸えば、喉をえぐるかのように痛みが襲われる。


 出店があった。

 一件だが、マフラーやバンダナといったものが売られていた。


「店主、品物を売ってくれ」

「あいよ」


 バンダナを購入した。碧色の染まった横に広い布だ。これで口元を防げば、多少は臭いがしなくなるかもしれない。

 さっそく口と鼻を塞がる。不思議と臭いが和らいだ。


「……もうひとつくれ」


 ソラにも上げるべきか、と思い、もうひとつ別の物を注文した。

 帰ったらソラはどう反応するのか楽しみだと、ワクワクを抱きながら人が集まる広場へと走っていった。


 広場に着くと様々な人種が集まっている。

 人々の視線の先は今にも処刑されそうになっている碧の魔女の姿があった。


 全裸の姿で身体中に傷や火傷の痕がある。とてもひどい拷問をされたのであろう、耳は引きちぎられ、両手両足は像で踏みつぶされたかのように紙のようにペラペラだった。


 出血した個所が感染症と思われる痕がいくつも見られた。

 魔女は舌が切られているのか、喉が塞がれているのか、声を上げずにただ唸り続けていた。


「ひどい有様だ。ソラもああだったのか…」


 碧の魔女とソラを重ね合わせる。

 そのおぞましき人の業が魔女を苦しませていた。


『ソラ、碧の魔女を見つけた。処刑される寸前だ』


 ソラに向かってテレパシーで伝える。

 ソラからの返信はない。ソラのことが心配だが、処刑される寸前の魔女を放っておくわけにもいかない。

 それに、碧の魔女に会うという約束が果たせなくなってしまう。


「俺ひとりでどうにかできるのだろうか…」


 民衆のなかで、何人かを遠のけ、前へと進む。

 憎き魔女をこの目で近くで見たいと嘘をつき、前へ行かせてもらう。


 途中、衛兵に不審に思われたが、同情したのかなにも言わず佇んでいた。


「お前もあの魔女に苦しめられたのかい?」


 誰かに肩を引っ張られた。振り向くと酒に酔ったおっさんが話しかけていた。


「ひどい魔女だぜ。あの魔女のせいで何万人という犠牲者がでたことか…ヒック…これでようやく平穏が訪れる…ヒック…わけだ…」


 しゃっくりを上げながら男(おっさん)は愚痴をこぼしていた。飲みすぎと思わしき、足をよろけ、ときにはまるで親友かのように首に腕を巻いてくる始末。


「邪魔だ」


 とあしらうも男は癪に障ったのか、「俺の酒も飲めねーのか!?」と話しが通じない始末。酒臭い。大事なバンダナがみるみる酒まみれになっていく。

 長話するほど暇じゃないと押しのけると、男は地面に転がった。それと同時に叫んだ。


「衛兵! こいつ、魔女の仲間だ。俺を魔法で吹き飛ばしやがった!」


 完全に酒に飲みこまれている。

 吹き飛ばした? 魔法を使った? ふざけたことだ。


「ちがう。こいつが絡んできた」


 と弁明したが、周りにいた奴らはシロを敵に回すように言いだした。


「俺は見ていたぜ、こいつが妙な魔法で男を突き飛ばしていた」

「私も見た! 男に妙な魔法をかけていた。きっと、騒ぎを起こして魔女を誘拐しようとしていたんだ!」

「僕も見た。このお兄ちゃんは悪い魔女の味方だ」


 子供から男女関係なくヤジが飛ぶ。

 おっさんは酒を飲み、酒がなくなると追加でヤジを飛ばした。


「俺のお酒を盗みやがった。悪い魔女の手下だ。衛兵ども! なにをしている。さっさと牢屋にぶちこめ!」


 衛兵たちが集まってくる。

 いま、捕まったらソラとも離れ離れになってしまう。


「ちがう、言いがかりだ。俺は魔女をこの目で見ようと…――」

「嘘だ!」

「ウソつき野郎!」

「魔女の手下め!」

「魔女のせいで、俺達がどんなみじめな生活を送ってきたと思ってやがる!」

「恥をしれ!」


 終いには卵や瓶が投げられた。

 民衆が集まると、小さな噂やヤジが大きくなる。尾が大きくなるにつれ、関係ない人にも被害がでてしまう。


『――だから言ったでしょ。人に味方をすれば損をするだけだって――』


 テレパシーが戻った。

 ソラは曇りの表情を浮かべていた。


『私の大事な人たちを勝手な憶測だけで殺すなんて、なんて傲慢で怠慢な人たち…一度、滅べば腐った頭でも理解できるかしら』


 ズズーンと地面が唸った。

 地響きが酷くなるにつれその姿を現れた。


 太陽をすっかりと覆いつくし、国を影へと突き落とした。

 毛深く上半身裸、ターザンのようなパンツを履き、棍棒を握っているトロールが立っていた。


「化け物だ…!? 魔女の手下だ!!」

「トロールだ。大型巨人だああああ!!」

「みんな逃げろー!!」


 民衆が一斉に逃げ出す。逃げ出す先は広場から抜け、出入り口である門がある西東だ。荷物を抱えてに出す人から、何も持たず逃げる人、馬を引き連れて逃げる人と様々だ。


 そのなかで、シロだけは碧の魔女に近づいていた。

 鎖を切り、碧の魔女を開放すると、先ほどまで叫んでいた酒飲みのおっさんが大声を上げていた。


「やっぱり魔女の手下だったかー! この騒ぎも、お前の仕業か!」

「――いいえ、ちがうわ」


 おっさんの背後に周り、首に指を突き刺した。


「ひぃっ!?」


 首から胸にかけてなぞるようにゆっくりと指を動かす。おっさんは悲鳴を上げず怖がっている。ソラがなぞっているのは、死の魔法の一種。

 心臓を噛みちぎる虫を指から侵入させ、体内へ移動させる。


 移動させている間、虫は餌を食わず、なにかが動いているような気がするだけで痛みはない。でも違和感はある。

 指でなぞるようにこすった瞬間、虫はその部位を食い、餌にされた者は死ぬほどの痛みを負う。しかも、心臓や脳が食われても、魔女が手を放さない限り、生き続けるという。


「恐ろしい奴だな」

「あら? 心配したのよ。さて、碧の魔女さん。例のものは見つかったのかしら?」


 碧の魔女は声を出さない。身体もピクリと動かず、ただじっと立ち止ったままだ。息をしているが、意識がないようにも見える。


「あらあら…当の本人は夢の中のようね。身体は食い破られているし、それは逃げるわね。せっかく、ペットのトロールを連れてきたのに…トロールかわいそうに…」


 トロールに視線を向ける。

 トロールは衛兵たちと戦っていた。建物を破壊し、人々を薙ぎ払ってはたくさんの命を奪っている。


「おい、やめろ、やめてくれー」


 おっさんが助けを呼んでいる。


「そこのお兄さん。俺がしたことは謝るから、この魔女から助けてくれよ。俺はまだ死にたくない。それに、金だって払う。いくらでも、なぁ」


「あら? まだ喋る力があるのね。次の舌か喉か…」


 心臓から首へと指をなぞっていく。


「トロールは止めてくれないか」


 シロの言葉にきょとんとした。

 ソラはなぜかと問うと「関係ない人たちにまで手を出さないでくれ」と睨みつけた。


「それは、この酒臭い豚かそれともゴミのように散る者たちか…」

「後者だ。彼ら全員が俺を侮辱していない。前者が俺に悪者にしただけだ。だから、トロールの動きを止めてくれ」


 シロの懸命な説得力と目にやられて、ソラは「やれやれ」とおっさんから指を放して、トロールに向かって縦に指を振った。


「ぐうっ! …ッッゥゥ……」


 バタリとオッサンが倒れ、トロールも倒れた。

 おっさんから這い出るムカデのような虫が口元から出て行った。


 トロールは塵となって空気中に消えていく。


「この場から離れよう」

「ちょっとまって」


 ソラは不機嫌そうだ。


「碧の魔女を治療する。この国にいる人たちから魔力をかき集めれば、碧の魔女の身体を完治することができる。でも、そのあとでいい」


 ソラは頬を赤くし、言った。


「私をお姫様だった子にして連れ帰ってくれ」


 シロはなんだそんなことかと、やれやれ感で了承した。


 国の人々の魔力を使って、碧の魔法使いの身体を回復させた。ソラたちの隠れ家に移動してからというものの、魔力を瓶に詰めた薬を消費させ、碧の魔女が再び戻ってくるのを待った。


***


 それから一カ月後、ようやく碧の魔女は目を開いた。

 ひどくやつれた顔をしているがあれだけ粉砕された両手足は治っている。傷もすべてなくなり、元の美肌へと生まれ変わっていた。


「ようやく、目を覚ましたようね」

「あ、わたしは…いったい…」

「地獄からの帰還おめでとうと言いたいところだけど、一か月以上待ったんだ。お目当ての物をくれないか」


 碧の魔女は思い出すかのようにして、自身の左目をくりぬいた。


「うえぇ」


 グチュグチュと音をたてながら目をくりぬき、魔力を集中させると魔法書になった。魔法書を目玉に変身させていた。


「ありがとう。これでようやく帰れるわね」

「それよりも、どうして捕まったんだ?」

「シロー。そんなことどうでもいいの。三人無事に帰ってきたのだから、そんな面倒くさい話どうでもいいじゃない」


 さっさと帰ろうよとひがむ。

 汗ビシャビシャになった体を妖精たちが舞う露天風呂で、薬草や辛香などで染め、優雅に星空を見つめながらシロと一緒にワインを完敗する予定だった。


 シロの余計なお世話さえなければ…と睨み狂う。


「少しで言い。思い出したからでもいい。どうして碧の魔女であるあなたが一般人に捕まったのか訳を知りたい」


 碧の魔女は重たい口調を開いた。

 そして、意味深なことを残して、頭を押さえつけ、倒れてしまった。


「なにがあった!?」

「しくじった。呪いだ。魔女に呪いをかけるなんて……これは、とてつもない強敵を相手にしてしまったようね」


 碧の魔女は死んでいた。

 息もしていない。ただ、目を大きく開け、頭を押さえながらのたれ死んだ彼女は、再び悪夢に包み込まれ、次に目覚めるまで、自分が魔女であることを知らずに成長するのだろうか。


「碧の魔女は死んだ。でも、魔法書といらない事実を受け取ってしまった」

「次の再生まで会えないんだろ。次の魔女にあたるか?」

「いや、しばらくは合わない。きっとどこかで何者かが監視している可能性がある。魔法書…碧の魔女が残した呪いを解くカギ。でも、本人が死んだことによって、魔法書はあまり持たない」


 魔法書は魔女そのものの魔力で生存している。魔女が死ねば、魔力が途切れ、魔法書は消滅してしまう。

 魔法書の有効期間が迫るさなか、呪いを解く方法を見つけるため、今いる隠れ家とは別の隠れ家へ急きょ身をひそめた。

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