カレンダーガール
黒岡衛星
一月、ともだちをきく
わたしの三学期は、辛気くさい音楽で始まった。
正月、母の実家で久しぶりに会った叔父が一枚のCDアルバムをくれたのだ。
「僕の宝物だったんだ。大事にしてね」
そう話す叔父の顔は少年みたいで、彼の奥さんになる人はこの顔を知っているんだろうか、なんてことを思ったりした。
叔父にもらったCDはパソコンに取り込み、スマホで聴けるようにして、今まさに学校の保健室で聴いている。
わたしはどうやら保健室登校、というやつになるらしい。学校に来るのはいいが、教室で授業を受ける気になれない。それは単純に体が弱いからちょっとしたことでダウンしてしまう、ということでもあれば、精神が弱いためちょっとしたことでまいってしまう、ということでもある。
要するに、弱いのだ。
弱いわたしは今日も保健室の隅で音楽を聴いている。保健の先生は出払っている。担任の先生には「せめて始業式には出てくれ」といった風なことを言われたが、何がせめてなのかわからず、というかあんな長時間じっとしていなければならない行事にわたしを出すことをまだ諦めていないのか、と。
外は寒いのだろうが、保健室のほどよい空調の中にあってはそれもまた景色の一部でしかない。優雅、とか言ったらそれこそ叔父なんかに笑われそうだが、贅沢なのは確かだ。
他の生徒は今も真面目に授業を受けているというのに。
わたしもたまには教科書ぐらい広げてみるべきなのかもしれない。というか、たまにはやっている。試験があればほぼ毎回保健室で受けているのだから、実質はずっと自習を続けているようなものだ。
正直、なら授業に出ろよ、と思わなくもないし、それが嫌なら家に引きこもってろよ、とも思わなくもない。中途半端な場に身を置いて、どちらにでも転身できる今の状況に甘えているだけ、なのだろう。
ま、でも学生なんてモラトリアムでしかないから。好きにしたらいいよ。
というのは叔父の談だが、流石に突き放し過ぎなのではないかと思った。とはいえ、それで救われる気持ちというのもあるのだから、距離感というのは難しいものだ。
「何聴いてんの?」
いきなり。
そういえば、さっきチャイムが鳴っていた、ような気がする。最近のイヤフォンは周りの音を遮断してくれるものが主流だけれど、こういうときにリアクション出来なくなるのでそういうタイプは使わないようにしている、のに。
「なんか、辛気くさいの」
「そういうのが好きなの?」
「いえ、別に……」
「へえ。ま、聴かせてよ」
なぜそうなる。
馴れ馴れしい人間は別に嫌いではないが、特に好きということもない。そもそも、誰だ。
「ん? ああ、わたしは狩野。あなたの隣のクラスだから、知らないかもしれないけど」
「……で、わたしのことは知ってる、と」
「ん? まあ、有名人なんじゃない? 保健室の主みたいになっちゃってまあ」
養護教諭より偉そうじゃない、とまで言われてしまった。
「……そういうところも、あるかもしれないけど」
「とにかく聴かせてよ。なんか気になっちゃう。あ、イヤフォンは両耳ちょうだいね」
片耳だけ音楽が聞こえるの気持ち悪くない? と続く。
「……わかった。いいよ」
わたしが叔父からもらったのは『はっぴいえんど』というアルバムで、一曲目がちょうど正月の歌だったから、なんとなくリピートにしてずっと聴いていた。
「うわあ……暗いね」
「そうかな」
「暗いよ」
暗い、とまでは思わないけれど。
まあでも、辛気くさい、と暗いの境目はどこか、といえば人の感じ方だとか、言葉の使い方ひとつなのかもしれない。
「こういうのが好きなの?」
「いや、別に……」
嫌いでも、無いけど。その一言はどうにもぼそぼそと尻すぼんでしまう。
「なんか、花の女子高生が聴く音楽じゃないんじゃないかな」
「『花の女子高生』、って言い方もどうなの」
思わずツッコんでしまう。
「まあでもね、わたしもなんかやっぱり、あるよ。めっちゃ中島みゆきとか聴きたくなるとき、あるし」
「へえ……」
それこそ、『 花の女子高生』が聴く音楽じゃないような気もするけれど。
「で、何の用なの?」
「用が無いと来ちゃいけないの?」
「普通、保健室ってそういう所だと思うけど」
わたしに言われたくない、かもしれないが。
「なんか保健の先生みたい。……えっとね」
彼女、狩野さんとやらは珍しく言い淀むような素振りをした。
「ねえ、なんで別に好きでもない音楽を聴いてたの?」
あ、ごまかした。
「……叔父が、くれたから」
「ああ、もらい物なんだ。……ねえ、叔父さんて、かっこいい?」
「別に……」
かっこよくは、ない。
「そっかー。やっぱ、プレゼントはかっこいい人からもらった方がテンション上がるよね」
「別に、そんなこともないけど」
「『別に』多いな、君」
沢尻なんとかか、とかなんとかかんとか。
「わたしね、彼女いるんだけどさ」
唐突に、切り出してきた。
「なんか最近うまくいってなくてねー」
彼女、彼女か。
わたしが特別なリアクションをしなかったことについて狩野さんは少しばかり不満そうだったが、反応するよりも話を続けることを選んだようだった。
「それで、逃げてきたの」
かくまってよ、などとうそぶくが、その表情はいたって陽気なものだ。
「かくまうも何も、そんな時に女子と居たら誤解されるんじゃ?」
「! ああ、確かに……」
「思い付かなかったの……」
ノリ一発、みたいな人だな。
「でもまあ、いいや。やきもち焼くくらいでちょうどいいんだって」
いいのか。
「いやね、確かにね? このまま意地張ってたってしかたないな、とは思うんだよ? けどさ、こういうのってある程度時間欲しいじゃんか」
そういうものかな。
「たぶんさ、こっちがやきもきした分だけ、あっちもやきもきするんだよ。で、それだったら泥仕合にしよう、とするのはわたしが間違ってると思う?」
「間違ってるとは言わないけどね」
「玉虫色だねえ」
「信条みたいなものだから」
こういうときは素直に同意しておくに越したことはない、のだが。つい自分の意見を織り交ぜてしまいそうになる。その折衷、ないし葛藤の結果がこうなる。
「ま、ほどほどに飽きたらちゃんと謝りに行った方がいいんじゃない」
「……うん」
それだけ答えると、彼女は黙った。
少しの間、場が静まる。
「……ねえ」
「何?」
「さっきの曲、もっかい聴かせてよ」
「うわあ暗いね、とか言ってたくせに」
「それを言ったら保健室ちゃんだって別に好きでも無さそうだったじゃん」
いきなり何、その呼び方。
「っていうか、そろそろ休み時間終わるよ」
「ん、ああ、いいや、サボる」
「せめて先生に言ってきなさいよ」
「わかったよ」
保健室ちゃんは真面目だなあ、とかなんとか言いながら保健室を出ていく。気に入ったのか、その呼び方。
「いってきまーす」
「はいはい」
ようやく、本当に静かになった。とはいえ、すぐに戻ってくるんだろうけど。
心地よいとも悪いとも言い難い疲労があり、体感的には今月一杯分ぐらい喋ったようだ。彼女が戻ってきたら来月分へと繰り越すことになりそうである。
「ただいま」
「はい、おかえり」
というわけで、わたしの休憩時間は終わりを告げ、第二ラウンドが始まる。
「今の、いいな」
「今の、って?」
「おかえり、って」
なんか保健室ちゃん、本当に保健室の主みたいだよ、と余計な一言。
「いいじゃんいいじゃん、このまま地縛霊みたいにここに居座ってさ、いつまでもこうやって生徒の悩み事を聞いてるの」
「勝手に殺さないでよ」
「あ、じゃあさ、このノリで喫茶店やんなよ。寂しそうな人とか居場所がない人ばっかり集まってくるの」
で、あんまり喋んないの。
「喋らないんか」
「だって、そういう人ばっか集まってくるんでしょ?」
「でしょ? って言われてもなあ……」
そして「何その『失恋レストラン』みたいの」と言いかけて止めた。それこそ『花の女子高生』の発言ではないような気がしたからだ。
それもこれも、叔父が昭和の音楽ばかり勧めてくるせいだ。いや、律儀に聴いていたわたしに責任が無いかといえばそんなことも無いかもしれないが。
「そういえば、さっきの曲、聴かせてよ」
「ああ、うん」
スマートフォンを渡す。そんな簡単に人に預けちゃっていいのかと一瞬迷ったけれど、別に抜き取られて困るような個人情報があるじゃなし。そもそも目の前に居るのだし。
冬といえども快適な保健室の一角に、狩野さんの鼻歌が小さく響く。リピートし過ぎてなんとなく覚えてしまったわたしも頭の中でだけ合わせて歌ってみる。「春よ来い」って何回言ってたんだっけ。
「外、寒そうだね」
「まあね」
「何、『まあね』って。さも当然、みたいな。保健室ちゃんが天気決めてんのかよう」
「うざ絡みだなあ……」
「ま、こういうことばっか言ってるから恋人にも愛想尽かされるわけで」
「尽かされたの?」
「うーん、まだ、どうにか」
結び直せるんじゃないでしょうか、という言葉尻が小さくなっていく。
「ま、春が来ればね、この凍りかけた関係もきれいに元通りって訳よ」
「雪解けの直後って足元ぐっちゃぐちゃだけど?」
「うわ、意外と性格悪い返しだ!」
そう言って狩野さんはにへへと笑うと、スマホをわたしに返した。ちょうどチャイムが鳴り、授業が終わる。
「じゃ、ちょっと謝ってくる」
「うん」
じゃあね、とだけ返事をする。
「またね」
「ああ、うん、……また」
彼女は笑顔で帰っていった。また、しょっちゅうこんな風に来られるのは困るのだけど。
まあ、いい。
とりあえず、他の曲でも聴こうかな。
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