11、光纏いしクレヨン

 私でも、舞花でもない、三つ目の声。私は薄れゆく意識の中、声の方に視線をやる。


 ぼやけた視界に、確かに新たな人影があった。影は私を指差して続ける。


「そのクレヨンを使って下さい!」


 クレヨン……? 何の事だろう。


 影は私の胸元辺りを指しているように見えた。本能がそうさせたのか、私は尋常じゃない力で絞められ続けている首に気持ち程度力を込め、どうにか視線を下げた。


 血に塗れた舞花の両手が最初に見え、次に赤いリボン、そしてブレザーの一部が見える。


 その襟元の辺り。リボンに引っ掛かっている格好のそれが見えた。


 仄かに光を放つそれ。間違いない。


(ヒサ君の、クレヨン……? 何で、ここに……)


 さっきの弾みで落ちたのは、クレヨンの中身だったらしい。七色が詰め込まれているその箱には、僅かな色しか残されていなかった。


「早く! 早く使って!」


 声が急かす。クレヨンを使う? この状況で? 訳が分からない。


 前を見る。赤に塗れた親友の顔が、変わらず私を殺そうとしている。


 とても恐ろしくて、けれど哀しげな顔。


『……赤は、情熱……全てを溶かし尽くす、激情の炎……』


 ふと、よぎった。夢で見た、ヒサ君の言葉。


『ねぇ、っちゃん。絵を描くって、楽しいよね』

(っ……ヒサ君……)


 イヤだよ、私。まだ、死にたくない……!


 無我夢中、だった。私は感覚の無くなりかけた震える右手を叱咤し、どうにかクレヨンの箱に指を突っ込む。


 仄かに指を覆う、温もり。私はその温もりを指先でしっかりと掴み上げ、


「っぁ!」


 最後の力を振り絞って、右手を振り上げる。


 クレヨンを使う。それはつまり、〝描く〟。


 どうやら、掴んだのは赤のクレヨンだったらしい。舞花の肩口をなぞるように、赤いラインが刻み付けられる。


「っ……ぃ!」


 その次の瞬間、赤が燃え上がった。


 文字通り、クレヨンの軌跡を導火線にしたかのように舞花の肩口を炎が包み込んだ。それはあっという間に舞花の全身に及び、準備室を照らす灯火となった。


 両手の力が緩んだ隙に、私は舞花を全力で振り払う。じりじりと肌を焦がす炎から逃げるように、咳き込みつつも距離を取って息を整え直す。


「……っぁ、はぁ……ま、舞花……?」


 舞花に語り掛ける。涙で滲んだ視界の中、彼女はもはや顔すら判別できない程に爛れながらも、いまだ燃え続けていた。


「っ、舞花!」


 助けなきゃ……! 反射的に駆け出す私を、後ろから強い力で引かれてたたらを踏む。


「ダメです、行ってはいけません!」


 後ろから羽交い絞めにしてくるのは、さっきの声。私は振り返る事も忘れ、もがくように、泳ぐように、必死に前へ前へと進もうとする。


「うるさい、離せ! あの子は私の親友なの!」

「あれは律のお友達ではありません! ただの偽物です!」

「にっ……せ、もの……?」


 次の瞬間に目の前で繰り広げられた光景が、私に冷静な思考を取り戻させた。

 融けた、のだ。舞花の体が、大量の絵の具に。


 人が焼死する事なんて実際に見た事は無いけれど、舞花に起きたそれは焼死、炭化などとは明らかに違う現象だった。羽交い絞めを解除された私は、ふらふらと舞花のいた場所に歩み寄った。


 あれだけ激しく燃え盛ったのに、周囲のキャンバスなどには全く燃え広がっていない。そこには舞花が着ていた制服が、絵の具の海の上で漂っているのみ。


「……まさか、絵の具で出来てた、の……?」

「そのようですね」


 私が導き出した、普通に考えて頭がおかしいとしか言いようがない仮説に、声が賛同する。私はその時、初めて声の主を見た。


「……? あんた、転校生の」

「津至都リオナ、です。リオナ。リオナ。リオナ。はい、三回言いましたのでどうぞ、転校生、ではなくリオナをよろしくお願いします」


 選挙演説か。大和撫子のような優しい顔で、彼女――リオナは相変わらずのおかしな口調で言った。


 薄暗さが戻った準備室に、彼女は薄明りを纏って佇んでいる。その神秘性とでも言うべき何かに、歴史で名を残すような絵画はこういう人をモデルにしてるんだろうな。そんな事を思った。


「大丈夫ですか? 首。かなり赤い痣になってますけど」

「え? あぁ、これは痣じゃなくて絵の具、っつぅ……!」


 首を少し捻るだけで激痛が奔る。かなりの力で締め上げられていた事は事実なので、絵の具の赤だけじゃなく痣にはなってるかも。


「安心してください。夢が覚めれば痣も綺麗さっぱりなくなるはずですから」

「夢……? これ、やっぱり夢なの?」


「ええ。正確にはあなたの、音無律の見ている夢、になるのでしょうけど。あぁ、御挨拶が遅れましたね。そちらの夢にお邪魔させて頂いています、リオナです」

「あーもう、しつこいから。呼べばいいんでしょ、リオナ」

「ありがとうございます、律」


 のほほんと笑う。まったく……調子の狂う。


 でも、彼女の口調に安心している私もいて。口振りからして、何か知ってるっぽいし。


 こんな悪趣味な夢、今まで見た事なんてない。あるわけない。


 聞き出してやる。知ってる事、全部。


「怖い顔してますよ? 律。さしずめ、知ってる事全部吐けやてめぇ、とでも言おうとなさっているのでしょう」


 勝手に人の口調を歪めるな。内容は合ってるけど。


「あたしもご説明差し上げたいのですけど、今は少し難しそうです」

「? 何でよ」

「だって、覚めちゃいますから」

「へ……、……!」


 景色が、ぐにゃりとひしゃげる。


 キャンバスが、絵の具が、筆が、ドアが、窓が。全てが粘土を引き伸ばしたかのように形を歪めていく。世界が、崩壊していく。


「仕方ありませんね。明日はもっとゆっくりお話しましょうね、律」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 何で私……この夢、何なのよ!」


 聞きたい事があり過ぎて、頭が纏まらない。そんな私にリオナは困ったように笑いかけ、


「それでは、さようなら。そして、おはようございます、律――――」

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