四章 原因はビュリオラ、いろんな意味で4

 *



 エイリッヒはまっさきに変装を終えて、書斎で、みんなが出てくるのを待っていた。


「おお、似合うね。エイリッヒ。黒髪。断崖の魔術師を名乗るなら、そっちのほうが迫力あるぞ」と言いながら、リンデが扉をあけて入ってくる。


 エイリッヒは髪を黒く染め、商人にも狩人にも休暇中の兵士にも見える平凡な服を着ている。


「そういうおまえも、なかなか似合ってるよ。ちょっと目つきがするどいが、いちおう裕福な家のおぼっちゃんに見える」


 リンデはサイズがちょうどよかったので、この家の主人ベリーヒトの服を拝借している。ふだん黒ずくめなので、黒以外の服を着ただけで、ずいぶん、ふんいきが違う。


「おまえが黒以外を着てるとこ、初めて見る……気がする」

「おれが黒しか着ないのは、おまえが見わけやすいようにだ! いろいろ服かえると、おぼえてくれなかったじゃないか」


「そうか? 悪かったなぁ」

「悪いなんて思ってないくせに……」


 ブツブツ言ってるので、エイリッヒは話題をそらした。


「シャルランたちは、まだなのか?」

「あいつには化粧道具、渡しといた。ちゃんとできてるのかな? あいつ、いつも、すっぴんだろ」


「お色気なしだからな。もう少し艶っぽければ、旅の夫婦ってことにしたのに」


 冗談のつもりだったのだが、リンデは変な顔をした。


「なあ、エイリッヒ。そりゃ、シャルランは、いい子だ。まっすぐで、明るくて、いっしょうけんめいで可愛い。でも、見ただろ? あの地下牢のなかで」


 エイリッヒは口をつぐんだ。

 じつを言うと、そのことを手帳に補足するために、こっそり一人で書斎に、もどってきたのだ。シャルランの前では、とても、そのことは書けない。


「あの子は、やめときなよ。ベリーヒトの所有物だ」


「違う。あの子は精霊だ。自分では人間だと思ってるみたいだが、魂の形でわかる。あんなにけがれのない魂が、人間であるはずがない。精霊でも、めずらしい」


「どっちみち、なんか、わけありだ。でなきゃ、あんなことにはなってないよ」

「おれと同じだな。大切なものを、あの子もなくしたんだ」


 しかたなさそうに、リンデは肩をすくめた。


「まあ、恋愛は自由だよ。あんたが泣くとわかっててもね。じゃあ、おれは、そのわけあり娘がどうなってるか、見てくる」


 リンデが出ていったあと、エイリッヒはペンをとりなおし、手帳に文章をしたためた。


 さっきの推理の内容と、これから港へ船乗りを探しに行くことを書いて、ペンを置く。


(前回のあらすじ……か)


 ほんとは、エイリッヒだって、もっと詳細に書いておきたい。


 リンデとの毎日のたあいないやりとりで、ふっと心があったかくなったとき、その思い出が消えてしまうのは惜しいと思った。


 だが、詳細に書きすぎると、あとで読み返したとき、ほんとに重要なことがなんだったのか、わからなくなる。泣く泣く、あきらめているのだ。


 これまで、いったい、どれほどの数の思い出が、自分の内から、こぼれおちていったのだろう。

 ささいだけれど大切な思い出。

 愛しい記憶の結晶たち。


 ほんとは、どの一つも失いたくなかった。


 失われ続けるこの生が、これからも果てしなく続いていくのだ。どこかで終わらせることはできないのか。


(あの香りの持ちぬしを探しあてれば……そして彼女から、おれの捧げたものをとりかえせば、おれは以前のおれに、もどれるはずだ)


 わずかに残る前世の記憶を、エイリッヒが必死にたぐりよせていたときだ。

 デスクの上に立てられた本が、一冊、コトリと倒れた。


 エイリッヒは、なんとなく、その本を手にとった。

 そしてタイトルを目にした瞬間、心臓が止まりそうになった。



『白い薔薇と赤い薔薇の寓話』



 それは、手描きの彩色画を本に装丁した自家製本らしかった。文字も手書きの美しい絵本だ。


 エイリッヒはふるえる指で、本をひらいた。

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