一章 人形師と小間使い、そして魔術師(前編)
ある朝のことでした。
お城の王さまから、ご主人さまのもとへ使者が来ました。
ご主人さまは評判のいい人形師です。
なので、お姫さまのために人形を作らせようというのでした。
「ご主人さまぁ。王さまがお呼びですよ。お迎えの馬車で、お城に来てほしいんだそうです」
使者のご用向きを伝えに行くと、ご主人さまは、おびえた猫のようにベッドにかけあがり、ふとんを頭からかぶってしまいました。
「いやだ! 行かない。僕は行かないよ! 行ったらギロチンが待ってるんだ。縛り首なんだ。なわで落とされて首を縛られるんだ!」
シャルランは、ため息をつきました。
あっ、シャルランっていうのが、あたしの名前です。
ご主人さまにお仕えする召使いです。
「ご主人さまぁ。それを言うなら、なわで縛られて首を落とされるですよぉ」
「そんなの、どっちでもいいよ。僕は行かないから。殺されるっ! ギロチンだ! 火焙りだ!」
「…………」
いきなり、すいません。
見苦しいところをお見せしました。
でも、どうか、ゆるしてあげてくださいね。
ここ二、三百年のあいだ、世間で魔女狩りなんてものが流行っちゃって、不思議な力を持つご主人さまは、世間の迫害をもろにかぶっちゃったんですよね。
今じゃ、すっかり、ひきこもりになってしまったのでございます。
お優しくて、優雅で、たいそうお美しいご主人さまなんですけどねぇ。ちょっと
シャルランがお守りせねば、一日たりと生きていけないでしょう。
「ご主人さまぁ。魔女狩りの時代は終わったんですってばぁ。今はまた占いや、おまじないがブーム! 神秘主義到来なんですよぉ。だから、お城に行っても殺されませんよ」
あたしは、えいやっと勢いよく、ふとんをひっぱがしました。
おおっ、まぶしい! 光り輝いております。
透きとおるように白い肌。
紫水晶の瞳。
その面差しは、そこらの美女など及びもつかないほどの麗しさです、はい。
これが、シャルラン自慢のご主人さま。ビュリオラさまです。
お美しいのは、それもそのはず。
じつは、ここだけの話。
ご主人さまは、青い薔薇の精なんですよ。
え? あたし? あたしは、ただのみなしごの人間です。
小さいころ、ご主人さまにひろわれて、育ててもらいました。
いえいえ、あたしのことなんて、どうでもいいんです。
ご主人さまのほうが、ぐんと複雑な設定の持ちぬしですからね。
ご主人さまの種族は、大昔、ミダス族と呼ばれていました。
ほんとは花の精なんですが、人間たちには、その不思議な力が、神話に出てくる王さまを連想させたんですね。さわったものが、すべて黄金に変わるって王さまです。
それで、ミダスなんて呼ばれていました。
ご主人さまの一族は、黄金ではないけれど、それに匹敵するくらい、人間にとって魅力的な力を持っていたので、狙われて狩られていたんです。
おかげで、ご主人さまの種族は激減しました。
ご主人さまは(たぶん)一族最後の生き残りではないかと思います。
そのせいもあって、こんな被害妄想になっちゃったんですけど……ほんとは気高いかたなんですよ? ほんと。ウソじゃないんですぅ……。
「ご主人さまぁ。誰も、ご主人さまをいじめませんから、お城に行きましょうよ。王さまのお迎えをたたきかえしたほうが、恨まれるんじゃないかなぁって、シャルランは思います」
ご主人さまは涙ぐんで、あたしの手から、ふとんをうばいかえそうとしました。
でも、残念。ご主人さまは、かよわい花の精なので、とっても非力! 力で、シャルランにかなうはずなんてありません。
ご主人さまは、ふとんをあきらめて背中をむけました。
「僕は行かないから。そんなに心配なら、シャルランが行けばいいよ」
むう。しょうがないですねぇ。
「わかりました。じゃあ、行ってきますです。お人形作りのご注文、受けてもいいんですね?」
「人形ならね」
でも、ほんとはギロチンなんだぁ、火焙りなんだぁーーとさわぐので、あたしはご主人さまをほっぽって、お迎えの馬車に乗りました。
王さまからの使者は、あたしも知ってる、フローランさん。
フローランさんはお金持ちの商人の生まれです。でも今は貴族に出世して、左大臣の補佐官をしています。商人らしい物腰のやわらかさが、女の人に人気らしいです。
「ベリーヒトは君をよこして、自分は来ないって? 困ったやつだ。たいそう腕がいいから、私が陛下に、たっての願いでおすすめしたのに。まあいいよ。やつの人嫌いは有名だから。うちの妹に人形を作ってもらうのにも、四年、通いつめた」
ベリーヒトは、ご主人さまの人間社会での偽名です。
「その節は、すみませんです」
「君があやまることはないさ。苦労しただけはあった。ベリーヒトのからくり人形は、ほとんど魔法だ。どうしたら、あんなふうに動く仕掛けが作れるんだろう?」
ほとんど魔法……ではないんですよ。ほんとに魔法なんです。
もちろん、そんなこと、絶対に言えないですけど。
魔女狩りの時代ではなくなったけど、うちのご主人さまは人間じゃないです、なんて言えないです。
シャルランがごまかすためにニヤニヤ笑ってさしあげますと、フローランさんは薄気味悪そうになさいました。
さて、馬車は走りだしました。
石だたみの街路に石造りの美しい建物。
遠くに見える尖塔が、お城です。
このあたりは昔、大きな皇帝国の一部だったのですが、世は流れて、今では、いくつかの王国に分裂しました。
あたしとご主人さまが暮らすこの町は、そういう王国の一つバーバルランドの首都、アベルンでございます。
何年か前に引っ越してきました。
古い歴史的な建物の多い、たいへん美しい都です。
古い町なので、いろいろ特産品もあります。
とくに有名なのは、薔薇の花。
観賞用や香水用の薔薇が、咲きほこり、町中が色とりどりのドレスをまとったみたいです。
もちろん、そこを気に入って、あたしたちは、この町へ来たんですけどね。
ここなら、ご主人さまの香りも、香水や庭の花のせいですって言いわけできるし。ご主人は薔薇の精だから、体臭も薔薇の香りなんですよ。
それに、薔薇の花にかこまれているのは、ご主人さまにとって仲間にかこまれているようなものなので、孤独をなぐさめられるのです。
ちなみに、ご主人さまが一番好きなのは赤い薔薇。
だからかなぁ。
シャルランのメイド服も、ご主人さまの手作りで、たいてい赤なんですよね。なんてハデなメイドだって、みんなに言われて、ちょっと恥ずかしいんですけど。
でも、可愛いんです。この服。
そんなことを考えてるうちに、馬車はお城につきました。白亜の宮殿も庭じゅう薔薇だらけで、いい香り。
大理石のゆかをふんで、白い柱と金銀細工と薔薇の花で飾られたろうかを歩いていくと、やがて大広間です。
豪華けんらんな大広間には、大勢の臣下や商人などがいて、王さまにお目通りの順番を待っていました。王さまは毎日、たくさんの人の訴えを聞き、裁きをくだしているんですね。大変です。
その王さま。銅像は見たことあるけど、実物を見るのは、シャルラン、初めてです。
ん? こういうときは、拝顔たまわるとか、ご拝謁いただくとか、難しい言葉を使わないとダメなんですか?
シャルラン、そういうの苦手なんですよ。
ま、ともかくです。
王さまに会うのは初めてなんですけど、おっとビックリでございます。王さまっていうから、てっきり老人かと思ったら、意外と若い三十代のイケメンでございました。
黒髪に、はしばみ色の瞳。肌の浅黒い黒薔薇さんです。
もちろん、この黒薔薇さんは比喩ってやつですよ?
「陛下。これが例の人形師の召使いでございます。なにぶん、ベリーヒトは病弱なもので、外出に差しさわりがあるため、本日は名代として、この者をよこしました。しかし、仕事は喜んで受けるとの返答にございます。いかような品でも心して作りあげましょう」
えっ? ご主人さまって病弱なんですか?
あたしがおどろいていると、王さまは白い歯を見せて笑いました。
「アネル(フローランさんの名前。フルネームは、アネル・ヴィヴィネル・デリト・ル・フローラン)。ウソはよい。天才人形師ベリーヒトが、たいそう変人であるとは、余も聞きおよんでいる。来たくないのならば、むりに、まかりこすことはない。要は仕事の出来だからな。お嬢さん。名前は?」
「はい。シャルラン・エリージェンです。いちおう、今は、そういうことになっております」
フローランさんがあきれた顔で、つぶやきました。
「いちおう、今は……」
だって、引っ越すたびに、ご主人さまが名前を変えるんですよぉ。シャルランだって、ずっと同じ名前のほうがラクでいいです。
王さまは、くすくす笑いました。
「主人が主人なら、召使いも召使いだ。おもしろい娘だな。だまっていれば、白薔薇のように可憐だが。
シャルラン、余の姫に会い、望みの人形を聞きだしてはくれぬか。そなたのような者なら、姫も心をひらくやもしれぬ」
「はい。がんばります!」
王さまは、ちょっぴり憂い顔(なぜ?)。
あたしはフローランさんと、お姫さまのところへ行くことになりました。
でも、その前に、王さまがフローランさんを呼びとめました。
「アネル。して、断崖の魔術師は、どうなった?」
「申しわけありません。何度も使いを送るのですが、けんもほろろのあつかいにございます」
「やつの魔法の腕は、そうとうなものだと聞くが」
「陛下。あやつには何かと黒いウワサもございます。招待に応じぬならば、このまま放置なさってはいかがでしょう」
「余は姫の喜ぶ顔が見たいのだ。必ず、近日中につれてまいれ」
「かしこまりました」
王さまはご主人さまだけでなく、断崖の魔術師も呼んでたんですね。
あたしもウワサだけは聞いたことあります。
人間の生き血をすするとか、子どもの心臓を魔神に捧げてるとか、そんなふうに言われてる怖い魔法使いですよ。
呪われし愚者とかいう変なあだ名がついてます。
「王さまはなんだって、断崖の魔術師なんて、お呼びになるんですか?」
ろうかに出たところで、あたしは聞いてみました。
フローランさんは、ため息をつきました。
「あいつが人の思い出を宝石にできるというウワサがあるからだ。その宝石をにぎりしめれば、思い出のなかの人と会うことができるのだそうだ」
あたしは、ギクリとしました。
ギクリ&ビックリです。
(思い出の結晶化……それって、まさか?)
いえいえ。まさか。そんなことがあるわけございません。相手は人間を殺す悪い魔法使いなんですから。
でも、ちょっと気になるウワサではありました。
「王さまはお姫さまのために、どなたかの思い出を宝石にしたいんですか?」
「お妃さまが亡くなったのは五年前だ。姫さまが七つのときだった。あれ以来、姫さまは、めっきり、ふさぎこんでおられる。陛下は姫をおなぐさめしたいのだ」
「娘思いのお父さまなんですね」
「陛下とお妃さまは、ほんとに仲むつまじいご夫婦であられた。心から愛しあっていらしたのだ。一粒種の姫のことは、お二人とも掌中の珠と慈しんでおられた。お若くして、あの世に召されたお妃さまは、さぞ心残りであったろう」
「泣ける話ですね……」
シャルランはハンカチで目頭をおさえました。
「そのようなわけで、姫さまには気難しいところがおありになる。しかし、それは母上を亡くされた、さみしさの表れ。くれぐれも態度には気をつけるのだぞ」
「はーい」
姫さまのお部屋は後宮のなかにありました。
庭の薔薇園が、窓のすぐ外にひろがる、夢のように美しいところです。
姫さまは窓辺にすわって外をながめていました。
フローランさんが入口で立ちどまったので、シャルランも止まりました。
姫さまのお顔は逆光になって、よく見えません。
ニンジンのような赤毛だなということはわかりました。
「エメリア姫。本日は名高い人形師の使いを呼んで参りました。人形師は生きているかのごときカラクリを作る、天才ベリーヒトでございます。
きっと、姫にもご満足いただけるでしょう。お望みの人形をおっしゃってください。どんな品でも必ず作らせてごらんにいれます」
あ、もう。また勝手なこと言うんだから。
いくらご主人さまでも、作れないものもありますよぉ。
でも、注文を聞くまでもありませんでした。
お姫さまは、こっちを見るなり叫んだからです。
「人形なんていらない! 帰ってよ!」
うう……それはそれで、ちょっぴり悲しいです。
ご主人さまのお人形は、ほんとにスゴイのに。
「あのぉ、姫さま。お人形といっても、キレイなだけの、そのへんの人形とは、わけが違うんですよ。
ご主人さまなら、本物のように鳴く小鳥や、甘えん坊の子猫や、ちっちゃな動くクマさんなんかも作れるんです。ピンクのウサギとか、水玉もようのヒツジとか」
お姫さまは一瞬、だまりました。が、やっぱり、
「いらないものは、いらないの! 帰ってよ。あなたなんて、キライ!」
きゃあっ。きらいって言われちゃいました。
シャルラン、この言葉、苦手なんですよねぇ。
「あたしが会いたいのは、断崖の魔術師だけよ。つれてくるなら断崖の魔術師にして!」
姫さまはそう言って、ガラス扉から庭へ出ていってしまいました。手ごわいです。
フローランさんが、また、ため息をつきます。
「姫のごきげんがすぐれないようだ。後日あらためて来てくれ」
しょうがないですねぇ。
それにしても、シャルラン、気になりますです。
断崖の魔術師、何者ですか?
「フローランさん。断崖の魔術師のところへは、いつ行くんですか?」
「は? 今日はこれ以上、執務をのばせない。明日以降だな。夜は行けないしね」
「なんで夜は行けないんですか?」
なぜか、フローランさんは、うろたえました。
「なぜって……それは、そう。あのへんは治安も悪いし、イヤなウワサのある魔法使いのところに、真夜中、たずねていく勇気はないね」
「そうですか。魔術師の住む場所を教えてください」
「まさか、君一人で行く気じゃないだろうね? 崖の上の一軒家だよ。住んでるのは、いまわしいウワサのつきまとう魔術師だ。そのうえ、今は城下で不審死が続いている。悪いことは言わないから、やめておきなさい」
「不審死……ですか」
「君は知らないのか? 若い娘ばかりが狙われて、もう五、六人も殺されているだろう?」
「ああ、そういえば、そんなウワサ、聞きましたです。時計塔の針が夜中の十二時をさす瞬間に背後をふりかえると、足音が家までついてくるんですよね。朝になって家族が起こしに行くと、水びたしになった死体が……こ、怖いです!」
「……それは、違うウワサだね。子どもだましの怪談話だ」
あたしのとっておきの怖い話を、フローランさんは、かるく、いなしました。大人です。フローランさん。
「とにかく、こっちの人殺しは怪談じゃないんだ。何人も犠牲者が出てる。ここだけの話、断崖の魔術師の仕業じゃないかと、私は案じているんだ。だから、君も用心しなくちゃダメだ」
「わかりました……」
あたしはフローランさんから聞きだすことをあきらめました。でも、魔術師に会うのをあきらめたわけじゃありません。
こう見えても、シャルラン、そこらの男の人より力持ちなんです。ワインがつまったタルくらい、かるがるですよ。
なんででしょうね。
気にしなくていいよと、ご主人さまはおっしゃるんですけど。
「じゃあ、あたし、急ぎますんで、失礼しまーす」
あたしはお城をとびだすと、町で話を聞きました。
でも、みんな、断崖の魔術師と聞くと、すぐに逃げだしてしまうんですよぉ。
やっと、道ばたでパイプをふかしてるおじさんたちが話してくれました。
「すみませーん。断崖の魔術師って知ってますか?」
「知ってるよ。女の生皮をはいで、はく製を作るとかいうヤツだろう?」
「えっ? はく製……」
「残った肉はシチューにして食っちまうそうだ」
「シチュー……」
「そいで、食べかすの骨をつなぎあわせて、召使いにするって話だね」
イヤなウワサですねぇ……。
「その魔術師なんですけど、どこに住んでるんですか?」
おじさんたちは顔を見あわせました。
「荒野の果ての海辺の断崖さね。昔は砦に使われていた塔に住みついとるよ」
ふむふむ。それで、断崖の魔術師。
「あそこあたりは昔、戦場でな。夜な夜な、亡霊が出るんだ」
「荒野をさまよう黒い影につかまると、二度と日の目を見れんという言い伝えじゃ」
もう……なんだって、イヤなことばっかり言うんですか。
「嬢ちゃん、まさか断崖へ行く気かね? やめときなされ。断崖の魔術師は、それは恐ろしい大男で、身の丈は二階建ての家より大きいそうだよ」
「そのうえ、たいそうみにくくて、その姿はヒキガエルにソックリだそうだ」
「かんしゃく持ちの暴れん坊で、怒りだすと戦車のように町を破壊していくそうじゃ」
「やめときなされェ」
「やめときなされェ」
ああ、なんか、イヤだなぁ……。
でも、シャルランは、がんばるですよ!
ご主人さまのためですから。
とりあえず、海辺に出るために歩いていくと、にぎやかな港につきました。
アベルンは海運業の盛んな町です。
たくさんの船が外国とのあいだを行き来しています。
アベルン産の香水も、ここから外国へ運ばれていくんですねぇ。
「わあ、潮の香り。ウミネコさんが鳴いてますぅ」
港に
活気ある港の近くには、市場があり商家があり、宿があり、そして酒場もありました。
シャルランが荒野へ行こうと、西にむかって歩いていますと、『人魚のいけす』って絵看板をかかげた酒場がありました。
そこから、ふらふらと男の人が出てきました。
純金のように輝く髪に、エメラルドのような瞳。
ふわぁっ、きれいな男の人だなぁ。
シャルラン、ビックリです。
こんなキレイな男の人、世の中にはいるんですねぇ。
ご主人さまに張るくらい美人ですよ。
ご主人さまは薔薇の精だから、あたりまえなんですけど、この人、人間ですよねぇ?
シャルランが目をみはっておりますと、男の人が、こっちを見ました。にっこり笑って近づいてきます。
笑顔がゴージャス!
でも……うぷ、お酒くさいです。
すると、いきなりーー
「白薔薇!」
抱きついてくるじゃありませんか。
「何するですかぁ! この超美形酔っぱらいィ!」
シャルランはグーで男の人をなぐりました。
あッ、しまった。やりすぎた。
シャルランが力いっぱいなぐると、男の人でもアゴの骨くだけちゃうんですよね……。
美形さんは、みごとにふっとばされて、街路にのびていました。
「す……すみません。生きてますか? あなたが、いきなり抱きついてくるからですよぉ。手かげんするの忘れてしまったじゃないですか」
倒れた美形さんのまわりをウロウロしていますと、酒場から女の人が出てきました。強い香水の匂いがします。
「ちょっと、ミケーレ。大丈夫? あーん、だから飲みすぎだって言ったじゃなーい」
女の人がゆさぶると、ミケーレさんは、うーんとうなって起きてきました。よかった。アゴはくだけてない。
「……いって。すごいパンチだな。今のは、きいたよ。お嬢さん」
「ええッ。なによ、それ。この女、あなたをなぐったの? ひっどーい」と、女の人が大さわぎします。
とりあえず、あやまっとかないと。
「す……すみません。でも、この人が急に抱きついてきたから……」
女の人は、もっと大さわぎしました。
「ええッ。なにそれ。ミケーレ、あんた、こんな青くさい小娘にまで手を出したの? 信じらんない」
ミケーレさんは、あたしを見たあと、頭をかかえました。
「おぼえてない!」
「ええッ、なんですか、それ。失礼な酔っぱらいですねぇ」と、これは、あたしです。だって、ムカつくじゃないですかぁ。
女の人が、くってかかります。
「何よ、あんた。ちょっと抱きつかれたくらいで、くどかれたとか思ったんじゃないでしょうね? ミケーレは、あたしの恋人よ。ねえ、ミケーレ?」
ミケーレさんは女の人を見あげて、やっぱり頭をかかえました。
「おぼえてない!」
「きいいッ。ミケーレのバカ! バカ、バカ!」
ミケーレさんは女の人に、ボコボコになぐられました……。
すると、そこへ、人魚のいけすから、かっぷくのいい中年の女の人が出てきました。
「マチルダ。いいかげんにおし。ミケーレのバカは今に始まったことじゃないだろ」
「おかみさん……」
「ほらほら。あんたの恋人のミケーレが飲みあかしたんだからね。店の片づけをやっちゃくれないかね」
女の人はブツブツ言いながら、酒場へ入っていきました。おかみさんが、こっちをむきます。
「悪かったね。あんた。ミケーレのやつは、酔うと誰彼なく抱きつくクセがあるんだよ」
「迷惑なクセですねぇ」
「まったくさ。おかげで、しょっちゅうケンカざた。うちも困ってるのさ。コイツがいいのは顔だけなんだから。あんたも、だまされちゃいけないよ」
はて、だまされる? 顔がいい人はウソつきなんでしょうか?
おかみさんは、かるがると美青年を抱きおこしました。
「さ、ミケーレ。さっさと帰っておくれ。こんだけ飲みゃ、充分だろ」
ミケーレさんは乱れた金髪のあいだから、ぼんやり空を見つめて、ふらふらと去っていきました。あの人、あの調子で大丈夫なんでしょうか?
「なんだか心配な人ですねぇ」
「そうなんだよ。それでつい、ツケで飲ませちまうんだが。なにしろ、あの見てくれだからね。女はみんな、アイツに弱いのさ」
おかみさんはお店に帰っていきました。
港を出ると、景色は
ゴツゴツした岩。大地にこびりつくようなヒイラギの茂み。
ゆるい勾配をあがっていくと、海岸線がせりあがり、崖になっていきました。荒地の果てに塔が見えます。
ふう。あそこが魔法使いの住処ですか。ちょっと遠いですね。ふつうの女の子なら、片道二時間はかかりますよ。
近づいていくと、陰気な石造りの塔は、大きなカシの木の扉でとざされていました。
「すみませーん。あけてくださーい。こんにちはぁ。断崖の魔術師さーん」
呼んでも返事がないので、扉をたたいてみました。
コンコンコン。
返事はない。聞こえないのでしょうか?
トントントン。
ふむ。無言。
では、ドンドンドン。
反応なし。
よーし、じゃあ、これならどうだ!
あたしが、こぶしをふりあげて、思いっきり叩きまくりますと、なかから悲鳴みたいなものが聞こえてきました。ものすごい勢いで扉がひらきます。
「やめろォッ! 聞こえてるんだよ! 世の中には居留守っていう高度な技が存在することを知らんのか? うちの戸を破壊するな! 鉄球でも打ちつけてるのか?」
出てきたのは、黒ずくめの男の人でした。
黒髪に青い瞳。少年と言ったほうがいいでしょうか。猫みたいに優美で、しなやかな体つきです。
この人が断崖の魔術師?
話に聞いていた大男のヒキガエルとは、ずいぶん違いますねぇ……。
「女の人の生皮をはいで、はくせいを作るっていう、悪い魔法使いは、あなたですか?」
シャルランは指をつきつけました。
黒ずくめの男は、ニヤッと笑いました。
「へえ。ずいぶん可愛いエモノが来たなぁ」
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