第31話
「街の外に出たい?」
起きた灰犬とキュレウに、ノワールが言った言葉が、街の外に出たい、というものだった。
灰犬は何かを察したように、神妙な表情でノワールを見ていたが、分からなかったキュレウは笑いかけながら首を傾げた。
「別にいいけれど……何かあるの?」
キュレウの言葉に、ノワールは笑おうとして失敗したような笑みを浮かべた。
「えっと、その……見届けてほしい事があるんです。」
ノワールの表情を見て、キュレウも何かを感じ取ったのか、笑みを引っ込めた。
「……ノワール、あなた、見届けてほしいって、まさか……」
キュレウのその言葉に、ノワールは、こくんと頷いた。
キュレウの表情が厳しくなった。
「本当に、あなたはそれでいいの?」
「いいんです。自分なりにじっくりと考えて、決めた事ですから……」
目を逸らしながらそう言うノワールに、キュレウは歩み寄ると、手を取って言った。
「一応言っておくけど……私は、私達は、あなたが迷惑だとも、負担だとも思ったことはないわ。
それでも、あなたはそれを選ぶの?」
心配そうにそう言うキュレウの手を、ノワールは両手で挟みながら顔を上げ、涙で濡れた笑みを浮かべた。
「ええ、分かってますよ。きっと、キュレウと子犬さんならそう言うって。
でも……私は、こちらを選びます。」
ノワールの決意の籠った言葉に、キュレウは、何を言ってもノワールは意見を変えないだろう事が分かって、悲しそうに眉を下げた。
「そう。あなたがそれを選択するなら、私はそれを尊重するわ。……でも、寂しくなるわね。」
そう言って、キュレウは悲し気な笑みを浮かべた。
屋敷を出て、街の門へと向かう道すがら、先頭を重い足取りで歩くノワールを見ながら、キュレウは灰犬に話しかけた。
「狂呪具って……壊れないんでしょう?」
「そう、だな。」
キュレウは、唇を引き結んだ。
「……どうするか、なんでそうなるのかは分からないわ。
でも、ノワールは……死ぬつもりなのね。」
灰犬は、俯くキュレウに視線を向け、ノワールに目線を戻しながら言った。
「死ぬ、とは少し違うんだろうけど。でも、狂呪具として終わりを迎えるつもりなんだろうね。」
少しだけ、悲しみを含んだ声でそう言う灰犬に、キュレウは自分の手のひらを見つめた。
「ノワールは、本当に納得できているのかしら?本当に、これで良かったの?
……私は、ノワールを幸せにしてあげられたのかしら……」
「……幸せだった、とは思うよ。でも、だからこそ、思う所があったんじゃないかな。
ノワールと、ノワールという狂呪具と普通に接する事ができたのは、俺達だけだ。スデープや、あの屋敷にいるメイド達は、ノワールに怯えていた。
それは、彼女にとって、辛い事だったと思うんだ。」
灰犬はそう言いながら、キュレウが見つめている自分の手に、手を置いた。
「気持ちは分かるよ。もっとできることがあったんじゃないか、ってね。」
「うん。」
「できる事は、あったかもしれない。でも、やっぱり、どうしようもない事もある。
諦めたくはないけど……でも、これが、ノワールが選んだ事なら、俺達はそれを尊重して、最期まで見届けよう。それが、ノワールに関わった俺達にできることだと思う。」
灰犬の言葉に、キュレウは頷いた。
手を離し、前を向いた灰犬の視界の端に、赤い何かが見えた。
その瞬間、噴き出る殺意を灰犬は感じて、ブワッと毛を逆立てた。
「ノワール、キュレウ、伏せろっっ!!!」
「えっ?」
立ち止まって、灰犬に振り返るノワールに、灰犬は飛びかかって地面に抑えつけた。
そんな灰犬の頭を掠めるように、赤い荒縄が物凄い早さで通り過ぎていった。
キュレウは既に伏せていて、赤い縄が通り過ぎると、外へ出ると聞いて用意していた短弓を取り出して構えた。
灰犬は、顔を上げると、街にいる人に聞こえるように叫んだ。
「逃げろ!!狂呪具……『真っ赤な縄』だ!!」
一瞬の沈黙の後、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
灰犬は片手で地面を突いて飛び上がると、ノワールの前に、庇うように牙を剥き出しにして立った。
キュレウは、『真っ赤な縄』を見ると、その様相に顔を顰めた。キュレウは魔術を使って、強い風で自分の体を浮かせて屋根の上に飛び乗ると、上空を睨みながら何時でも矢を放てるように弓を構えた。
灰犬は、低い声で唸りながら、『真っ赤な縄』を見上げ、舌打ちして呟いた。
「こんな時に、出てきやがって……」
虚空からいきなり現れた『真っ赤な縄』は、空を埋め尽くすように、あちこちから太さがバラバラな縄を網の目のように出しながら、ノワールを狙っていた。
『そこをどけ、小僧。我は、救いをもたらしに来たのだ。』
「救いだと?」
灰犬は、『真っ赤な縄』の声なき言葉に、額に青筋を浮かべると、鼻を鳴らし、瞳を真っ赤に染めながら怒鳴り散した。
「ふざけるな、人殺しが救いな訳がないだろうがっ!!
お前みたいな奴に、ノワールを殺されてたまるかよ!その縄、噛み千切ってやる!!」
灰犬は、能力を使って、ノワールに向いていた『真っ赤な縄』の殺意を、自分に向けた。挑発するような言葉も相まって、『真っ赤な縄』の殺意はあっさりと灰犬に向いた。
『我が救いが理解できぬとは、悲しい奴だ……まずは、汝から、救ってやろう。』
四方八方から襲いかかってくる『真っ赤な縄』に、灰犬は暗器を袖から出しながら、怒りのままに吠えた。
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