シャイニング・ウィング

つじもとゆんま

第三世界

第1話:日の出と鳥たち

 ちゅん、ちゅんちゅん・・・。

 春が過ぎ、夏が始まろうとしている、6月の朝。日の出の時間が早くなり、6時前の静かな時間帯であっても、周囲は明るくなっている。

 まだ、人々が動き出す前の、このだけ僅かな時間は、自然の音が何者にも遮られることなく、響き渡る。

 ここが、都会のど真ん中であったとしても、それは変わらない。都会の真ん中に立つ、このマンションの周りには緑地公園が整備されていて、数多の生き物で溢れている。

 少女、翼は、そこから聞こえる音が大好きだ。全てを優しく包み込む太陽と、自然の声。鳥たちの囀りが彼女の耳に届く。

 

 ガラガラガラ――。


 窓を開けて、ベランダに出る翼。外に出ると、柔らかな風が翼を包み込む。


 「また来たの?」


 ベランダの手すりに止まっている燕に語りかける翼。今年になってから、自分の部屋の前のベランダに現れる様になった1羽の燕。毎朝、翼がベランダに出ると、翼の事を待っているかの様に。

 翼は手を指し伸ばし、燕をそっと撫でる。人差し指の先でちょっと触れると、燕は嬉しそうな表情を浮かべる。

 暫くして、燕は向きを変えると、大空へと飛び出していった。彼の向かう先には、昇り始めた大きな太陽があった。


 「行ってらっしゃい」


 太陽に吸い込まれていく燕に手を振りながら、翼は室内に戻る。

 自室には温かな日の光が差し込み、机に置かれている、置物を照らしている。その置物に目をやり、着替えを始める翼。クローゼットから、ワイシャツと中学の制服を取り出す。彼女の通う学校の女子の制服は、ライトブルーに、白のリボンタイをあしらった制服になっている。

 着替えを済ませた翼は、朝食を済ませると、支度を整えて家を出る。

 自宅から学校までは徒歩で20分程の丘の上に立っている。そこに、「私立朱鷺ノ丘中学」はある。私立だけあり、広大な敷地には、中学の他に、高校が隣接している。

 学校が立地しているのは、文字通り、朱鷺ノ丘と呼ばれる丘の上。翼は、朝早く、どの生徒よりも早く登校し、誰も居ない学校へと向かう。

 誰も居ない学校は、彼女に特別だ。他の生徒が居ない、学校は、まるで様子が違う。静寂が包み込み、まるで、世界で自分だけが残されてしまったかの様な。そんな気持ちになる。

 翼は、校内に入ると、昇降口を通りすぎると、敷地内の端の方へ向かう。そこには、円形の建物がある。そこは、ちょっとした、植物園とでも言えるくらいの場所。ここが、彼女の一番のお気に入りだ。翼は、この植物園を管理する委員会に所属している程、この場所がお気に入りだ。

 翼は、電子ロックされている鍵を開け、中に入る。中に入ると、たくさんの植物たちが翼を迎え入れる。翼は、さらに奥へ進み、委員会の人しか入れない場所へ行く。そこは、この園内の装置を管理する場所であり、翼はまず、植物たちに水を与える為の、装置を起動させる。

 機械が水を撒いている間、翼はさらに部屋の奥へと進む。奥の部屋には、植物に関する書籍が収められた本棚が並んでいる。その内、一番左の棚に向かった翼は、周囲を見回してから本棚に向き合う。


 「開け、エデンの知識」


 翼が呟くと、本棚が奥へ「ガコン」と音をたてて下がり、右へスライドし、下へと通じる階段が姿を現す。この植物園には、隠された、通路が存在していたのだ。その事を翼は偶然知った。この通路の事を知っているのは翼だけだ。以前、学校の設計段階の図面を見る機会があったが、その図面に、この場所は記されては居なかった。

 翼は、奥へと入ると、扉を閉める。ここの事を誰にも話していないのは、悪いと思いつつも、この奥が翼に取って、今最も安らげる場所。

 そこは、翼の見たことのない物ばかりで溢れている。階段は、翼が通る度に光が円形に広がる。下へ向かう程に、水の流れる音が聞えて来る。階段を一番下まで降りると、そこには小川が流れている。そこを飛び越え、さらに先へ進むと、そこに、翼の求める場所がある。


 「――うっ」


 その場所を言葉で表すのは難しい。その場所は地下に存在しているはずにも関わらず、地上と同じくらいに明るい。天井から、太陽とは違った光が差し込んでいる。それは、天井自身が光を発していると言えば正解に近しい。

 広さは、普通の教室程か、それより少し広い感じだ。四方を壁に囲まれているが、小さな植物が、無機質を鮮やかに彩り、空間の一角には本棚が設置されている。そして、空間の真ん中に、ぽつんと置かれた机がある。これが何のために置かれているのかは、翼には分からない。ただ、そこが、翼の一番のお気に入りだ。


 「よいしょっと」


 翼は鞄を机に置き、机とセットになっている安楽椅子に腰かける。

 天井を見上げ、目を閉じる。地上とは違った空気が流れるこの場所では、時間の流れがゆっくりに感じられる。さらに、周囲から聞こえて来る音は、側を流れる小川の音だけ。地上の音は一切入り込む余地が無い。

 翼はこの場所をつくづく不思議だと思う。地下にありながら空気が地上と同程度に存在している。ましてや、地上よりも空気が綺麗な気もする程。

 初めてこの場所に来た時、翼はとても驚いた。その時の感情は今も忘れていない。澄んだ空気に、温かな光が差し込む一つの空間。それは、翼が好きな初夏の朝と同じような物だった。一体、誰が何の目的がこの場所を作ったのか・・・。それは、いくら考えても分からずじまい。この場所の本棚にある書籍を調べればわかるかと思ったが、どれも難しい書籍ばかりで、中には、全く読めない言語まで存在する始末。だが、今はそれで良いと思っている。今は、ここが自分にとって最も求めていた場所に近い。なら、それで十分だと。

 翼は椅子を椅子をユラユラと揺らしながら目を閉じ、暫し夢の中へと入る。地上では少しづつ、生徒たちが登校を始める頃。しかし、そんな彼らの音を、翼が感じ取る事は無い。全てが隔絶されていると言っても良いこの場所では。



*************************************



 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 誰かが走っている――。

 夢と言うのは不思議な物だ。夢の内容が余りにも現実からかけ離れてたり、前に一度でも見たことのある内容だったら、意識して居なくても、それが自然と夢だと判別がつく。特に、夢の中で自分が主人公では無く、第三者の目線である時はなおさらだ。

 今の私はまさにそうだと思う。


 夢の中に確かに翼は居る。だけど、夢の中の登場人物達は、翼を認識することは出来ない。なぜなら、そこに。 

 だから、彼女がこの光景が夢であることを感じ取るのに時間はそう掛からなかった。だが、人と言うのは実に不思議な物だ。それが夢であると認知しても、そこから先へ進む事は難しい。無理に現実世界へ戻ろうとしても無理なのだ。意識ははっきりしている。けれど、今体は眠っているのだ。夢から意識的に現実世界へ浮上するなど、果たして本当に可能なのだろうか?

 そして今、翼の見る夢では、一つの事件が起きていた。


 「急げ!早く、こっちだ!」

 「うん!」


 走りながら叫ぶ少年。その少年の声に応える少女。状況的に、追われているように見える。

 少年と少女は、どこかの建物内の通路を走っている。それが何処なのか夢の中の翼には分からない。その場所は、近代的な造りであることに間違いはない。もしかしたら、今居るこの世界よりも発展した技術のある世界が舞台なのかも知れない。どっちにしても、今の翼は夢と言う劇場で上映されている物を見て居る観客でしかない。夢の中で起きている事を演じている演者ではない。だから、翼には分からない。


 何だろう、これ・・・。


 その夢は翼も初めて体験する夢だった。


 通路を走る少年と少女は、曲がり角を曲がり、偶然開いていた一室に身を隠す。

 扉を閉め、後ろから迫って来る追手を撒く。


 「レイ君」

 「しっ!」


 レイ君、と呼ばれた少年は、少女の口元に指をあて、扉に耳を併せる。

 

 「ちっ、あいつらどこへ行きやがった!?」

 「まだ、そう遠くへは行ってないはずだ。探せ!」


 何か、追われてる?


 夢が物語の途中から再生される程、夢に置き去りにされる物はない。今、翼の意識は扉の前で止まっている。追われていた二人が、扉の奥の部屋で今どうなっているのか、翼には分からない。夢の中だからと言って、扉をすり抜ける事は出来ない。

 翼の目には、彼らを追って居た、男四人が映っている。手には長い棒状の物。ファンタジー作品などでよく見る魔法の杖にも見えるが、先端は槍上になっていた。

 少年たちを追っていた男たちが翼を置き去りにして走り去ると、急に場面が変わる。扉の中に逃げ込んだ少年たちの場面だ。


 「・・・」


 少年、レイが扉から耳を話すと、ホッと、息を吐く。その彼の様子に、行動を共にしている少女も安堵する。状況的には少しばかりの時間が稼げるようになった。


 「柚さん、柚さん、聞こえますか?」

 「・・・」


 レイは腕に付けた端末に、柚、と呼ばれる人物に問いかける。


 「くそ、柚さん、柚さん!」

 「・・・」


 何度呼びかけても反応は無い。通信が上手く接続できないのか、端末の画面は黒いまま。その事に、焦りを覚える二人。見つかるのも時間の問題だった。


 「レイ君、これからどうする?」

 「ここでじっとしていても、いずれ見つかる」

 「そうだけど・・・」


 彼の言う事は最もだ。男たちの向かった先に誰も居ないと分かれば、自然と、部屋をしらみつぶしに捜索していくだろう。そうなれば、ほぼ確実に見つかる。

 彼らに声を掛けなければ、翼はそう思うが、体は動かない。動こうとしても、体が重い。


 今ならまだ間に合う。早く、ここから出て。


 声は途切れ途切れになり、上手く音として伝わらない。これが、夢と言う劇場で演じられている参加型の演劇なのか――。参加しようとしても、体が、意識がそれを拒否している。自分は観客なのだと。そこに入ってはならないと。

 今の翼は夢の主人公では無い。他の主人公の物語を見せられているに過ぎない。

 翼がもどかしさを覚える中、少年レイは俯いたまま、何かを考える。


 「奴ら、この部屋のどこかに居るずだ、探せ」


 先程、走り去った男たちが再び戻って来た。まだそれほど時間は経過していない。その事に、レイ達だけでなく、翼も一緒に焦る。このままでは捕まってしまうと。


 「ティア、君だけでも逃げるんだ」

 「逃げるって、レイ君何を言い出すの!?」


 レイの言いだす言葉にティアと呼ばれた少女は困惑を隠せない。そして、それは見て居た翼も同じだった。


 「今から君を他の空間に転送させる」

 「ちょっと待って。レイ君まだ上手く力使えないのにそんなの、どこへ転送されるか分からないよ!?」


 ティアの言葉を聞いた翼は、今レイのしようとしている事が危険な事であることが伝わって来た。そして、その事はレイも承知の上と見える。だからこそ、翼は余計に困惑する。

 どうして、今このタイミングなんだと。


 「今ここで二人して捕まったら大変な事になる。君だけでもここから出る事が出来れば、まだ望みはある」

 「そんな、私、出来ないよ!」


 レイの方を掴んで訴えかけるティア。そのやり取りを見て居る翼。この三者に当てられたスポットライト。部屋の中は暗く、ライトの光は闇に飲まれている。

 レイはティアの手を降ろし、その手を握ったまま話を続ける。


 「今から君をある場所へ向かわせる」

 「ある場所って、そんなこと出来る筈無いでしょ?」


 先程のティアの言葉からすれば、今この場で転送を行うのは危険かつ、どこへ転送されるか分からないと言う状況。場所の指定など、出来ないはず。それを可能にすると、レイは言っている。


 「一ヵ所だけ、それが可能な場所がある」

 「え?」


 「くそ、ここでもねー」


 徐々に捜索の手が近づいている。一瞬二人の息が凍ったのを翼は感じとった。出来る事ならば、今外でどれくらいの捜索が行われているのか、自分の目で確かめたい。そう思っても、やっぱり体は動かない。


 早くしないと、彼らが・・・。


 「時間が無い。ティア、今から君を第三世界へ転送する」

 「まって、第三世界って、殆ど力が使えないよ」

 「分かってる。だからこそなんだ。あそこならむしろ安全だ。それに、あそこになら」


 あそこなら、その続きを言おうとした時だった。


 「残るはここだけだ」


 追手がレイ達の居場所を特定してしまった。そこに、何があると言うのかティアが訊ねようとするが、レイがそれを制止して転送の準備を始めた。

 レイはティアから距離を取ると、懐から懐中時計を取り出し、蓋を開ける。すると、そこから文字盤と針が浮き上がり、短針と長針がそれぞれ異なる方向に回転を始める。そのスピードは徐々に速くなる。それと同時にティアの周りを光の柱が取り囲む。


 「まってレイ君、私」

 

 レイを止めようとするティアに、レイが話しかける。


 「ティア、第三世界で力の持つ人物を探すんだ。きっと力になってくれる」

 「そんな事言われても・・・」


 そんなの無謀だよ。だって、ティアちゃんが言ってるじゃん。力が殆ど使えないって。それって、その世界の人達が、あなた達の様な力を持たないって事じゃ。

 

 「居たぞ!」


 ――!?


 扉が開けられ、追手に見つかる二人。そして、その追手達もレイが何をしようとしているのか察した。


 「こいつ、まさか」


 レイを取り押さえようとする一人の男。そして、回転を強める時計の針。男がレイの肩に触れようとした刹那の瞬間だった。

 

 ビュン――。


 その場からティアの姿が消えた。そして、それは翼の夢の終わりを告げるサインでもあった。現実に戻る時が来たのだ。


 そんな、今ここで目が覚めるの?


 夢は唐突に始まり唐突に終わる。もの語りのプロローグからエピローグまで、何一つ欠けずに終える事など、そうありはしない。それが、夢なのだから。

 翼が最後に見た光景は、レイと言う少年が男たちに取り押さえられる瞬間だった。


 最後に、暗闇の中を淡いピンクの鳥が飛び去って行った。



*************************************




 「・・・」


 現実世界に帰還しても、最初の光景は真っ暗だ。この暗闇を意識した時、初めて目覚めを理解する。

 

 「夢・・・?」


 目を開け、体を起こす翼。ふと、夢の中での出来事が頭の中を過って行く。


 「何だったんだろう、あれ」


 夢に疑問を抱くことはよくある。だが、今回のは少し違った。鮮明と、言うか、現実味があったと言うか。

 では、現実なのかと問われればそれは間違いなく否定出来る。なぜなら、それは夢の中での出来事。そこで起きたことは、どう頑張っても現実にはなり得ない。

 だからこそ、脳が覚醒していくにつれて、夢の出来事の記憶が薄れて行く。


 「もうこんな時間」


 翼は時計を見る。既に9時前。そろそろ朝のホームルームの時間である。

 翼は体を大きく伸ばすと鞄を持って、部屋を後にする。植物園に入る時は、秘密の場所から出て来るのを誰にも見られないようにそっと、扉を開け、体を滑り込ませるようにして出て来る。その後は何事も無かったかの様に、植物園を後にする。

 チャイムが鳴り響き、まだ教室に入っていない生徒たちが慌てる様子が見える。

その生徒たちに混ざって翼も走って行く。



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