五章 エンパシーゴーストー3

 3


 二人の前に立ち、タクミは宣言する。

「そこまでです。ダイアナから離れてください」


 彫像の持っていた本物のアーチェリーをかまえていた。


 アンソニーは亡霊を見るような目をなげてくる。

「バカな。とっくに窒息して死んでるはずだ」


「期待にそえなくて、すいません。サイコセラピストは、自己催眠の訓練を受けてるんです。危機にひんして長時間、救助を待たなければならないとき、自分に暗示をかけて、仮死状態になる。そうすれば、身体機能が極限まで低下し、酸素消費量が大幅に削減できるので。通常の数倍の時間、生きながらえることができる。

 僕は自分が柩に閉じこめららていると知って、仮死状態になった。もちろん、その前に、ユーベルとコンタクトをとってね。ユーベルが念動力者だってことは、オリビエから聞いてなかったんですか? 百キロの大理石のフタだって動かせますよ」


 アンソニーは歯噛みした。

「聞いてたら、ちゃんと二人とも殺してたさ。まったく、オリビエのやつ。使えないヤツだった」


「おかげで僕らは命びろいした。ユーベルの力で棺おけから脱出して、逃げだそうとしてたら、あなたがやってきた。物陰から、ようすを見てたら、こんなことになって。話は全部、聞かせてもらいました。推理するしかなかったところが、それで裏づけされました」


 アンソニーはタクミとダイアナを交互に見て、進退をはかっている。

 タクミは矢の狙いをそらさない。


「動かないでください。僕が弓道四段っていうのは、ほんとです。ちょっとでも動いたら、矢を放ちますよ」

「君に、そんなことできるのか?」


「できますよ。殺すわけじゃないですから。アーチェリーは日本の弓とは違うけど、この距離なら外すことはありません。足を射れば、動けなくなるでしょう?——ダイアナ。こっちに来て」


 ダイアナは身をすくませながら、アンソニーのよこをすりぬけようとした。


 その瞬間、アンソニーがダイアナにおそいかかる。


 タクミは弓の弦を離した。

 矢がするどく空を切り、ダイアナとアンソニーのあいだを裂いていく。

 アンソニーが、とびのいた。

 そのすきに、ダイアナはタクミのところまで走ってくる。


「トウドウさん!」

「もう大丈夫ですからね」


 ダイアナを背後にかばうタクミを、アンソニーは、あざ笑った。


「やっぱり甘いんじゃないか? 私を動けなくするんじゃなかったのか? それとも外したのか?」


「違います。ダイアナが無事なら、あなたを傷つける必要はないですから。アンソニーさん。僕は、あなたが好きだった。だから、もうやめてほしいんです。こんなことしたって、あなたの欲しいものは得られない。それは、あなただって、わかっているんでしょ?」


 アンソニーは、それには答えない。

「君は、どこまで知っているんだね? トウドウ。私は、うまく君の目をごまかしていたはずだ」


「ええ。あなたは、やはり偉人です。一代で巨万の富を築くだけはある。大胆で勇敢で、瞬時に好機を見ぬく直感力にたけ、頭の回転も速い。その力を善行にだけ使っていれば、いつまででも、あなたは月の人々に尊敬されていたのに」


「……いつ、気がついたんだ?」


 アンソニーはさりげなく体を起こし、体勢をたてなおす。すきのない目で、タクミを見ている。


 タクミは矢のつきたアーチェリーを足元にすてた。

 甲冑かっちゅうが持っていた飾りだから、矢は一本しかなかった。


「白状すると、すっかり、だまされてました。怪しいと思ったのでさえ、今朝になってからです。確信したのは、棺おけに入れられてからでした。あなたが僕を、爪でおそったから」


「そうか。残念だ。君の気づくのが、あと一日、遅ければ、私は火星に逃亡したあとだったのに」


 両手をひろげて、アンソニーは肩をすくめる。

 その指さきを、タクミは目で追った。


「あなたの爪、いつもピカピカにみがかれてますね。お金持ちは身だしなみに気を使うんだなと思ってたけど、そうじゃないんですね。それ、つけ爪なんだ。護身用に、そんなものがあると聞いたことがあります。

 その爪には、スタンガンが仕込まれてている。こうして爪をかむと、スイッチか入って、数秒後に先端から電気を放出する。あなたくらいの資産家になれば、誘拐やテロの危険が、つねにある。そんな護身道具を身につけていても、不思議はない。

 あなたは、それをうまく利用して、僕たちを錯覚させた。

 あなたは僕たちが、双子の弟のアルバートではないかと疑っていることを知っていましたね? その上で、わざと僕らの見ている前で放電現象を起こし、あたかも双子が入れかわっているように思わせた。あなたは、やっぱり、アルバートじゃない。アンソニーなんだ。そうなんでしょう?」


 彼のおもては無表情で、何を思っているのか、推しはかることはできなかった。


「ほんとに、そう思うのか? 私がアンソニーだと?」


「はい。あとで、くわしく話してもいいですが、マーティンさんは、あなたをかばっている。

 マーティンはエンパシストだから、あなたがアルバートじゃないことなんて百も承知していた。そして、あなたの事後従犯になった。

 もし、あなたがアルバートなら、マーティンの性格なら、最初にさわぎたててます。おまえはアルバートだ、アンソニーじゃないと。

 同じく、エンパシストのアルバートジュニアも、気づいたみたいですね。最初は父とあなたの入れかわりを疑ったものの、そうじゃないんだということを。

 それに、その爪を使って、エスパーのふりをするメリットは、アンソニーにしかないんです。

 あれは僕らに、あなたがアルバートだと思わせておけば、ダイアナに婚礼まで逃亡させないでおく足かせになると考えたからでしょう?

 あなたがアルバートなら、ダイアナは逃げる必要がなくなりますからね。アンソニーでないことを証明すればいい。それを計算して、ひと芝居うったんです」


 アンソニーは嘆息した。


「そう言われちゃ、しかたないか。そうだよ。私はアンソニーだ。でも、だからなんだと? 私がアンソニーなら、何か問題でも?

 君は私がさっき、ダイアナを傷つけようとしていたと勘違いしているようだが、それは違うよ。私はダイアナが錯乱しているようなので、落ちつかせようとしただけだ。てきとうに話をあわせてね。

 君たちを失神させたことは、あやまる。コソコソしてる君たちを見て、てっきり君たちこそ一連の事件の犯人だと思ったんだ」


 タクミは、うなり声をあげそうになった。

 さすがだ。やはり、一筋縄ではいかない。


「急に、ひらきなおりましたね。一つずつ説明しないといけませんか? 僕は、あなたが犯人だと確信しています」


「じゃあ、説明してもらおうかな。君にはムリだと思うが」


 タクミはくちびるをかんだ。


「もとはと言えば、僕がオリビエさんに情けをかけたのがいけなかったんです。最初に、オリビエさんがダイアナの寝室に侵入したとき、断固、警察につきだしておくべきだった。

 そうすれば、少なくともオリビエさんとアンさんが殺されることはなかった。アンさんが死ななければ、カメラマンのアーチャーさんも、あなたをたずねてくることはなかった。

 悔やみますよ。たったひとつ、判断をあやまったばかりに、死ななくていい命が三つも失われてしまった」


 アンソニーは何か言いかけた。

 だが、そのまま口をつぐむ。


 タクミは続ける。


「オリビエさんは、あなたをゆすったんでしょう? 僕らがダイアナから依頼を受けていると知ると、オリビエさんは自分なりに思案して、あなたかアルバートなんだと考えた。

 アルバートなら、ダイアナとの離婚に応じ、オリビエさんがダイアナと暮らす新居を買えるくらいの額の口止め料を払うとね。

 あなたはオリビエさんの口から、初めて、僕たちが探偵だと知った。あなたが双子の弟と入れかわっている可能性を調べているんだということを」


 それは、まちがいあるまい。


 最初に屋敷をおとずれた日、アンソニーはタクミを警戒しているようだった。


 妻の浮気を案じているんだと言いわけしていたが、そうではない。


 タクミはオリジナルダイアナの遠縁と名乗っていた。

 もしも、タクミがオリジナルダイアナの顔を知っていれば、彼の犯した過去の罪が明るみになってしまう。


 だから、警戒した。


 だが、あのとき、タクミが寝ぼけた返事をしたので、彼は秘密が守られていることを知って安堵した。

 でなければ、タクミの命も危なかった。


「オリビエさんは、こんなふうに考えたんでしょう。一年前のモナコの事故のとき、二人が入れかわったあと、事故で本物のアンソニーが死んだと。アルバートさんは経済的に破たんしていたから、事故に乗じて兄になりすましたんだと。

 そもそも、そこが計算違いだった。あれは事故なんかじゃない。アルバートの綿密な計画による殺人だ。アルバートはあの事故が必ず起こるようマシンを改造して、スタート直前に兄とすりかわる計画を立てていた。

 つまり、あなたがアルバートであるにしろ、アンソニーであるにしろ、残ったほうの双子の片割れは、殺意を持って兄弟を殺したことになる。

 もし計画に不備が起きて、兄と入れかわれなければ、アルバートはレースを棄権していたはずだ。でも、レースは行われ、事故は起こった。

 ここで考えられるパターンは二つだけ。

 まんまとだまされて……または不意をつかれて気絶させられるかして、マシンにはアンソニーが乗せられた。あるいは、弟の計画に気づいて、先手をうったアンソニーが、弟を昏倒させて、自分が乗せられるはずだったマシンにアルバートを乗せた。

 だから、どっちが残っても、この時点で残ったほうは殺人犯なんです。

 オリビエさんは、そこまで考えず、アルバートが死んだ兄の財産をのっとろうとしてると、単純に思った。そして、あなたを脅しに行った。

 あなたは、どうしてもオリビエを殺さなければならなくなった。

 そのとき、もしかしたら、オリビエさんは催眠銃を持って、これからダイアナの部屋へ行くんだとでも言ったのかもしれませんね。

 あなたを離婚して自由になる前に、既成事実を作っておかないと、相手にしてもらえない自覚はあったでしょうから。

 あなたにとってはハラワタか煮えくりかえりそうな状況だ。だが、あなたは機を見るに敏な人だ。瞬時に、その状況を自分の都合のいいように、くつがえす手段を編みだした。

 あなたは、いったん、オリビエに屈し、彼の行動を認めたように見せかけた。油断したオリビエを爪のスタンガンで失神させたうえ、殺害した。いや、殺害したのは、ダイアナの寝室までオリビエを運び入れたあとかもしれない。

 とにかく、オリビエさんは自分の足で、ダイアナの部屋まで行くことはできなかった。その証拠に、オリビエさんの遺体はスリッパをはいてなかったし、くつしたもぬげかけていた。あなたが、失神してるオリビエをひきずっていったからでしょう?

 ダイアナの部屋の旧式なカギは、オリビエか持っていた。室内に入ったあなたは、催眠銃でダイアナが当面、目ざめないようにした。

 オリビエの死体を部屋に残し、外からカギをかけて、密室にしておいた。

 あなたの計算では、侵入してきたオリビエに抵抗したダイアナが、あやまって彼を殺してしまった、正当防衛だった——ということになるはずだった。

 正当防衛なら、政財界に顔のきくあなたは、事件をもみけしてしまうことができた。それに、ダイアナの弱みもにぎることができる。このことは一生、秘密にするからと言えば、結婚に有利になる。

 だが、あの夜、思いがけない侵入者が現れた。オシリスがね。あなたの計画は成り立たなくなった。オリビエを殺したのは、なぞの侵入者ということになりそうだ。これは警察を呼ばなければ不自然だ。

 あなたは警察が調べれば、死亡時刻に誤差か生じることを案じた。そこで、ダイアナの貞操を疑うふりをして、警察の介入をこばんだ。ほんとは、ダイアナの身が潔白なことは、あなたが一番よく知ってたんだ」


 アンソニーは苦笑する。

 タクミの背中で、ダイアナがつぶやいた。


「……ひどいわ。わたし、ほんとに悩んだのに」


「アンソニーにとっても、あれは本意じゃなかったんですよ。あなたに嫌われることは熟知していましたからね。

 とにかく、あのころ、ダイアナを屋敷のに女主人に迎え入れたくない人たちの陰謀なんかもあって、オリビエさんの死は比較的かんたんに片づけられてしまった。

 あの毒針の事件は誰のせいかわからないけど、二人の結婚をよく思わない誰かの仕業でしょう。アンソニーがダイアナを傷つけるはずはない」


 すると、また、ダイアナが、


「違うの。あれをしたのは……わたし。わたしが自分で用意しておいたのよ。タイミングを見て自分で針を刺すつもりだったのに、何も知らないコンスタンチェが刺してしまって……」


 予想外の告白に、タクミは数瞬、言葉を失った。


「……ええと、なんで?」


「ごめんなさい。入院する口実ができれば、こっそり検査できると思ったの。科学の実験で作ったことのある毒だったから。でも、思っていた以上によく効いて、すごく怖かったわ。コンスタンチェが治ってくれて、ほんとによかった」


 化学式にも通じているとは、さすがはパーフェクトガールだ。それにしても、けっこうムチャをする。


「うっ……まあ、それは殺人とは関係ない枝葉の事件なんで、このさい、さきに進みましょう。

 アンソニーさん。あなたは、そうやって僕らの目をごまかし、安心していたはずだ。

 ところが、オリビエは、あなたがアルバートではないかって疑いを、すでにアンさんに話していた。どういう成りゆきで、そんな話になったのかはわかりません。別れ話かこじれたのかもしれないしね。

 おろかにも——ほんとに、おろかにも、僕は、アンさんのようすがおかしいことを、あなたに告げてしまった。

 あなたはアンさんに秘密を知られてしまったと考えた。あなたはアンさんを観察し、機会を待った。

 そして、あの日。ひとけのない右翼の塔へ、一人で入っていくアンさんを見た。あなたは、すかさず、展示ケースのなかにあったナイフで、アンさんを刺した。

 あなたは、この時点では、塔のなかにマーティンがいることを知らなかった。だから、とうぶん、アンさんの遺体が見つかることはないと考えて、すぐにその場を立ち去った。

 が、ここでも、あなたの予定にないことが起こってしまった。塔を出たところで、向こうから来るユーベルを見つけたんです。

 ユーベルが来るということは、どこか近くに僕もいるはずだと、あなたは考えた。

 あせったあなたは、とっさに爪のスタンガンで、ユーベルを失神させ、塔のなかへひきずりこんだ。

 顔を見られたわけじゃないから、放置しておいても害はないと思い、塔にカギをかけ、ユーベルを閉じこめておくことで満足した。

 カギは、アンさんが持っていたでしょう。以前、オリビエさんから受けとっていたコピーです」


 タクミの言葉を、そこでアンソニーがさえぎった。


「それは、おかしいんじゃないかな? あの日の状況を思いだしてみたまえ。君の相棒が犯人を前塔に閉じこめている時刻に、私は君たちと会っている。そんなことは、ありえないよ」


「いいえ。できるんです。僕が、あなたをスゴイ人だと言うのは、そういうところです。あなたは、あの日、僕たち全員に魔法をかけた。その説明をしても、いいですか?」


 アンソニーは答えない。

 だが、その目は、するどくタクミを見つめている。


「あなたはアンさんのカギで、塔の入口を施錠した。そのあと、エレベーターと屋上の渡りろうかを使い、反対側の塔へ移った。そこから塔を出て、本館へ帰るつもりだった。

 たぶん、屋上の渡りろうかに出るドアを、あかないようにしておくつもりだったんです。

 そうしておけば、ユーベルが意識をとりもどしても、自力で外へ出られないと考えたから。あなたはユーベルが念動力者だとは知らなかったですからね。

 ところが、いざ四階まで上がってみると、なんと、そこには僕とマーティンがいた」


 そくざに、アンソニーが口をひらき、抗議しようとくる。が、タクミは、それを制した。


「そんなはずない。僕らがいたのは後塔だって? 前塔にユーベルを閉じこめたのなら、四階は無人だったはずだと?——いいえ。そうじゃない。もう、わかってるんです。

 あなたがアンさんを殺害し、ユーベルを閉じこめたのは、前塔じゃない。後塔なんです。

 このことについては、ユーベルが断言しました。ユーベルはサイコメトラーでもあるんです。過去に起こったことをエンパシーで見ることができる能力を持っている。

 それで、ユーベルは気づきました。自分が、あなたの仕掛けた巧妙なトリックにひっかかっていたんだと。その説明は、あとでします。

 四階へ上がって、僕とマーティンに気づいたあなたは、逃げ場がなくなってしまった。前門の虎、後門の狼。前には僕ら、もどればユーベルですからね。

 そこで常人なら、あきらめるか、階下へおりて、ユーベルが失神してれば、そこから逃げだすでしょう。

 死体発見時間が早くなってしまうが、幸いにして、ユーベルは何も見ていない。たいした証言はできない。このことから、あなたが犯人だと疑う者はいない。

 でも、あなたは形勢が不利なときほど、真価を発揮する。ここで、また、あなたは天才的なアイディアがひらめいた。現状を利用して、自分に完ぺきなアリバイを作る方法です。

 だから、あの塔の密室は不完全だった。密室を作るのが目的ではなく、アリバイを作りたかっただけなんだから。

 あなたにとって幸運なことがあった。

 最初、あなたが四階に上がったとき、僕とマーティンは、あなたが来たことに気づかなかった。かなり大きな音をたてて作品作りに熱中してたし、エレベーターのドアがひらいても、僕は、そっちに背を向けていた。

 それで、あなたは急いで一階へ逆もどりした。

 何度か爪のスタンガンを使ったことのあるあなたは、どのくらいのあいだ、それで人が失神してるか、予測ができた。

 まもなく、ユーベルが気づく。しかしまだ、しばらくの猶予ゆうよはある。一階へおりたあなたは、塔のカベに細工した。

 ユーベルは気づいたとき、オリビエの絵がカベにかかっていたから、前塔にいると思ったそうです。たしかに、あの絵は目立つ。

 つまり、あの絵さえあれば、邸内の勝手にうといユーベルは、自分の居場所を前塔だと錯覚する。

 あなたは、その心理をうまく利用したんだ。

 どうやってなのか、明確な方法はわかりません。

 急いで前後の塔を往復して、前塔に飾られたオリビエさんの絵を運んできたのか。それとも、後塔のどこかに似たような絵があったのか。オリビエさんのアトリエに同じ絵があったのかもしれない。

 どの方法を使っていても、この場合、かまわない。

 どの方法も不可能じゃない。

 結果的に、あなたは、ユーベルを錯覚させた。

 カベに細工をし、エレベーターを二階で止めておく。

 このあいだに、僕やマーティンがエレベーターを使おうとしたら、一発でアウトだった。だけど、そこは賭けでしたね。もっとも、制作中のマーティンが、いったん夢中になったら、何時間も下に降りてこないことは、見越していたでしょうが」


 ところが、ここで、とつぜん、思わぬところから声がした。背後から声がした。ふりかえると、納骨堂の入口に、マーティンが立っている。


「おれは気づいてた。最初にエレベーターが四階に上がってきたとき。アンソニーはすぐドアを閉めたが、おれは見た。なんか変だと思ったから、おまえがエレベーターのほうを見ないように、気をそらしておいた。あのあと、数分間、二階のランプがつきっぱなしになってた」


 マーティンは悲痛な顔で、そう、つぶやいた。


「そうか。マーティンさんは初めから承知してたのか。共犯ってほどじゃないけど、アンソニーのために独断で行動してた。マーティン。あなたはアルバートジュニアから、ブローチを盗んだでしょ? それも、アンソニーが疑われないようにしたことだ」


「そうだ。コンスタンチェから納骨堂で死体が見つかったことを聞いて、さきまわりした。でも、けっきょく、おまえに気づかれたな」


 マーティンは目をふせた。

「すまん。アンソニー。だけど、もうかくしてもムダだ。こいつ、全部、気づいてる」


 マーティンの出現で、タクミたちの立ち位置も微妙になる。


 今までは、アンソニーにだけ目をくばっておけばよかった。だが、今度は、マーティンとアンソニーの両方をうかがっておかなければならない。はさみうちにされた形だ。


 タクミとダイアナだけなら、なんとか逃げだす自身はあった。でも、入口にはコンスタンチェが倒れているし、タクミの近くの柩のかげに、ユーベルがかくれている。


 ユーベルは酸欠状態で、エネルギー消費の激しい念動力を使ったので、今すぐ走ることは不可能だ。できれば、高圧酸素室での治療をしたほうがいい。


 そのことをアンソニーたちに知られてはいけない。


 なるべく平静をよそおって、タクミは話し続けた。


「まあ、僕は、ある人にヒントをもらったから気づいたんですけどね。

 さっきの続きですが、エレベーターを二階で止めていたアンソニーさんは、一階のドアがひらいたので、ユーベルが出ていったことを知った。

 そこで再度、四階へ上がり、今度は僕たちに声をかけ、存在をアピールした。僕たちに時間を確認させ、三十分後に来ることを約束した。

 もっとも、さっきの話だと、マーティンはあなたの片棒をかつぐつもりで、話をあわせていたんですが。

 だまされていたのは、僕だけだ。

 ユーベルが犯人を閉じこめるつもりで、アンさんのカギを持っていってしまったので、このとき、アンソニーさんはエレベーターわきのマーティンのカギを拝借した。

 このカギは三十分後に四階へあがったとき、そっと返した。

 マーティンが暗黙の協力者なら、これらは、かんたんなことだ。

 カギを手に入れたあなたは、あらためて一階へもどった。

 そのカギで塔の入口をあけ、アンさんの死体を前塔に運んだ。後塔のカベの細工をはずし、前塔にカギをかけておけば、殺人現場は、後塔から前塔に移動する。

 犯人は、このあいだ、前塔に閉じこめられていたことになり、後塔で僕らと顔をあわせているあなたには、鉄壁のアリバイが成立する。

 ついで言えば、凶器の短刀は、前塔の展示品ではなく、ほんとは後塔にあったんでしょ? 突発的な犯行に、手近な武器を使っただけなんだろうから。

 死体を運んだときに、前塔の展示品をひとつ、ぬきとって、後塔に運んでおけばいい。ここに短刀があったんだと、あなたが言えば、警察はそれを信じたでしょう。僕の考え、まちがってないですよね? アンソニーさん」


 ずいぶん長いこと、アンソニーは、タクミを見つめていた。やがて、ふうっと嘆息して、王者みたいな態度で、うなずく。


「私の人生のなかでも、かなり大きな賭けだったが、賭けてみる価値はあると思った」


「ユーベルがサイコメトラーでなければ、完ぺきでした。おかげで僕は、オシリスが念動力で塔から脱出したんだとさえ考えた」


「やっぱり、あの坊やは殺しておくべきだったか。私らしくもない仏心をだしたのが失敗だった」


「そうです。あなたは、いざとなれば、自分の娘でも殺せるんな。どうして、塔に来るユーベルを見たとき、殺さなかったんですか?」


 アンソニーの口もとに、ちょっとゆがんだ笑みが刻まれる。


「君が、なげくと思ったからだよ」

「僕が……?」


 思わず、ぽかんと口をあけて、ながめた。

 アンソニーは肩をすくめる。


「ああ、君がね。君は自分じゃ気づいちゃいないんだろ? なんだか知らんが、君は人をそんな気にさせるところがあるよ。私みたいな男ですらね」


 うーん、ぬけて見えるということか?

 まあ、このさい、それでもいい。


「ありがとう。お礼を言います。僕の大切な友達を殺さないでくれて」


 アンソニーの目が、物悲しいような色をおびる。

「うらやましいね。君が」


 そういえば、以前にも、アンソニーはそんなことを言っていた。


「何が、うらやましいんですか? 僕なんか平凡そのものですよ?」


「君の、その伸びやかな心が。私は君のようにはなれない。君はオリビエたちが死んだのは自分のせいだと言ったが、それは違うんじゃないか? むしろ、温情をあだで返したオリビエに腹を立てるべきだ。自業自得だよ。君は、きれいすぎる」


「だから、僕がうらやましいんですか? 僕みたいになれるなら、全財産と交換してもいあと、あなたは言いましたね」


 アンソニーの目を見続けることが苦しい。

 タクミには、彼のかかえた真の苦悩が、かいまみえるような気がした。


「それは、あなたがアンソニーだけど、アンソニー自身じゃないからですか? あなたは……アンソニーのクローンですね? オリジナルのアンソニーは、すでに死亡してるんだ」


 納骨堂のなかは、つかのま、静寂に支配された

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る