五章 エンパシーゴーストー2
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ロザンナとの通信を切ったあと、タクミは念のため、ノア・リッチモンドに連絡をとった。
もしも、これがオシリスの画策なら、ロザンナと会ったときに偽の写真を渡しておいて、これをダイアナの写真だと言って見せてくれと頼むことができる。
しかし、ノアの返事は——
「その写真が母のイトコのダイアナかどうかは、わかりません。ダイアナ自身を見たことがないので。ですが、ダイアナの母——私の大叔母にあたる人に、この写真の人は似てると思いますよ。母のアルバムに大叔母の写真は残っていますから、よければ画像を送ります」
ぜひにとお願いして、送られてきた写真は、タクミの知っているダイアナには似ていなかった。もう一人の写真の女のほうに似ている。素人目にも、親子とわかるほどに。
つまり、ロザンナの見せた写真の女のほうが、オリジナルのダイアナであることは、まちがいない。
タクミは悩んだ。
そのようすを見て、ユーベルが言いだす。
「ねえ、タクミ。おれの勘違いだと思って、ずっと言わなかったことがあるんだけど……」
「なに?」
「じつは——」
ユーベルの言葉を聞いていたタクミは、
「もし、それが本当なら、あの日の状況は、まったく違うものになる。それだと怪しいのは、あの人だってことに……」
ほんのひと月のあいだだが、アトキンス邸で暮らして、屋敷の人を——その人のことを、とても好きになっていた。その事実を認めるのは、つらかった。
だが、たしかめないわけにはいかない。
ほっとくと、もっと死人が出る。
タクミはユーベルとともにアトキンス邸にもどった。
午前中いっぱいをかけて、アン・アトキンスの殺害現場になった塔をしらべた。
ユーベルが語る。
「この前、タクミとケンカしたとき、一人になりたくて裏庭を散歩してたんだ。この塔の外を通ったんだけど、そのとき、感じた。殺された人の思念を。あのアンって人、犯人につけられてること、気づいてなかったみたいだね。うしろから急に刺されて、すごく、おどろいてる」
「アンさんは、なんのために、塔に来たんだろう? 自分が殺されるかもしれない自覚はあったんだろ? それなら、わざわざ、こんな、ひとけのない場所に来なければよかったのに」
ユーベルは、こめかみに手をあて、しばらく一点を見つめていた。
「……マーティンに相談に行くとこだったみたい。マーティンがアトリエにいるって聞いて」
「なんで、マーティンに?」
「マーティンはアンソニーの味方だから」
「そこが、すでに誤算だったんだな」
マーティンの行動は、いくつかの点で怪しい。
いつもはタクミを嫌ってるくせに、あの日にかぎって、強引に製作の手伝いをさせた。
カメラマンが殺された日、使用人部屋あたりを歩きまわっていたのも変だ。
「ユーベル。この塔については、まちがいないね?」
「うん。あのときは、殺された人の死の瞬間の思念が、右翼ぜんたいに充満してたから、わからなかった。でも、今なら、断言できる。死体といっしょに監禁されて、混乱してる、ぼくの感情も残ってる。どうやって、ぼくに錯覚させたのかは、わからないけど」
「それについては、ちょっと思いついたことがある。けど、証拠がね。とにかく、切りくずせるとこから、くずしていこう。そしたら、真相にたどりつけるはずだ」
それで、使用人部屋のある本館一階裏口付近へ行った。
ちょうど、証拠不充分で釈放されて、アルバートジュニアが帰ってくるところに遭遇した。
「災難でしたね。アルバートさん」
アルバートはタクミを見て微笑した。
「ようやく疑いが晴れました。なんでも、警察がサイコメトラーを呼びよせ、カメラマンのにぎっていたブローチをしらべさせたそうです。それでやっと、ブローチが私のものではなく、アンのものだということがわかったのです」
「そうか。あれは、アンさんのものだったんですか」
「思いだしたんですが、ずいぶん前に、アンはカメラマンの男とつきあってたことがありましたよ。父たちは疎遠だったが、私たちはイトコなので、よく、そういう相談に乗っていました。年はアンのほうが、かなり上だったが、たよりない人だったので」
「じゃあ、あのカメラマン、昔、アンさんの恋人だったんですね?」
「伯父の世話してるカメラマンと恋仲になって、『今度は本気だ、結婚する』というのを、伯父に反対されていました。かれこれ、十五年前です。
相手の男に放浪癖があって、苦労するのは目に見えてるというのが、伯父の言いぶんでした。
まあ、それは当たってたんでしょう。アンは火星くんだりまでついていって、お金に
だが、当人たちは本気だったのだ。
少なくとも、男のほうはキライになって別れたわけではなかった。
自分の力でアンを養うのはムリとあきらめて別れたものの、思い出の人として、ずっと愛し続けていたのだろう。
だから、たぶん、形見わけのつもりで、故人の持ちものを欲しがった。それが、あのブローチだったということになると……。
「なるほど。それじゃ、カメラマンさんがアンさんの恋人だったのは、まちがいなさそうですね。あの人が、特徴的なブローチを持ってたから、あなたは目くらましに利用されてしまったんだ」
「そうなんでしょうか? 私に罪を着せたって、いずれは犯人じゃないことはわかる。事実、こうして釈放された」
「一時しのぎのつもりだったんでしょうね。きっと……」
話しながら、ろうかを歩いていく。
アルバートが手をかけたドアを見て、タクミは確信した。彼は利用されたのだと。
それも、おそらくは、あのとき、タクミがアルバートを犯人ではないかと疑っていたから。
「ここが、あなたの寝室ですか?」
アルバートは、うなずいた。
そこは先日、マーティンが人目をはばかりながら出てきた部屋だ。
アルバートのブローチを盗んだのは、マーティンなのだ。
(マーティンは勘がいい。僕の行動や、アルバートさんを見る目つきから察したんだろうな)
アルバートが寝室へ入っていく。
ふと、思いついて、タクミはたずねた。
「アルバートさん。もうひとつ、教えてください。あなたが妻子と離れ、一人でこの屋敷にとどまる決意をしたのは、疑問に思ったからじゃないですか? お父さんの死について。つまり……お父さんとアンソニーさんが入れかわってるんじゃないかと考えたからじゃ?」
「ええ。バカなことを考えたものです」
アルバートは笑って肩をすくめ、寝室のなかへ消えた。
タクミは、つぶやく。
「アルバートさんは白だったね。遺産相続のために父親をかばってるなら、入れかわりを指摘されて、あんなに平静でいられるわけがない。このあと、どうしよう。マーティンから責めるか、それとも彼女のほう?」
「警察に知らせないの?」と、ユーベルは応えた。
「僕は自首してほしいんだよ。なんとか説得できないか、考えてるんだ」
「ムリだと思う。一筋縄ではいかない相手だよ。モンスターだ」
ユーベルの言葉のほうが正しいことは、わかっているのだが……。
「物的証拠をさがしてみよう。とっくに警察も調べたとこだけど、納骨堂とかさ。塔のなかも、あとで、もう一回。僕らは警察とは違う観点で見てるから、何か見つかるかも」
「いいけど、お腹へったよ」
ユーベルに言われて、昼ごはんを食べに食堂へ行った。
ぽつりぽつりと、アトキンス家の人たちも、ムーンサファリから帰宅し始めていた。
「人目につく前に調べとかないとね」
食後、急いで納骨堂へ向かった。
納骨堂の出入り口は一つだけ。
邸内の侵入許可を持つ人間なら、誰にでも入れる。
タクミやユーベルにも入れるということだ。
センサーに手をあてると、とびらがひらく。
薄暗い照明が自動点灯する。
この前、見たときと同じ。
柱や彫像などの装飾の多い空間。
ひんやりと肌寒いのは、遺体保存のために室温を低く設定してあるせいだろう。
ユーベルは肩をふるわせながら聞いてきた。
「何から調べるの? 遺留品とかは、警察が床なめるみたいして調べてるだろ?」
「警察は棺おけのなかまで、一つずつチェックしたらしいよ。全部の遺体のDNA鑑定したってさ。結果に不審な点はなかったって話だけど」
「じゃあ、おれたちにやることなんてないよ」
「そうかな。僕には、ひとつ気になることがある」
タクミは柩のネームをたしかめながら、奥へ歩いていった。
広い納骨堂のなかに、棺おけの数は、それほど多くない。アンソニーの両親と兄弟、アン・アトキンス……数えるほどだ。
アトキンス家のような大家族でも、テロメア修復薬や、クローン臓器移植といった現代医学のおかげで、家族のほとんどが、まだ存命している。
「これだ。アルバート・アトキンス」
豪華な柩はルナ大理石造りで、フタには本人の胸像がきざまれている。そのため、とてつもなく重い。フタだけでも百キロは軽く越すだろう。
道具なしで、これを一人であけるのは不可能だ。
しかし、相応の道具があれば、あけられる。
たとえば、ロープと滑車があれば。重りは、そのへんの彫像でいい。
今はなんの道具もないので、タクミはユーベルと力をあわせて、フタをずらした。スキマができれば充分だ。なかを確認できればいいのだ。
「タクミ。趣味悪いよ。全身バラバラのグチョグチョの焦げ焦げで、ふためと見られないんだろ?」
「それが気になるとこなんだよ」
アトキンス邸へ帰る前に、タクミは事務所で、あるホームページを閲覧してみた。閲覧は誰にでもできるが、書きこみは会員でないとできない。
会員は上流階級。編集も会員の代表者がおこなっている。セレブが近況を報告しあうために活用されている。社交界の情報が、くわしく正確にわかるので、けっこう閲覧数が多い。
「気になってたんだよ。だって、警官は遺体の一つずつをDNA鑑定してるんだからね」
ユーベルは顔をそむけている。
そのかたわらで、タクミは柩をのぞきこんだ。
なかは暗かった。が、納骨堂の薄暗い照明でも、タクミの知りたいていどのことは見てとれた。
「やっぱり、そうだ。いったい、どうなってるんだ? ユージンがウソをついたそれとも、オシリスの言ってたことが関係してるのか?」
つぶいたときだ。
「タクミ! 誰かいる!」
ユーベルが叫んだ。
だが、もう遅かった。
柱のかげから誰かがとびだしてきた。
そして、タクミの肩をつきとばした。
そのとたん、タクミは気を失った。あとから思えば、スタンガンを押しつけられたのだ。
さすがのタクミも、電気ショックには、かなわない。
気がついたときには、あたりは、まっくら闇。
目をあけてるのか閉じてるのかも、わからない。
(あれ……? どこだ? ここ)
どうも息苦しい。
それに、やたらとせまい。体がカベにあたって、きゅうくつだ。
寝そべってるみたいなので、タクミは起きあがろうとした。が、まもなく、タクミはおでこを固いカベにぶつけた。
「アイタッ」
自分の声の反響を聞いて、ドキンと胸が、ちぢみあがった。
とても、せまい。
しかも音の反響しやすい密閉空間——
両肩は冷たいカベにふさがれ、半身も起こさない天井の低さ。まるでハコ……そう。人間を入れておくのに、ちょうどいいサイズのハコ。
棺おけだ。
(そうだ。誰かにおそわれて、気を失ったんだ。声閉じこめられたんだな。ここは納骨堂の棺おけのなかか)
そう思えば、肩を圧迫する片方は、カベではない。
石みたいに冷たいが、石よりやわらかく、おうとつがある。たぶん、死体と抱きあわせにされてしまっている。
(くそッ。油断した。誰かが、僕らをつけてきてたんだ)
それにしても、スタンガンを常備してるなんて、何者なんだ。かるく爪をたてられただけで、失神してしまったみたいだったが……。
(爪、スタンガン……つまり、電気……あれ?)
とつぜん、めまぐるしい勢いで記憶がフィードバックした。タクミは鮮明に思いだす。その瞬間、ジクソーパズルの最後のピースがはまった。
やはり、そうだ。
犯人は、あの人しかいない。
そして、ダイアナの過去は、たぶん、ここにつながってくる。まちがいなく、それが、この事件の根源だ。
(それにしても、どうにかして、ここを出ないと……)
犯人がわかっても、このままでは棺おけのなかで窒息死してしまう。
どのくらいのあいだ閉じこめられていたのか、わからないが、もうかなり苦しい。
タクミは両手をのばし、フタに手をかけた。
それは、そうだろう。
相手が殺すつもりで、ここへタクミを入れたのなら、かんたんに抜けだせるような棺おけは選ばない。
いかにも重厚だったアルバートの棺おけ。
あんなもののなかに入れられていたら、とても一人でフタを持ちあげることはできない。
(そうだ。ユーベルは?)
手さぐりで暗闇をさぐりまわる。けれど、ユーベルはいないようだ。自分のほかには、死体が一つあるきりだ。
ほかの柩に入れられたんだろうか?
それとも、犯人に捕まって、別の場所につれられていったか?
まさか、もう殺されてしまった……なんてことは?
『ユーベル! 聞こえるか? ユーベル?』
タクミはテレパシーで呼びかけた。
ユーベルさえ、気づいてくれれば……。
『ユーベル。返事してくれ。たのむ……』
タクミの意識は、しだいに
*
夜のなり、空に青い地球が浮かぶ。
その姿は幻惑的で切ない。
遠い昔の愛しい人が、手招きしてるような。
地球を見ると、みんな、そんな心地になるらしい。
これは人類ぜんたいの種族的記憶。
ダイアナは、寝室のバルコニーで、一人、それをなかめていた。
(全部、思いだした。早く迎えに来て。でないと、まにあわなくなる)
祈るような思いで呼びかける。
すると、背後でドアをたたく音がした。
「誰?」
「私だよ。アンソニーだ。トウドウたちが見つかった。それが、どういうわけか納骨堂に倒れていて……意識不明の危険な状態らしい。私も今、聞いて、見に行くところなんだ。君が心配していたから、さきに知らせておこうと思ってね」
そう言って、アンソニーの足音はドアの前から離れていく。どうやら、ほんとらしい。
今朝、タクミたちは早朝にホテルを出ている。
そのあと、バトラーの話では、屋敷にもどってきたらしい。
なのに、昼食を食べたあと、姿を消してしまった。
夕食にも現れない。
タクミには、お別れを言っておきたい。
だから、あのままムーンサファリにはとどまらず、もう一度だけ、屋敷に帰ってきた。
タクミが見つかったのなら、会いにいかないと。
ダイアナはまだ昼間の服を着ていた。
そのまま、寝室を出る。
一人で行くのは怖かったのね、コンスタンチェをさそった。
「ねえ、コンスタンチェ。トウドウさんたちが納骨堂で見つかったんですって。いっしょに来てくれる?」
「いいわよ。ダイアナは怖がりさんですものね。それにしても、なんだって納骨堂なんかに……」
そのわけが、ダイアナには、なんとなくわかる気がする。
「たぶん、殺人事件の犯人をつきとめようとしてるの。犯人が隠していたものを見つけてしまったのかもしれない」
もしそうなら、コンスタンチェをさそうべきではなかった。しかし、もう遅い。
「そんな冴えた頭の持ちぬしかしら? あの坊や。まあ、いいわ。行ってみましょ」
コンスタンチェと二人で裏庭へ向かう。
まだ深夜という時間ではない。が、屋敷の明かりは消え、まるで無人のようだ。
裏口から裏庭へ出ると、暗闇のなかで静寂が無気味なほどだ。
「おかしいわ。どうして、こんなに静かなの? トウドウさんたちが意識不明なら、お医者さんや救急車を呼んだはずなのに」
ダイアナは不審に思った。
だが、コンスタンチェは無言で進んでいく。
一人なら、とっくに逃げだしていたが、しかたなく、コンスタンチェについていった。
ようやく、たどりついた納骨堂。
そこにも人影はない。
さすがに、コンスタンチェも疑問に思ったようだ。
「変ねえ。誰もいないじゃない。それとも、もう病院に運ばれたのかしら?」
言いながら、コンスタンチェはセンサーに手をかざし、納骨堂のとびらをあけた。
「コンスタンチェ。なんだか、おかしいわ。帰りましょうよ」
ダイアナはコンスタンチェの背中に、ひっついた。
コンスタンチェは一、二歩、納骨堂のなかへ入って、たしかめる。
「そうね。もう運ばれたあとみたい。ここにいても、しょうがないわ」
くるっと、コンスタンチェがふりかえったとたんだ。
短い悲鳴をもらし、コンスタンチェは床に倒れた。
「コンスタンチェ? どうしたの?」
とりすがろうとしたダイアナは、中腰の姿勢のまま凍りついた。
目の前に黒い影がさす。
男の足元が見える。
ダイアナは、ゆっくり、顔をあげた。
アンソニーが立っていた。
“あのとき”と、同じ表情で。
「心配ないよ。コンスタンチェは気を失ってるだけだ」
「アンソニー……」
逃げなくちゃ——
そう思うのに、体がしびれたように動けない。
アンソニーは氷のような笑みで近づいてきた。
「どうして、そんな目で見るんだ? ダイアナ。おかしいね。君は、まるで私を恐れてるみたいじゃないか?」
「やめて……こないで……」
だまされたのだ。
タクミの名前をだせば、いかに用心深いダイアナでも、来るとわかっていて、ウソをついたのだ。
夜納骨堂という、誰のジャマも入らない場所へ、ダイアナをつれだすために。
「わたしを殺すの? あのときみたいに。また、わたしを殺すのね?」
外からの地球光に反射して、アンソニーの両眼は刃物のように異様に光る。
「やっぱりね。思いだしてたんだ。サイコメトリーという能力のせいかな? 過去に君の記憶を、エンパシーで読みとった。そういうこと?」
アンソニーの手が、ダイアナの肩をつかもうとする。
それをかわして、ダイアナは逃げだそうとした。
が、アンソニーのほうが速い。
入口の前に立って、ダイアナの退路を断った。
逃げ場を失い、ダイアナは納骨堂の奥へ向かう。
しかし、足がふるえて、思うように走れない。はうような足どりで、よろめいていく。
「あいつに会ったせいだな? 昨日の君は、おかしかっあ。熱っぽくて、心ここにあらずで、話しかけても生返事。恋でもしてるようだったじゃないか? オシリスに会ったんな。そうだろ?」
ダイアナは何度も背後をふりかえりながら、納骨堂のなかを逃げまどった。
「そうよ。思いだしたわ。わたしの伴侶はオシリスよ。わたしは、あの人のためだけに生まれてきたの。
あの人の遺伝的体質、気質、嗜好、すべてが完ぺきな一対となるように、あの人のDNAと照らしあわせてデザインされた。わたしはオシリスを、オシリスはわたしを愛するようにできてるの。
それなのに、あなたが、わたしをオシリスのもとから、さらったんだわ。オリジナルのわたしを殺して、わたしの遺伝情報を、不当に再生したのね?」
逃げ場を求めて、柱と棺おけのあいだをさまようダイアナを、アンソニーはネズミをいたぶる猫みたいな目で見る。わざと数歩ずつ、間合いをおきながら追ってくる。
「君が私をこばんだからだ。残念だよ。今度こそ、うまくいくと思ったのに。なまじ情などかけたのが、まちがいだった。次は二十歳まで十六倍速で成長させ、人工子宮から出した直後に婚礼をあげてしまおう。火星にでも行ってしまえば、もう記憶がよみがえることもないだろう」
両手をのばして、アンソニーが迫ってくる。
あのときと同じだ。
ムーンサファリの研究所のなかで、最愛の人と暮らしていた彼女を、とつじょ、おそった不幸。
愛してくれないなら殺すと迫られ、絞殺された……。
(ごめんなさい。オシリス。わたし、また……)
追いつめられた。
ダイアナは目をとじた。
次の瞬間には、アンソニーの手が首にかかるだろう。
そのとき——
「そこまでです。ダイアナから離れてください」
人影が、二人の前に立った。
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