二章 マーダーナイトー4
翌日。
タクミは、バルコニーで聞いた会話について、アンソニーに打ちあけた。
今になって明かしたのは、計画が殺人にまでおよんだため、これ以上、見すごしておけなくなったからだ。
それに、アンソニーなら、タクミたちより家族の内情にくわしい。なによりも、ダイアナを愛している。
アトキンス家のなかで、ダイアナの味方は、アンソニーだけだ。
タクミたちの依頼が終わったあとのダイアナの安全のためには、なんとしても、アンソニーの協力が必要だ。
芸術家の友達が、当面、一人になってしまったため、アンソニーは話し相手に、タクミとユーベルを代用した。
そのため、これまで以上に、行くところ行くところへ、つきあわされた。
たぶん、それは、アンソニーなりのダイアナへの気配りだ。ダイアナと二人きりになることを、さけているのだ。以前の夫であるアンソニーとの結婚を、幼い妻がイヤがっているから。
第三者をまじえて、ダイアナがすごしやすい環境を作っている。あるいは同時に、そうすることで、さらにダイアナに嫌われる事態をさけている。
とにかく、アンソニーのまわりには、いつも、マーティンがいるわけだ。マーティンのことは、どこまで信用できるか、わからない。
タクミは、こっそり、アンソニーに耳打ちした。
「アトキンスさん。内密で話しがあるんですが」
タクミ、ユーベル、アンソニー、ダイアナ、マーティンで、年代物のシネマコレクションを鑑賞中だった。
アンソニーはタクミの真剣さをくんでくれたのか、あっさり承諾した。
「悪いが三人で待っててくれ」
ダイアナとマーティンは気にしたようすはない。
ユーベルだけが少し不安そうだ。
ほんのいっときでも、タクミと離されたくないのだ。
オーディオルームは右翼後方の塔二階にある。
昨日、のぞいた前方の塔と造りは同じだ。
一階ぶんが、まるごと一室なので、ナイショ話をするためには、エレベーターに乗って別の階に行かなければならない。
アンソニーは円筒形の反重力カプセルを一階におろした。
一階は前方の塔と似たような、展示用のケースがならんだ部屋だ。カベに目立つオリビエの絵がないので、すぐに別室とわかるが。
そこでやっと二人きりになったので、タクミは遠慮なく、バルコニーで聞いた内容を話した。
「昨日のコンスタンチェさんの件も、きっと、彼らの仕業だと思うんですよ」
タクミは真剣なのに、どうしたことか、アンソニーは笑いだした。
「なんで笑うんですか? 昨日のことは、れっきとした殺人未遂ですよ。あのときの針、証拠品として、とっておいたほうがいいと思います。もう犯人に始末されてるかもしれないですが……」
アンソニーは片手をあげて、タクミを押しとどめる。
「いやいや。昨日のことに関しては、そんなことだろうと思ってたよ。悲しいことだがね。まあ、家族については、ちゃんと犯人をつきとめる。私が笑ったのは、そのことじゃないんだ」
「じゃあ、なんですか?」
「君が神妙な顔して、内密の話が——なんて言うから、ついに本性をあらわしたぞと思ったんだ」
タクミがダイアナに雇われた探偵だとバレたんだろうか?
「本性って、なんなんですか。僕は、べ、べつに……」
しどろもどろになってしまう。
だが、笑いながら、アンソニーが言ったのは、思いがけないことだった。
「悪いね。金の無心かと思ったんだ。私に個人的な話があるといえば、すべて金がらみだからね。いつ、君は、その話をするんだろうと考えていた」
なんと! 大富豪に、そんな目で見られていたのか。
これは恥ずかしい。
「じゃあ、僕がユーベルについてきたのは、あなたと知りあいになって、お金をたかろうとしてるんだって、ずっと思ってたんですか?
そりゃないよ! 僕って、そんな、さもしい人間に見えるんだ? そりゃ今だって、一流ホテルなみの待遇で、あなたのふところに、たかってることになるんですけど」
「だから、あやまってるじゃないか。せいぜい哀れんでくれたまえ。私のまわりには、これまで、そういう人間しかいなかったんだ。いつのまにか、私自身が、そんな目でしか人を見られなくなっていたんだな」
タクミは言葉に、つまった。
一代で巨万の富をきずいた大富豪にも、ほんとに心をゆるせる相手は、ほとんど——もしかしたら、一人も、いないのだと、とつぜん、気づいて。
「……僕のほうこそ、すいません。そうですよね。こんな得体の知れないのが急に来たら、なにごとかと思いますよね。僕は、あなたに、お金をせびるつもりはないから、安心してください」
アンソニーは一瞬、まぶしそうな目で、タクミをながめた。
「君は若いんだな。うらやましい」
「世間知らずなだけです。恥ずかしいかぎりです」
「君は自分の持つ宝に気づいてない。老いた心を負わされた者は、君のように、まっすぐではいられないよ。私が君のようでいられるなら、全財産と交換してもいいのに」
あざやかなコバルトブルーの瞳に、百二十年の憂いがのぞく。
「からかわないでくださいよ」
恐縮してると、アンソニーは、つまらなさそうな顔になって話題を変えた。
「ところで、君は声を聞けば、バルコニーで話していた人物がわかるか?」
一度、聞いただけだ。それもナイショ話のヒソヒソ声。
聞きわける自信はない。
が、別のことで判別できそうだ。
エンパシストの能力を使えば、あのときの脳波形の持ちぬしの目星くらいはつく。
そこで、アンソニーには盛大に、うなずいておく。
「百パーセントとは言えませんが、だいたいの感じは」
「では、なんとかして、君に都合のいい方法を考えよう。君は近ごろ、ずっと、私についている。私のもとへ家族が順番に会いにくるシチュエーションを作ればいいわけだ。パーティーは、どうだろう?」
「あなたのお祝いの席なら、家族はあいさつに来るでしょうね。僕はそばに立ってるだけでいいから、怪しまれずに観察できますね」
「今月末が私の誕生日だ。バースデイパーティーをすることになってる。それを近日に、くりあげてしまうか。誕生パーティーなら、文句なく家族が集まってくる」
そのとき、タクミは思いだした。
「それもいいですが、もしかしたら、もっと手っとり早く、首謀者を特定できるかましれません。
今、思いだしたんですが、あの人……名前、なんて言ったかな。マーティンが教えてくれたんだけど。あの人、犯人について、なんか知ってるみたいでしたよ」
庭で出会った金髪の女のことを話す。
「たしか、アンさんだったかな。アクセサリーショップを経営してる人です」
「アンだね。あいつめ、いくつになっても若い男に熱をあげて……オリビエと、そんな仲にね」
「ご存じなかったですか?」
「家族の動向をいちいち監視してるわけじゃないからね。しかし、それは手がかりになるかもしれない。私から聞いてみよう」
「ですね。父親のあなたになら話しやすいでしょう。アンさんのことはお願いします。それねダメなら、パーティーをくりあげてもらえばいいと思いますよ」
そう話しあって、密談はおひらきになった。
その間、三十分くらいだろうか。
二階のオーディオルームに帰って、シネマの続きを見た。
そのあと、エレベーターに乗りこもうとしたところを、マーティンに呼びとめられた。怖い顔で、すごまれてしまう。
おかげで、エレベーターに乗りそこねた。
ほかの三人がおりていに、マーティンと二人で、とり残されてしまった。
「おまえ、アンソニーひっぱりだして、なんの用だ?」
どうも、この人は、事あるごとに、つっかかってきて苦手だ。説明に困る。
タクミは、ひらきなおった。
「お金の無心です」
マーティンは
「そんなこったろうよ。アンソニーはダイアナに甘いからな。遠縁と言うだけで、いくらでも出してくれるもんな」
あんまり、小憎らしげに言われたので、柄にもなく、タクミは腹を立てた。
「そういう、あなたは、どうなんですか? 僕は、あなたがクリエイティブな世界で、どれくらい成功してるか知りませんが。それだって、アンソニーさんの後見があるからでしょ?」
言い返したのが、気にさわったのだろう。すごい勢いで肩をわしづかみにされる。かなり、びびった。
「芸術家だって、メシ食うんだよ!」
「はい。ごもっともです!」
はっきり言って、正面から組みあえば、武芸の達人のタクミのほうが、断然、強い。
だが、このときのマーティンには気合負けしてしまった。
マーティンはタクミの肩を思いきりカベにぶつけて、去っていった。
つまり、帰ってきたエレベーターを使ったので、タクミは一人、置いてきぼりだ。
やっと昇降カプセルがやってきた。
一階におりると、ユーベルが待っていた。
「なんか怒って出てったけど。今のやつ」
「うん。僕が傷つけてしまったかも。あとで、あやまっとくよ」
「あんたって気をつかいすぎなんじゃないの?」
「そうかもしれないけど。今のは、僕が悪かったよ」
「そう?」
歩きだそうとするユーベルを、タクミはひきとめた。
「僕は人生経験が浅くて、無意識に人を傷つけてることがあると思う。僕がいたらなかったら、あやまるよ。ユーベル。でも、僕は、ほんとに君に幸せになってもらいたいんだ。今度からは、こまったことがあれば、なんでもまっさきに僕に知らせてほしい」
ユーベルは何も言わなかった。
目をふせて、陳列ケースのあいだを歩いていく。
タクミは、ため息をついた。
その日の
食後のコーヒーを飲むタクミに、アンソニーが合図を送ってくる。二人で誰もいないテラスに行った。
「ダメだった。アンは、たしかに何かを知ってるようだね。そうとう、おびえてる。だが、何も話してくれなかった。説きふせるのに時間がかかるだろう。まあ、そっちは私に任せてくれたまえ。ただ待ってるのも時間のムダだ。パーティーをくりあげよう。三日後にムーンサファリを借りる目処がついた。そこで君に声の確認をしてもらいたい」
「ムーンサファリですか? 借りるって、つまり、貸切……」
一日フリーパスを買って、ボーナスにしようと話していた場所だ。気軽に貸切にするというんだから、孤独でもなんでも、恵まれてると思う。
「ムーンサファリにはコネがあってね。それと、例の針だが、コンスタンチェのアトリエには、もうなかった。すでに処分されてしまったようだ」
「まあ、しかたないですね。コンスタンチェさんが病院に運ばれてから、長い時間、誰も見張ってたわけじゃないし。
やっぱり、僕らみたいな素人探偵じゃ、あぶなっかしいですね。警察は呼ばないんですか?」
アンソニーは、しぶい顔で考える。
「うん。今回は無事にすんだからいいが。ダイアナに、もしものことがあるとな。
しかし、今のところは未遂だ。私の家族のしたことだ。私に責任をとらせてほしい。
もし、どうしても私たちだけではムリそうなら、そのときに警察を呼ぼう。
とりあえず、パーティーの手配だ」
まだ、オリビエが死んだときの状況に、こだわっているらしい。それでも、ダイアナの命にかかわってきたので、アンソニーの決心も、ゆらぎ始めているようだ。
その翌日だった。
アン・アトキンスが殺害されたのは——
*
その日は、ひさしぶりに朝から、タクミたちに自由時間があった。
コンスタンチェの意識がもどり、面会許可がおりたのだ。ダイアナは早くからお見舞いに出かけていた。
アンソニーは予定を早めたパーティーの打ちあわせで忙しい。
マーティンはアンソニーぬきで、タクミたちにひっついているほど親しくない。朝から彼のアトリエにこもって出てこない。
「ヒマができたね。そうだ。買い物に行こうか。前から気になってたんだ。君も、いつまでも、ピカ○ュウってわけにはね。パーティーに出るんなら、ふつうのカバンがいるだろ?」
なぜか、ユーベルは頑強に反対する。
「おれ、いらない」
「なんで? 買ってあげるって言ってるのに。ボーナス一日フリーパスって言ったけど、なんか、その前に行くことになっちゃったし……かわりにっていうか。えっ? もしかして、パスも欲しいの? 両方? 両方、欲しいの?」
一人でオロオロしてるのが、おかしかったのか。
ユーベルは、きまじめな顔を保とうとするのに失敗して、ふきだした。
「おれ、フリーパスでいいよ。今度のは仕事で行くから遊べないんだろ? 下見ってことで」
「でも、カバンはいるよ。会場のムーンサファリはパーティーだから、いいとしても。そこまでの往復がさ。人目があるし」
「なんでさ。もともと、タクミが使うつもりで買ったんだろ? タクミなんて若く見えるけど、あと何年かで三十じゃない」
「うっ……」
三十路が、つきささった。
カバンは、あきらめた。
「わかったよ。今日は、じゃあ、中休みってことで、のんびりしようか。ああ、そうだ。君の勉強、見てあげるよ。フランス語は得意じゃないけど、そのほかの教科なら、家庭教師くらいにはなれるよ」
「言葉をおぼえるのって、変なの。難しい単語とか、文法とか。エンパシーでなら、感情をそのまま伝えられるのに」
「君ほどの能力者には、もどかしいかもしれないね。でも、世界中の人がエンパシストなわけじゃないから。
心の形を、くわしく正確に伝えたいから発達したのが言語だよ。そう思えば、エンパシーの親せきみたいなもんだろ?」
「……うん」
ユーベルのきげんが直ったところで、タクミたちは午前中いっぱい、先生と生徒に早変わりした。
二人とも遺伝子操作で生まれてきた優秀な人間だ。
半日もあれば、中等学校の通信教育のテキストなんて、全教科、ひとつきぶん、クリアしてしまう。
「十一時半か。きりがいいから、今日は、ここまで。お昼にしよう」
「うん」
食堂には、アンソニーの家族がチラホラいる。
見知った顔はない。
アンソニーもいなければ、マーティンもいない。ついでに言えば、アン・アトキンスもいない。
「午後から、何する?」と、ユーベルがたずねてくる。
「頭は使ったから、体を動かそうよ。執事さんにたのんで、テニスウェアやラケットを貸してもらおうか。二人でできるスポーツって、かぎられてるからなあ」
言いながら、キョロキョロしてしまう。
マーティンが来るのを待っているのだ。
昨日のことをあやまろうと思うのに、なかなか機会がない。
「よし。決めた。テニスの前に、あやまってくる。ついでに執事さんに頼んでくるから、部屋で待ってて」
今日も豪華な昼食のあと、タクミは決心して、ユーベルと別れた。
右翼に向かい、後方の塔のエレベーターにとびのる。
たしか、マーティンのアトリエは最上階だと言っていた。
四階の昇降口のドアがひらく。
そのとたんに、とりとめない室内が目の前に広がる。
スタジオのようにも、研究室のようにも、劇団の物置のようにも見える。
最新式のパソコンがあると思えば、変なオブジェもころがっている。ガラクタにしか見えないものもある。
ペンキやベニヤ板みたいな古風な素材もあれば、超ハイテクのドール形ロボットもある。
本人の性格そのもののように、つかみどころがない。
(映像作家って、コンピューターグラフィックじゃないのか? いったい、何を作ってるんだ?)
マーティンはアルミ板をかさねてワイヤーでしばったようなオブジェを制作中だ。高さ三メートル、全長五メートルはありそうな代物だ。
あきれて妙な物体の数々をながめていると、マーティンが目ざとく呼びつけてくる。
「ぼけっと見てないで、手伝え。いいか。ここ、押さえてろよ。溶接するから」
「えっ? 僕がですか?」
「ほかに誰がいるよ?」
わけがわからないまま、手伝わされる。
そのまま、どれくらいの時間がすぎただろうか。
昨日のことを切りだそうにも、次々と命令されて、口をさしはさむ余地が、まったくない。
ユーベルが待ってるのに、と思うが、制作中の映像作家は、剣の山に人間を追いやる地獄の鬼のように無慈悲だ。
けっきょく言いだせないまま、一時間ほど経った。
そのころ、下からエレベーターがあがってきた。
ユーベルが迎えにきてくれたのかと思ったが、現れたのは、アンソニーだった。
「やってるね。忙しそうだ」
そういうアンソニーの声も、アルミ板をボルトでつなぐ電動ドライバーの音で、ところどころ、かきけされる。
「マーティン。今、いいかい?——と言ってもな。この状態じゃ。パーティーの演出で、君に頼みたいことがあるんだが。都合が悪ければ、あとで来る」
「あとにしてくれ」
「じゃあ、三十分したら、また来る。トウドウ、悪いが、つきあってやってくれよ」
大富豪を追いだして、映像作家は、ひたいに汗を光らせている。これでもう、タクミは逃げられなくなった。
芸術家ってのは、どうしてこう、みんな、自分勝手なんだろう……と思いつつ、おとなしく、こきつかわれること、さらに三十分。
ふたたび、アンソニーが来たときには、さしも人使いの荒い悪魔も、人心地ついていた。
「いい感じになってきたなあ。やっぱ二人だと早いな」
と言ってるところに、アンソニーが来た。
タクミは謝罪はあきらめて、逃亡をはかった。
でないと、午後いっぱい、芸術家の気まぐれにつきあわされていた。
からくも逃げだし、エレベーターをとびおりる。
展示室を走りぬけ、本館二階の客室へ帰った。
だから、そのときには二時をまわっていた。
「ごめんよ。ユーベル。マーティンに、つかまっちゃって——」
言いながら、ドアをあけたとたんに、抱きつかれた。
タクミは悲鳴をあげる。
「な、な、な、何? ユーベル?」
美少年の悪いクセが出たのかと思ったのだ。
ユーベルは内心、今でも、タクミをマスターにしたいと狙っているようだ。
しかし、今回ばかりは、とんだ思い違いだった。
ユーベルは顔面蒼白。全身に冷水をかぶったみたいに、ふるえている。
「ユーベル? 何かあったの?」
ユーベルの答えは、タクミを
「死体があった! 人が……殺されてたよ——」
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