二章 マーダーナイトー3
やっぱり、僕じゃ力不足なのかな——
タクミは落ちこんでいた。
ユーベルはタクミの気持ちも知らないで、ふだんどおりに戻ってる。
アトキンス邸に帰り、夕暮れどきの庭を二人で歩く。
すると、植えこみの向こうに、ダイアナを見つけた。誰か男と話している。男から何かを受けとって、ダイアナは屋敷のほうへ去っていった。
男は茶色い髪をかきまわしながら、小難しい顔で、ダイアナを見送っていた。しばらくして、これまた、屋敷へと帰っていく。
(誰だっけ? 今の。アンソニーの親族なのは、たしかだけど。アンソニーに似てた)
考えながら歩いていると、今度は一階のテラスから、タクミたちを見て、女がかけてきた。
いきなり、腕をわしづかみにされる。
正直、怖い。
女の目は血走っていて、ふつうじゃない。
「ねえ、オリビエは殺されたんでしょ? 事故なんてウソなんでしょ?」
「あ……あの?」
五十さいくらいの金髪の女。
顔に見おぼえはあるが、名前が思いだせない。
これも、アンソニーの家族の誰かだったことだけは、わかるのだが。
どうやら、話をするために、タクミたちの帰りを待っていたようだ。
「殺されたって、どうして、そう思うんですか? 何か見たんですか?」
女の思考は、かなり混乱している。
エンパシーでも読みとれない。
「見たのは、あなたたちでしょ? オリビエが殺されたとき、そこにいたんでしょ?」
女はオリビエが殺害されたことを確信しているふうだ。
「誰から、そんなこと聞いたんですか?」
「じゃあ、やっぱり見たのね? だから、やめなさいって言ったのに。バカよ。あの子。若い女に血迷って……」
とつぜん、白髪まじりの髪をかきむしる。
「次は、わたしの番よ。殺されるわ! あの人は
わめきちらして、走り去っていった。
「あ、ちょっと待ってくださいよ。すごく気になるじゃないですか——って、もう聞こえてないか……」
ため息をついてると、うしろから肩をたたかれた。
ぎゃっと、タクミは悲鳴をあげる。
それを見て、人の悪い笑みをうかべたのは、マーティンだ。赤毛の映像作家。
「おばさん。なんて? オリビエのかわりに、今夜、わたしのベッドに来なさいよとでも言われたのか?」
「そんなこと言われませんよ。こっそり近づいたりして。話を立ち聞きしてたんじゃないですか?」
おっ、坊主が言い返しやがったなという目で、マーティンが見おろしてくる。
タクミは百七十センチちょっと。
マーティンは三十センチくらい高い。
「ふん。違うのか。けど、オリビエも物好きだよな。あんな、おばさんのどこがよかったのか」
タクミはある方面、とても鈍い。
このときも、再三言われて、やっと気づいた。
「——ええッ? オリビエさん、あの人と、つきあってたんですか?」
「もちろん、こづかい稼ぎだろうがな。あいつ、あれで、けっこう、生活設計しっかりしててな。アリみたいに、せっせと金ためてたぞ。ま、ハートはダイアナに、まっしぐらだったけどな」
「あの女の人、なんて名前でしたっけ」
「アンだ。アンソニーの娘の」
「ああ、たしか、アクセサリーショップを経営してる。絵を描くのが趣味でしたっけ。それで、オリビエさんと交流が。それにしても……」
アンがオリビエの恋人だったということになると、さっきの彼女の言葉は、にわかに深い意味をもってくる。
もしかして、アンは前もって予測してたんじゃないだろうか? オリビエが殺されるかもしれないことを。
(やっぱり、オルフェが殺したんだろうか? あとで、もう一度、アンさんに聞いてみなくちゃ)
そう考えてたのに、けっきょく機会がなかった。
そのことを、タクミは、ずいぶん悔やむことになる。
数日後、アン・アトキンスは殺されてしまうからだ。
アンの事件の前に、もうひとつ、波乱ぶくみの一件があった。
アンと庭で話した翌日。
その日も、ダイアナは学校を休んで邸内にいた。
いつものメンバーで優雅に音楽会をした。
ダイアナはピアノ、バイオリン、フルートが巧みだし、意外にも、マーティンが
そのあと、コンスタンチェが、ダイアナをさそった。
「クリスマスのドレス、仮縫いができてるのよ。手直しが必要か、チェックしておきましょ」
女性二人が去ってしまうと、サロンには華がない。
ピアノの
「パーティードレスは、コンスタンチェの腕の見せどころだからな。今月は誕生パーティーもあるし、大忙しだな」
「コンスタンチェさんのアトリエって、どこにあるんですか?」
答えたのはマーティンではなく、アンソニーだ。
「この屋敷はアルファベットのHみたいな形をしてるだろ? 左右のでっぱりを右翼、左翼と呼んでるんだが。アトリエは右翼に集中してるんだよ。興味があるなら案内してあげよう」
滞在し始めて十日以上。
いまだに、ここの芸術家たちの作品を見たことがない。
一度くらい、見といてもいい。
「お願いします」
「じゃあ、行こう。マーティンも来るかい?」
「はいはい。お供さますよ」
というわけで、男ばかり四人で、館の右翼に向かっていった。
アンソニーはH字型と言った。
だが、じっさいには、Hと横にしたIの中間くらいの形だ。左右の翼には、前後に塔がひっついている。
中央の本館から左右の翼に入るためには、一階のドアから入っていかなければならない。そこが二つの棟をつなぐ、ゆいいつの出入り口だ。
「出入り口が一階だけって、不便じゃないですか?」
「もともと左右の翼は、本館から家族の生活を切り離す目的で設計してあるんだよ。プライベートな空間にするためにね。
今は右翼は芸術家のアトリエに使ってる。左翼は私の家族たちが暮らしている。使用人の多くは本館の一階と屋根裏部屋に。
本館二階は、ふだん使わない客室と、人数が増えたために、はみだしてきた家族。三階は、ご存じのとおりだ」
本館は三階建て。そこに屋根裏部屋と屋上、地下一階がつく。
左右の翼も三階建てだが、地下はなく、左右に各二つ合計四つの塔だけは四階建てだ。
アンソニーは続ける。
「ジャマが入らないほうが、芸術に専念できるだろ。今は二人だけになってしまったが、多いときは六、七人いたんだ。
著名になって出ていった者もいるし、寿命で天にみまかった者もいる。
写真家なんかは放浪の旅に出たきり、音信不通になったしね。火星に行くと言ってたが、今ごろ、どうしてるんだか。
そういう歴代の芸術家が残していった作品が、けっこうある。いくつか展示室があるから、ちょっとした美術館さ。
オリビエも最後に、とんだことしてくれたが、彼の絵は好きだから、置いてるよ。
オリビエの絵は相応の値で買いとっていた。待遇も悪くないつもりだったんだがね。何が不満だったんだか」
アンソニーは、きげんよく話し続ける。
何人もの芸術家を育てあげた自負みたいなものが感じられる。
本館から通じる、ゆいいつの出入り口は両扉になっている。カギもかけられるというが、通常は、あけっぱなし。
そこを通りぬけると、まずホールになっていた。
三階まで吹きぬけの広い空間だ。
真正面に大きな出窓。
ホールの左右へと、ろうかが続いている。
ろうかの手前に階段があった。
吹きぬけに面した二階、三階の
階段は翼棟のなかには、ここにしかない。
「ごらんのとおり、ホールを中心に前後の塔に向かって、ろうかが一本。ろうかの両側に二、三室の部屋がある。
前後の塔は一階が一室になってる。展示室は、ここだね。エレベーターがあるが、塔と翼棟の出入りは一階でしかできない。
四階の外は、屋上の渡りろうかだ。前後の塔で行き来できる。
さてと、前後の塔、どっちから見てもいいが、その前に、コンスタンチェのアトリエによろう。声をかけてから行こうか」
アンソニーは階段をあがっていく。
二階の一室が、コンスタンチェのアトリエだ。
服地のサンプルや、マネキン、デザイン画などがあり、いかにもデザイナーの仕事部屋だ。
「あら、だめよ。クリスマスまでナイショですからね」
ダイアナをかくすように、コンスタンチェがドアの前に立ちふさがる。
「タクミたちに展示室を見せるんだ。声だけ、かけておこうと思ってね」と、アンソニー。
「ああ、そう。きっと、ひとまわりしたころには、こっちも終わってるわ」
しッしッと、のら犬を追いはらう調子で手をふる。
芸術家のこんな態度には、なれてるのだろう。
アンソニーは気にしたふうはない。
タクミたちは一階へおり、そこから前方の塔に向かった。歩きながら、アンソニーが説明する。
「こっちがわの一階は、今のところ誰も使ってないんだ。うしろがわの部屋をオリビエが使ってたんだが」
「それじゃ、マーティンさんは、どの部屋なんですか?」
タクミの問いに答えたのは、マーティン自身だ。
「うしろの塔の最上階。高いとこが好きなんだ」
うん。なるほど。そんなタイプだ。
話してるうちに、前方の塔についた。
ここにも大きな両扉がある。
ドアをあけると、センサーのオート照明が点灯する。
入ってすぐ、右横に、ガラスドアのエレベーター昇降口がある。
そのほかに室内には窓がない。
塔から出るには、一階のこの出入り口を使うか、屋上の渡りろうかから、となりの塔に移るしかない。
火事のときなど、すごく困りそうな構造だ。
だが、一階がまるごと部屋になってるから、室内は広い。円形でわかりづらいが、三十畳は、かるくある感じだ。
陳列ケースが、さらに細かく室内を仕切っている。
しかし、その部屋で一番、目につく展示品は、オリビエの絵画だ。入口の真正面にかざってある。
印象派風の明るく、やわらかい色彩。
せんさいな筆づかい。
モネみたいな少しぼかしたタッチが特徴的で、ダイアナの表情が優しく幻想的に描かれている。
「これ、オリビエさんの絵ですね? ダイアナさんがモデルだって聞きました」
アンソニーは、うなずいた。
「オリビエの画風にモデルがマッチしたんだ。彼の絵のなかで、これが一番、好きだよ。号数も大きいし」
たしかに、とても美しい。
それに、やはり、画家のモデルに対する愛情が、作品ぜんたいに、そそがれていることが、魅力の一つになっていることは、いなめない。
この情熱を芸術にだけ、つぎこんでいればよかったのに——そう思っていたときだ。
両扉がひらき、青い顔をしたダイアナが、展示室にかけこんできた。
「大変よ! コンスタンチェが……」
タクミは、たずねた。
「コンスタンチェさんが、どうかしたんですか?」
「わからない。急にたおれて——」
急いで、みんなでアトリエに向かう。
男装の麗人は、はなはだ哀れにも、口から泡をふいて倒れていた。
「心臓発作か?」と、アンソニー。
マーティンがこたえる。
「てんかんとか」
「コンスタンチェに、そんな発作があるなんて、聞いたことないな」
タクミは二人にカツを入れた。
「そんなこと言ってる場合じゃないです! いますぐ、救急車、呼んでください」
「ああ、そうだな」
アンソニーがカベに収納式のパソコンで、救急搬送を要請する。ついでに、屋敷の主治医も呼んだ。
まもなく、高齢のベテラン医師がやってくる。
オリビエの死亡診断書を書いた医者である。
医者はコンスタンチェをひともめ見て、首をひねる。
「だんなさま。この直前に薬物を使ってはおりませんでしょうな?」
思わず、タクミは口をはさむ。
「薬物で、こうなったんですか?」
あまりにも意外だ。
「うーん。ある種のガスアタックを受けたときの症状に似てるな。心筋梗塞や脳卒中なら、体内のドクターインセクトが前もって前駆症状を感知してるだろう」
月の人間のほとんどは、健康を維持するナノメートルの医療マシンを飲んでいる。体調管理や病気の初期処置をしてくれる。侵入してきたウィルスも退治する。
だから、急病で倒れるということは少ない。
医者の言うとおりだった。
ホスピタルにつれられていったコンスタンチェは、体内から毒物が検出された。
幸い致死傷に達してなかったため、中和剤を投与されて、一命をとりとめた。
一週間ほど入院するという。
けっきょく、気になって、病院まで、アンソニーたちについてきてしまった。結果をホスピタルの医師から聞かされる。
自然界には存在しない化学薬品だったそうだ。
循環器をめぐって体内をめぐる神経毒で、消化器官に入っても効果はない。つまり、経口では効きめがない。
待合室に医師がいなくなると、タクミはたずねてみた。
「ダイアナさん。さっきのドクターの話だと、体内に入ると数分で症状が表れるということでした。ダイアナさんといるときに、なんらかの形で毒を受けたとしか考えられません。心当たりはありますか?」
ダイアナは、くちびるをかみしめ、可愛いひざこぞうの上で両手をにぎりしめている。その手が、目に見えて、ふるえている。
「きっと、あのときだわ。コンスタンチェが倒れる少し前。彼女、指を針で刺したの。わたしの
アンソニーの顔が、きびしくなる。
「君のドレスにだって? じゃあ、ことによると、君の命が危なかったってことか?」
コンスタンチェがアトキンス家で、命を狙われるほど憎まれているとは思えない。
つまり、ほんとの標的は、ダイアナだったんだろう。
もちろん、ダイアナの話が真実で、その針に毒がぬってあったと仮定してだが。
タクミは以前、バルコニーで聞いた会話を思いだした。
オリビエを味方につけ、ダイアナを屋敷から追いだす計画がオシャカになったので、次の手を打ってきたのではないだろうか。
財産の半分をとられるくらいなら、ダイアナを殺してしまおうと……。
(あのとき、誰と誰が話してたのか、エンパシーで確認しとくんだった。こんなことになると、わかってたら)
今となっては、悔やまれてならない。
ドロドロした憎悪が渦巻いて気持ちが悪いと、ユーベルが言うのは、こういうことだったのだ。
(これからは、もっとダイアナの身辺を気にかけておかないと)
首謀者が誰なのかは、わからない。
しかし、これであきらめるとは、とうてい思えない。
それにしても、なぜ、オリビエは殺されたのだろうか。
ダイアナに財産を渡したくない誰かにとっては、ダイアナの駆け落ち作戦は、ひじょうに有用な策だったはずだ。彼らがオリビエを殺すわけがない。
やはり、ほんとに、オルフェがやったんだろうか?
オルフェが、ダイアナをジャマに思うアトキンス家の誰かに雇われた殺し屋——なんてことは、ないだろうが。
とはいえ、マーティンが言っていたような誘拐犯とも思えない。
(もしかしたら、この事件。僕が思ってる以上に、ややこしいことになってるのかもしれないぞ)
とにかく、これ以上、犠牲者をふやしてはいけない。
邸内の首謀者を特定しなければ。
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