第52話 遡る記憶

 剣を掲げたレイディーンは魔法を詠唱する。


「常闇で藻掻く大蛇よ、光り輝く楽園に憧れるなら、希望の灯をその腹に収めろ! 【ブラックダルク】」


 レイディーンが魔法を唱えると、彼女の剣先から黒い空間が広がっていき、瞬く間に俺達を包み込む。


「ちょっと、何も見えないわよ! 」


 イストの叫び声が聞こえるが、既に周囲は暗闇に包まれてしまっていて、彼女の姿どころか、自分の手足でさえ見ることができないのだ。これは予想以上にマズい状況である。


「クロ! イスト! 炎を出してみてくれ! 」


 俺は暗闇に向かって叫ぶ、俺が向いている方向に彼女達がいるのかどうかさえ、確信はもてない。


「おかしいのよ、火は出ているはずなのに、全く明るくならないの」

「こちらもだ、まるで光が吸い込まれるようにかき消されてしまう」


 俺の前方から二人の声が聞こえる。火を出しても無意味な暗闇とは厄介な魔法だ。


「エーコは無事か! 」

「はい、何とか大丈夫です! 」


 姿こそ見えないものの、彼女の声からすぐ傍にいることが分かって安心する。


「皆、仲が良さそうで何より。だからこそ、これからお互いに大喧嘩をすると思うと楽しくなってくるな」


 どこからともなくレイディーンの声が聞こえてくる。兜でこもった声がその場に反響している。


「騎士道精神溢れる良い奴かと思ったら、とんでもない悪趣味をしてるじゃないか」

「人は見た目で判断してはいけない、恋愛では中身が大事というだろ」


 中身が大事か……、鎧と兜で全身を隠しているような奴が良く言うぜ。


「だったらお前もその甲冑を脱いだらどうだ、きっと醜悪な中身なのだろうな」

「ふっ、言ってくれる。この状況でそんな啖呵を切れるのは褒めておくが、あまり調子に乗らない方がいい」


 レイディーンが言い終わるとの同時に、指をパチンと弾く音が聞こえると、鳥が羽ばたくような音と金切り声が俺の周囲を包み込む。


「これは、さっきの蝙蝠かっ!? 」


 バサバサという音を立てて蝙蝠達が耳の傍を何度も通過する。蝙蝠は直接的な危害は加えてこないようであるが、重要なコミュニケーションである音を聞き取りづらくなってしまった。


「さてさて、そろそろ自分も動くことにしよう」


 レイディーンはわざとらしく大声ではっきりと言う。彼女がどこから攻撃をしてくるのか分からないが、致命傷を防ぐために頭を守るようにしながらその場に構えた。


「ヨ、カゼ……、タ…スケ……」


 蝙蝠達の雑音の隙間からエーコの声が微かに聞こえる。あの野郎、よりによってエーコから狙いやがって!


「エーコ待ってろよ。おいレイディーン、エーコに手を出したら承知しないからな! 」


 俺は声がする方向に向かって駆けだしていく、周囲では小賢しく蝙蝠が飛び回っているがそんなことはお構いなしに、暗闇の中を一直線に走って行った。


 すると突然目の前が明るくなる、急に光に照らされてしまったため、思わず目をつぶってしまった。俺は防御の姿勢をとりながら、目が光に慣れるまでそこで立ち尽くす。


「あれ、ヨカゼさん。大丈夫だったのですね」


 聞きなれた声がしたので、そちらを向いてゆっくりと目を開けると、そこにはぼんやりとだがエーコの姿を確認することができた。


「エーコは無事なのか? 助けてなんて言うから心配したよ。どこか怪我とかしていないか? 」

「あれ? ヨカゼさんがこっちに来るようにと言ったのでついてきたのですけど……」


 キョトンとしながら首をかしげる彼女。どういうことだろうか、ふと周りを見渡してみるとどうやらここは城の一室らしい。部屋の天井に飾られているシャンデリアが眩い光を放っている。


 俺が入ってきたと思われる部屋の入り口を振り返ってみると、部屋のドアは開いていてその向こう側は墨汁をぶちまけた半紙の様に真っ黒であった。


「ヨカゼサン、ヨカゼサン! 」


 エーコが話しかけてきたので彼女に顔を向けるが、エーコは慌てたように首を振る。不思議に思っていると、エーコの頭上を一匹の蝙蝠がくるくると旋回しているのが目に入った。


「エーコ、こっちに来るんだ」


 俺がその蝙蝠を指差しながら彼女に手招きをすると、エーコは頭の上の蝙蝠を確認した後、小走りで俺の後ろに隠れる。


 そして視線を集めたことに気付いた蝙蝠はゆっくりと高度を落としながら、俺達の目線と同じくらいの高さにとどまると、その小さな口を素早く開閉する。


「ヨカゼサン、タスケテ。オレニツイテコイ、エーコ! 」


 一通りのセリフを言い終わった蝙蝠は、小馬鹿にしたようにその場で宙返りをした後、部屋の隅へと飛行していく。


「あいつ、人の言葉を真似出来たのか」

「もしかして私達、騙されてここに連れてこられてしまったのでしょうか? 」


 その時、部屋の入り口のドアが勢いよく閉じて、鍵のかけられる音がカチャリと聞こえた。


「どうやら、その様だな……」


 施錠されたドアをじっと見つめていると背後から何者かの笑い声が聞こえてきた。


「ふっふっふっ、大事な人の声の区別がつかないとはな。これから先が思いやられる」


 振り向いた先にはレイディーンが腕を組んで立っていた。


「いったい、何を企んでやがる」


 俺とエーコは部屋の壁を背後にして戦闘態勢をとる。


「どうか武器はおさめてもらえないだろうか。自分は争いをしたいわけではない」

「はっ、いまさら何を言ってる」

「おかしなことは言っていないはずだ。自分の目的は争うことでなく、貴殿方の仲を引き裂くこと。そのためには武力行使など必要ないのだから」


 落ち着いた様子でそう述べたレイディーンは右腕を挙げると、そこに先程俺達を茶化した蝙蝠がとまる。そして彼女は手の上で休息をとっている蝙蝠を鷲掴みにした。


「こいつはその少女の記憶を喰らっている、確認してみると良い」


 レイディーンは自分の首筋をトントンと指差したので、すぐさまエーコの首を見てみる。すると小動物に噛まれたような赤い斑点状の傷跡が二つ彼女の首に刻まれていた。きっと先程の暗闇魔法でパニックになっている時にでも噛みついたのだろう。エーコは不安そうな顔をして俺の様子を伺っている。


「お前っ、エーコに何かしたら許さないからな! 」

「そう怒るな、自分は争いをするつもりではないといっているだろう。記憶を喰らったと言ったが、これは奪ったわけではない。簡単にいうと記憶の複製というのが分かりやすいか」

「複製だと……」

「そうだ、この中にはその可憐な少女の頭に眠る記憶のコピーがつまっている。そして、これからそれを貴殿方に見せて差し上げよう」


 レイディーンは、彼女の手の中で力なく翼をはためかす蝙蝠を握りつぶしながら魔法を唱える。


「汝に宿りし記憶の星々よ、現世より我等が観測することを許したまえ! 【メモリーコール】」


 彼女の詠唱が終わると同時に、手の中の蝙蝠が青白い炎となって燃え上がったかと思うと、小規模な爆発を起こして火の粉を部屋中に巻き散らす。


「ま、眩しいっ」


 火の粉とともに吐き出された閃光、俺達は思わず目をつぶり顔を伏せてしまう。


 しばらくして周りが落ち着いたのを確認しながら、ゆっくりと目を開けると驚くべき光景が広がっていた。


「これは……、もしかしてステールですか。ほらあそこに教会が見えますよ」


 そこには俺がこの異世界に転移してエーコと会った場所、ステールの村の風景があった。そしてエーコが指差した先には懐かしい教会が建っていたが、俺が数ヶ月前に見た時よりも小綺麗な印象を感じる。小さなひび割れが入っていたはずの壁は、傷一つなく太陽の日の光を反射していて、屋根まで伸びていた植物のツタは綺麗さっぱりなくなっていた。


「早く早くー、もうお祈りの時間が始まっちゃうよ! 」


 鈴のなるような可愛らしい声が聞こえてくると、小さな女の娘が駆け足で教会の扉の前までやって来る。額に汗をかく少女は金色の髪に蒼い瞳をしていた、その姿はまるで……。


「私……です。まだ小さい頃の……」


 エーコはかがみ込んで目の前の女の子を見つめるが、その少女の視線は俺達のことが見えていないかのように明後日の方向を向いていた。


「やれやれ、相変わらずせっかちさんだなぁ」

「ふふ、誰に似たのかしらね」


 笑い声が聞こえてきたので振り返ってみると、一組の男女が微笑んでいた。男性は茶色の短髪、女性は美しく伸びているブロンドヘアーである。年齢は二十代後半といったところであろうか。ただ、気のせいか彼等の顔は少しぼやけているように見える。


「パパ、ママ、早くっ! 」


 女の子は二人の手を取って教会の中へと入って行った。あの男女が少女の両親ということは、それすなわちエーコの父親と母親ということになる。


「あ……」


 教会をじっと見つめ続けているエーコの目には涙がにじんでいた。亡くなったはずの両親との再会は彼女の心を揺さぶるには十分すぎるものであろう。


「レイディーン! こんな卑怯な真似をしてどうしようというんだ」


 辺りを見回してみるがレイディーンの姿は見当たらない。どこかに隠れているのだろうか。すると、姿こそは見えないものの彼女の声がその場に響き渡る。


「申し訳ない、むやみに心の傷を開くつもりはなかったのだ、その点は謝罪しよう。ただこれで理解してくれたはずだ、今貴殿方は彼女の記憶の幻影をみているということを」

「記憶の幻影だと? 」

「左様、自分の魔法により貴殿方は記憶の幻に包まれている。人というのは誰しも過去に他人に話せないような秘密を抱えているもの。それを暴き出すことにより華麗に破局へと導いてやろうというわけだ」


 高らかな笑い声をあげるレイディーン。


「ゴミみたいな性格しやがっているなお前」

「これがなかなか面白いのだぞ。この前なんか、自称清純派のシスターが男を取っ替え引っ替えしていてな、恋人がいるというのに別の男性に愛を語っているのは傑作だったぞ。またその時の恋人の絶望と怒りに満ち溢れていく顔と言ったらな、くくくっ……」


 思い出し笑いをしてしまったのか、言葉は途中で途切れて笑い声だけが聞こえてくる。これから自分の秘密が暴かれるかもしれない状況に置かれて、エーコは大丈夫なのだろうか。


 不安に思い彼女の方を見てみると、涙を吹くように服の袖で顔をこすった後、エーコは自信満々の表情で宣言する。


「大丈夫ですよ、ヨカゼさん。 私は隠さなければならない過去なんてありません! 」


 彼女の胸を張って仁王立ちをする姿からは、どこからでもかかってこいという様な威圧感を感じられる。


「ふむ、威勢が良いのは感心。しかし、人に言えない記憶ほど、頭の片隅に追いやっていて意識の外にあるものだ。それを皆でじっくりと鑑賞しようではないか」


 レイディーンがそう言うと、周りの景色に変化がおとずれる。太陽は猛スピードで天に昇ったかと思うとボールが落下する様に地平線に沈む。木々は痙攣を起こしたかのように小刻みに震え、人々は目にも止まらぬ速さで移動する。


「これではまるで早送りしているみたいだ」

「ご明察、流石に幼少期では面白そうな出来事も期待できないので、思春期まで時間をとばしている。そろそろ十二歳頃だ、さーて娯楽のない田舎で思春期の少女は何をしているのだろうなぁ」


 不敵な笑い声をあげるレイディーンだが、エーコの顔には一点の曇りもない。


「おはようございます、神父様」

「ああ、おはよう、エーコちゃん」


 目の前に現れたのは今よりも身長が少し低くて、あどけなさが残っている記憶の中のエーコ。彼女は神父様に頭を下げながら挨拶をすると、教会の掃除を始める。


「いつもありがとう、感謝しているよ」

「いえ、皆さんのお役に立てるのであれば私も嬉しいです」


 笑顔で答えた少女は机を綺麗に磨き始める。その姿を見ながら、俺の横にいるエーコは口を開く。


「この時には両親は他界してしまっています。それでも神父様や村の方々のおかげで暮らしていけていたのですよ」

「そうか、大変だったのだな」


 俺がそう言うとエーコはこくりと頷いた。


(うーん、この部分の汚れはなかなか取れないです。薬品を使って丁寧にこするしかありませんね)


 机を一生懸命にこすり続けている少女から声が聞こえる。ただ不思議なことに、目の前の少女は口を開いた様子はなかったのだ。


「驚いたか、その中の世界は少女の記憶の世界。すなわち、少女が心の中で思ったことも声として聞くことができるのだ」


 レイディーンの声が聞こえる。そして、それを聞いたエーコは眉をひそめながら考え込むと、突然ハッとした表情になる。その顔には焦りと戸惑いがあった。


「あ、あのっ、ヨカゼさん。耳と目と口を閉じて深呼吸をして、しばらくそのままでいて下さい」

「エーコ、いったいどうしたんだ急にそんなこと言って」


 すごく慌てた様子でお願いをしてくるエーコに、俺も動揺してしまう。


「えー、それは、そのですね……」


 目を泳がせながらもじもじして挙動不審になる彼女。何か気付いたことでもあったのだろうか。


「鈍い奴だ、貴殿に知られたくないことでも思い出したのだろう。結局、人間なんてそんなものよ、誰しもが心のどこかに闇を抱えているものだ」


 楽しそうなレイディーンの口調にびくりと背筋が伸びるエーコ。


「そうなのか? 」


 エーコは俺の問いに対して、無言で俯く。


「分かった、それなら簡単な話だ。これから起きることは俺は見も聞きもしない」


 俺はその場に座り込み、まぶたに力を入れて目を閉じる。


「ちょっと待て、それでよいのか? その少女が隠し事をしているのは明白。しかも貴殿に知られたくない特別なものだと見受けられる。それを易々見逃すと? 」

「エーコが嫌がるなら、しないだけだ」

「ヨカゼさん……」

「愚かな、そんな秘密を抱えた者とこれからずっと一緒にいられると思うか? いずれこの秘密がきっかけで仲違いするのかもしれないのだぞ」

「俺がここまでこれたのはエーコのおかげだ。秘密や隠し事の一つ二つ、なんて事はない」

「くっ……」

「それじゃ俺はしばらく目と耳を塞ぐから、何か異常があったらすぐに知らせてくれ」


 悔しがるレイディーンを余所に、エーコにそう伝えた後、再び目をつぶり、耳を手で塞いでその場に座る。


 しばらくの間、沈黙に包まれたかと思うと、不意に俺の手を誰かがつかむ。その手の感触でそれはエーコによるものだと気付くのはそう難しくなかった。彼女はその柔らかい手で、俺の手を取って優しく語りかけてくる。


「ヨカゼさん、私のお願いです。一緒にこれからの出来事を見てください」


 俺が目を開けるとそこには真剣な表情の彼女がいた。


「多分ヨカゼさんは呆れてしまうかもしれません。ですけど、貴方にはやっぱり私のことをもっと知ってもらいたいです」


 真っすぐに見つめてくる彼女に向かって、俺はゆっくりと頷いた。

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