その3 妊娠前の話

 妻がいなくなってもう二週間だ。

 妻の実家に連絡してみたが、義母に理由を聞かれて誤魔化すのに困ってしまったが、どうやら妻は連絡を入れていないようだ。 


 最初の夜は「お互い頭を冷やす時間も必要かもしれない」と自分に言い聞かせていたが、ここまで連絡がつかないと心配になってきた。

 妻の言う通りである。何が「頭を冷やす時間」なのか。私は波風を立てない方法しか考えていない。


 早く話し合って、妻と意見を合わせないといけないのに、会えばまた喧嘩になってしまいそうで、足が動かなくなる。

 頑として譲らない妻をなんて説得すれば良いのかがわからない。『運命学』についてのあれこれを一から説明しても、きっと興味を示さないだろうし。


 ただ、理解してくれさえすれば、どれだけ無謀なことかはわかるはずだ。妻はバカではない。人間という存在がどれだけチッポケなものなのかを知れば、きっと私の考えをわかってくれるはずなのだ。



 記者になってすぐ、『運命学』の記事に携わることになり、教授にインタビューをする事となった。

 だが、先輩たちは「気難しい方だから」と苦笑いを浮かべるだけでアポイントすら取ろうとせず、編集部に漂っている空気から、一番下っ端の私が依頼の電話をする羽目になったのだ。

 が、先輩らの噂とは裏腹に私がニュース配信社の記者だと自己紹介をすると、教授は快く取材を引き受けてくれた。

 先輩たちは「大地震の予兆だ」などと茶化したが、まだ新人であった私は一つ大手柄を挙げられたことに内心得意になった。


 確かに時々、飛んだことを言う人ではあったが、ほとんどの場合、教授は気さくで、為になる話をよく聞かせてくれた。

 私が編集を離れ、仕事の接点がなくなってからも、ちょくちょくと飲みに誘ってくれる。


 教授は私に『不治の病』についても説明してくれた。


 遺伝子操作やナノマシンの技術が発達していなかった昔は人間の一番多い死因は「病死」であった。

 病というものが体内で発生すると、ちょうど故障した機械のようになったら、数日ベッドから起き上がれなくなったり、死なずとも後の人生に支障をきたす後遺症を持ってしまったらしい。

 その後、医療の発達によって、この世から病というものは消えた時、『人間を殺し続けた病に、ついに人間は復讐を遂げた』なんて歌詞が流行ったそうだ。

 今では考えられないが、病という天敵がいなくなったことで本気で不老不死に近付いたと思った人もいたようだ。


 彼らの期待通り、最初の二十年で90億人であった世界の総人口はグングンと伸び120億人にまで達した。今後もさらに増えるだろうと言われていた人間をどう管理するかが、人類の大きな課題だとその頃は思われていた。


 ただ、運命というものがそんな甘くないことは、その時代の人々は徐々に思い知らされる事となる。

 人類が殺したはずの病はその時、生に惚気ている社会の闇で薄ら笑いを浮かべていたのだろう。


 異変に真っ先に気づいたのは厚生省ではなく、警察庁であった。

 前年度に比べ、事故の件数、事件の発生数が大幅に増加したのであった。

 当初は『健康に暮らせる保証かくる高揚感から』と理由付けされ、直ぐに落ち着くものとされた。

 しかし、二年、三年、五年が経過しても、状況は一向に良くならず、むしろ年々死者は増加の一途を辿った。

 その後、交通の見直し、治安悪化の防止として警察官の採用は例年の倍になり、一人でも多くの人間を殺さないことに徹した。

 その甲斐があり、数年かけて年間の事件事故での死亡者数は減り始め、ピーク時の三分の一にまで抑えることに成功した。

 警察関係者は大きな安堵を漏らしたが、同じくらい大きなため息が別の省庁から聞こえた。


 今度は自殺者の数が爆発的に増え始めたのだ。


 さらに、それを引き金にしたように翌年からまれにみる不景気と天候による災害に見舞われ、死亡者、自殺者、路頭に迷う人々が増加、そうなれば警察がいくらいても無駄であった。

 前年、三分の一にまで圧縮された圧力が一気に弾け飛び、翌年の死亡者は一気にピーク時のさらに三倍に膨れ上がってしまった。


 今の時代ならば『死んで消えるはずのピース』を無理やりはめ込んだために、街のスピンパネルが上手く回らなくなったのだから当然の結果である。

 素人の私でも一言で説明が行く事象であるが、もちろん当時、この時代に『スピンパネル』という概念は存在しない。


 現実を受け入れられない政府とは裏腹に、非情で変わり者の多い学者らはこの現象に知的好奇心を燃やし、やれ不謹慎な話題で、教授が言うには毎晩、盛り上がっていたそうだ。

 ちょうど、教授の先生にあたる方たちがこの時代の人々で、教授はよく酒の席で、当時の話を不謹慎なことを言ってバカ笑いしている先生から聞いていたという。


 死ぬ総数は決まっている。

 人間の数は110億人から何をしても増えない。

 そして、死者の数を無理に抑えようとし、人口が増えると世界は支障をきたす。この逃れられない運命こそ、人間が患っている『不治の病』であった。


 当時のWHOは異例の会見を開き『不治の病』についての発表を行い、病が消えて数十年後、人類はもっと大きな恐怖を目の当たりにする羽目となった。

 『病』なんてものは運命が人を殺す時に用いる気まぐれの一つに過ぎなかったのだ。この巨大過ぎる敵は、そんな首を一つだけ斬られても、ビクともしていなかった。


 その後、人類はこの巨大過ぎる悪魔に立ち向かうなどというバカな選択はしなくなった。

 『いかに運命の機嫌を損ねずに死者を最小限に抑え、社会を維持するか?』のみを街ごとに考える方向へとシフトする。 

 その為に生まれたのが、社会を最小データにまで簡略化した『スピンパネル』であった。


 その後、運命学の分野が生まれ、人類はスピンパネルのおかげで、なんとか最小の死者のみを出すだけで社会を機能させている。


 そして今、妻のお腹にいる子はこの犠牲者の一人になるという事だ。

 ここまで話せば、妻だってお腹の子を国に預けることが賢明な判断だと理解してくれると思うのだが……。


 そんなことを一人で考えていると携帯が突然、鳴り出した。

 見慣れない番号であった。

 いつもなら出ないが、もしかしたら妻と繋がっている人かもしれないと思い、私は電話に出てみた。


 電話の相手は、妻の担当医の方であった。


「今日、奥様が一人で診察にいらしたので……」


 妻は定期検診には顔を出したようだ。

 医者が言うには、そこで「この子を産んで育てます」と面と向かって宣言をしたそうだ。


「そうですか」


 私は言葉がなかった。


「あの、もしよろしかったらでいいのですが……」


 と、医者が突然、改まった声で私に言ってきた。


「一度、二人だけでお話をしませんか? 今後のことで、一つご提案があるのですが……」


 電話口の言い方に何か、奥の手があるような素振りであった。


「わかりました。では仕事が終わってからでよろしいでしょうか?」

「ええ。会社の近くのまで伺いますので」

「では空いてる日を連絡します」

「よろしくお願いします」


 そう言って、医者からの電話は切れた。

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