第144話 閉ざしていた記憶
なさい……
きなさい……
「アーネスト、起きなさい」
昨日同様、姉の声に目を覚ます……だが目の前に居たのは母では無い黒い靄に覆われた人型の『何か』だった。
「っ!?」
驚きで声が出ない、咄嗟に剣を握ろうとするが腰元には当然何も無かった。
「やっ……た、アーネ……ず朝……弱…………ね」
まるでノイズが混ざる様に声が所々聞き取れない、だが声は確かに姉の物だった。
いや……本当に姉なのか、恐怖すら感じる人型の黒い何か、気が付けば周りは炎に包まれていた。
「何……これ?」
黒い何かは姿を消す、だがその瞬間アーネストの視点が急に家の外へと変わった。
理解が追いつかないまま物事は進んで行く、燃え盛る家の中に見える一人の影……黒い禍々しいオーラを放つ剣を片手に佇む少女、身に纏っていた白い服は赤く染まり、笑っていた。
その光景にアーネストは膝から崩れ落ちた。
「嘘……よね?これも幻覚よね?」
少女に見覚えがあった。
それに剣にも……あれは魔剣、そして使用者は幼い頃の私だった。
『アーネスト、貴女が私達を殺したのよ』
「私が……殺した?」
目の前に居たのは腹部から血を流す母だった。
私が家族を殺した……そんな訳ない。
確かにグラードが殺した……私はこの目で見た筈だった。
グラードが父と言い争っているのも聞いた筈……そこから亀裂が生まれ、彼が父を……
『違うだろ……アーネスト?』
低い声で父が告げる、その言葉にアーネストは視線を移すと拳が血に染まっている父がそこに立っていた。
その表情はまるでアーネストを蔑んでいる……その時、頭に激しい痛みが走った。
「何でフィーユが犠牲になってアイツが……生きているんだ」
一人書斎で涙を流す父……それを幼いアーネストは扉の僅かな隙間から覗いていた。
あぁ……そうか。
「お前さえ……お前さえ居なければ!」
母が持つナイフが幼いアーネストの頬を掠める、私の記憶が全て……偽りだったのだ。
全て……思い出した。
姉は……私を助ける為に死んだ。
剣術の才も、勉強の才も何も持たずに生まれた私と全てをもって生まれた姉……両親の愛情は当然偏った。
だが私も愛されていなかった訳ではない、ご飯も普通に食べさせてもらえた、服もおもちゃも買ってもらえた……ただ、全て姉のオマケなだけ。
遊んでと言って遊んでもらった試しも無かったがそれは愛されて居なかったのでは無く姉に時間を割いて居ただけ……当時の私はそう思って居た。
何も教わらず育った、そんな私は当時モンスターの存在も知らなかった。
屋敷の隣にある森でその日は珍しく姉と遊んでいた……だがモンスターに襲われ、姉が私を庇って傷を負った。
両親はすぐ様姉を治療したが頑張りも虚しく姉は亡くなった……その日から私に対する暴力は始まった。
お前が死ねば良かった。
無能のお前が生きて、何故才能のある姉が死んだのか。
毎日のようにずっと言われ続けて居た。
そしてとある日。
「フォラン!自分の娘だぞ!?何を考えている!」
「お前には分からないグラード!姉は有望だった……何でも教えればすぐに出来る天才……アダマスト級冒険者も夢じゃなかった!それなのにあの無能のせいで死んだんだぞ!?」
「自分の娘に無能も糞もないだろ!!」
父もグラードの言い合う声……そうだ、グラードは父を殺したのでは無く……寧ろ私を守ってくれて居たのだった。
「黙れ……黙れ!!」
父は怒りに身を任せ握って居たペンでグラードの首元を刺した。
声も出せず倒れこむグラード、その光景を私は目撃して居た。
そしてそれを知った父は私を殺そうとした……だから私は必死に逃げ、父がコレクションとして買って居た剣を手にした。
それが魔剣アイリーンだった。
そして魔剣は私に語りかけた。
『力を貸してやろう、助けてと言え』
その言葉に従った。
そして私は……父を、母を……殺した。
その手は血に染まり、悪夢からの解放で笑う……それが今目の前で映っている幼い頃の私だった。
記憶を塗り替えて居たのは私が悪いと認めたくない己の醜さからだった。
「そうか……私が家族を……」
記憶は全て偽りだった。
存在もしない両親の仇を討とうと無駄な冒険をして……そしてシャリエルを巻き込みフィルを殺そうと魔剣に身を委ねた……恐らく身体は二度と帰ってこない、魔剣は私が身体を委ねるのを待って居たのだろう。
まんまとはめられた。
いや、魔剣のせいでも無い……全て無能な私が悪いのだろう。
「死んだ方が……マシよね」
本当に死ねるのかは分からない……だがアーネストの手には落ちて居たナイフが握られて居た。
そっと首元に当てる……だがその時、声が聞こえて来た。
アーネスト……
って来いーネスト…………
『戻って来いアーネスト!』
シャリエルの声だった。
何処からともなく聞こえて来たシャリエルの声……ふと下を見るといつのまにか地面は無くなり、黒い水であふれて居た。
その上に立つアーネスト、そしてその下でシャリエルは手を伸ばして居た。
『この手を掴んで!帰るわよ!!』
アーネストとシャリエルを隔てるように存在する黒い水から薄い光に包まれた右手だけを差し出すシャリエル、だがその手を掴もうとはしなかった。
「私は……助ける価値も無いクズ、親を殺し……存在もしない仇の為にシャリエル、貴女を何度も危険に晒した、そして挙げ句の果てに魔剣に身を委ねた……仲間と言ってくれた貴女に頼りもせずに……そんな私は此処で死ぬとまで行かずとも永久に閉じ込められた方が……」
『うっさい!つべこべ言わずに握りなさい!!』
聞いたこともない程に声を荒げ怒鳴るシャリエル、その言葉にアーネストは衝撃を受けた。
何故私をここまでして助けようとするのか……理解出来なかった。
掴もうか悩んでいるとシャリエルの手がアーネストの足を掴む、その瞬間身体が黒い水の中に吸い込まれるように沈む……身体は光に包まれ、水の中から襲い来る黒い闇の手を弾いて居た。
「何で……助けに来たの?」
私は……シャリエルに裏切りにも近い行為を……いや、シャリエルを裏切った。
見捨てられても文句は言えない。
『うるさいわね……フィルからアンタの境遇を聞いた時、助けるって決めたのよ』
「フィルから?」
今思えば彼は何故居もしないグラードの傭兵と偽り私と何度も戦って居たのか……それに彼は一度も致命傷は与えて来なかった……良く良く思い出せば不思議だった。
実力差は明らか……私は殺されてもおかしくなかった。
『あんたが気絶してる時に聞いたのよ、過去とか魔剣の事とか……まぁ辛いのはお互い様ね』
「聞いたって……フィルが何で私の過去を?」
『グラードの元でかなりの期間傭兵してた見たいでね、あの事件の時も付き添いで居たみたいよ』
あの事件……恐らく魔剣の力を借りた時のことだろう。
父と母を殺したあの時……フィルも現場に居たとは思いもしなかった。
『アーネスト、私に出来る事は終わった、後は貴女次第よ』
そう言いシャリエルの手が離される、気が付けば辺りには花畑が広がって居た。
「此処は……」
姉と幼い頃に何度も来て居た思い出の場所だった。
だが何故今此処でその花畑が幻覚として映し出されているのか……アーネストは不思議そうに辺りを見回す、すると見覚えのある剣が不自然に色とりどりの花の中に突き立てられて居た。
「何で……魔剣が?」
此処は魔剣が見せる幻覚の中の筈だった。
そこに魔剣がまた存在する、可笑しな話だった。
花を極力避けながら魔剣に近づく、近づくにつれて感じる魔力……使用者の私が一番よく分かる、これは本物の魔剣だった。
だが身体を委ねた筈……何故魔剣が此処にあるのか、もしかすると途中で崩壊した幻覚世界と関係があるのかも知れなかった。
『アーネスト……もう一度力を、身体を貸せ』
いつもの聞こえる魔剣の声では無かった。
無機質で機械的な声なのには変わりないが何処か焦りが見える……
「力を貸せってどう言うこと?」
『グラードの傭兵が私の力を弱め、封印しようとしている……このままではまずい、もう一度グラードを、フィルを憎め!』
魔剣の焦りが伝わる……だがアーネストは顔を上げると一歩後ろに下がった。
「ごめん……憎むのは自分自身で十分かな」
『真実を思い出したか……だが私をこれで完全に封印出来たと思うなよ……復活の時は何れ来る、その時までの別れだ』
魔剣はその言葉を残すとその場から光になり消えて行く、空へと登っていく光を眺めていると突然アーネストは意識を失った。
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