愛してる 〜必ず戻る、必ず守る〜

１３話

　キャンドルの灯は小さく揺れている。

「…俺が、父親に…。」

　灯を見ながら亮が語り出す。

「俺は親を知らない。家族を知らない。父親、母親、きょうだい…。気づいたら養護施設にいた。興味がなかったから、自分の親のことは何も聞かなかった。だから俺は親に対して何も思ったことがない。憎いとも会いたいとも。…だけど今、すげー嬉しいんだよ。自分に子供だなんて…こんなに嬉しいもんなんだな…。お前のおかげだ。」

「私？」

「そうだ。お前がいてくれたから、俺は父親になれたんだ、お前との子供の。でかい自信はまだねぇけど、お前らのためなら何だってする。」

　ぶっきらぼうな亮。加波子は嬉しくて言葉が出なかった。頭を亮の肩にコツンとした。

「子供ができたことはもちろん嬉しいけど、その前に、お前のおかげで全部知ることができた。嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい、恋しい…。全部お前が教えてくれたんだよ。」

「…それは…私も同じだよ…。」

　亮は加波子を真似て、やさしく頭を加波子の頭にコツンとした。

「俺はずっと独りだった。それが当たり前だとか不思議だとか、何とも思わなかった。全員が敵。一瞬先は何が起こるか、自分はいつどうなるか…。生きてる心地がしない、そんな毎日を過ごしてた頃もあった。それでもそこに、俺は居た。」

　加波子は亮の手をぎゅっと強く握る。

「そんな思いまでして…どうしてそこに居たの…？」

　亮はため息をつく。

「生きてるからには生きなきゃならねぇ。でももうめんどくせぇ、どうでもいい、そう思ってた時に、うまい具合に奴等と出会った。俺は流されたんだ。でも世界が一変して、それまでめんどくせぇって思ってたことを考えなくて済むようになって、それがすげー楽だったんだよ。すげー怖くて脅えることはあっても、それまで考えてたことは何も考えなくていい、それに慣れていったんだ。」

　亮の悲しみ、苦しみ、恐怖。それを考える加波子にも恐怖が襲う。加波子は目を閉じ脅える。さらに亮の手を強く握った。

「でもある夜、俺は逃げた。どこにも居たくなくなったんだ。どれだけ走ったんだろうな。無我夢中で。命からがら。でも考えてみたら、どこも行くところなんてねぇし、行きたいところもねぇし、どこに逃げてんのか、なんで逃げてんのかさえわかんなくなった。で、あれどこだったんだろうな。工場の近くだったんだろうけど。少しだけライトがついてて、丈夫そうなロープと、丈夫そうな柱がある建物を見つけて、首を吊ろうしたんだ。」

「え…？」

「そんな俺を偶然見つけたのが、工場の社長だった。あの社長が、俺を拾ってくれたんだよ。」

「そんな…。」

「俺に、社長ってのができて、先輩ってのができて。そのうち後輩ってのもできて…。悪くないと思った。人付き合いってのはよくわかんねぇけど、人との繋がりができたんだよ俺に、生まれて初めて。…そうしてる間に…お前と出逢った。お前とも繋がることができた。」

　少し考える加波子。

「じゃあ、どうして最初、私に冷たかったの？」

　言葉を選ぶ亮。

「俺に…余計な人間関係は必要ないと思ってたんだ。きっと面倒だし邪魔だろうって。ずっと独りで生きていく、ずっとそう思ってたからな。だから、お前がしぶとい女でよかったよ。」

　憂い顔と、か細い声で加波子は言う。

「私だって、めげそうな時…あったよ…？」

「でも待っててくれた。そうだろ？」

　加波子は亮を見た後、ゆっくり頷く。

「私も…亮がいなかったら、何もない人生だったな。空っぽの人生。ずっと孤独で、仕方ないって諦めてたかもしれない…。でも亮と出逢って、人生が動き始めたの。生きてる実感も、生かされてる実感もした。亮がいてくれたから、今まで何でも一生懸命になれたの。それに亮のおかげで、失くしてた感情が何倍にもなって戻ってきた…。まさかそんなことがあるなんて…。」

　亮は加波子の落ちかけていた毛布を深く肩に掛ける。その毛布を加波子は強く握った。

　毛布の中の内緒話。キャンドルの灯は、ふたりを照らし続けている。

「私ね、もしまた誰かを好きになれたら、その人の子供だけは欲しいと思ってたの。」

「？子供だけ？何だよ、それ。」

　加波子の言うことが理解できない亮。加波子は亮を見た後、少し笑う。

「きっと私のことだからね、恋愛すらうまくいかなくて、結婚なんてないって思ってた。そういうの、諦めっていうのかな。それに、その好きになれた人が、私が本命じゃなかったり、奥さんのいる人かもしれないし。どんな人かわからない。」

「お前、何言ってんだよ？」

　亮はどんどん加波子がわからなくなる。今度は遠い目をする加波子。

「男の人はみんな彼女か奥さんがいた。当たり前かのように。入る気なんてなかったけど、私の入る隙なんて全くなかった。でもね、私が塞ぎ込んでた頃、あるひとりの人と出会って、その人、私のこと見てくれて。しばらく一緒にいてくれたの。すごく大事にしてくれた。このままいられたらいいなって思った。でも、何も言わずに突然消えちゃって、そのすぐ後に、その人結婚したって聞いた。」

　亮は加波子の話が信じられなかった。信じたくなかった。知らない加波子の、過去の悲しみを。

「初めから存在すらしなかったかのようにきれいに消えて。その後、もちろん音信不通。…こういう人もいるんだって、みんな私と同じ気持ちだとは限らないんだって、その時知った。それで…。」

「それでお前は…。」

「その時思ったの、妊娠してないかなって。恋愛がうまくいかなくても結婚できなくても、子供は産めるかもしれないじゃない？だからその好きになれた人との子供、ひとりで産んで、ひとりで育てようって、大切にしようって。そんなこと考えてた。」

　キャンドルの灯も驚いているように見えた。

「例え好きな人がいなくなっても、子供がいればその子に、血と遺伝子を私に残してくれたって思えるから…。…なんて、今話して思ったけど、それって完全に自分のエゴだね…。そんな子、幸せになんて…なれないね…。」

　加波子は遠い目をしたまま、気づけば涙が頬を濡らしていた。そして不器用な亮は言葉が出ず、その代わり同じく、涙で頬を濡らしていた。ふたりは同じ悲しい涙に濡れていた。

「妊娠だなんて、軽々しく言ってた自分がバカみたい。きっと自分のこと大事に思ってなかったんだ。…自分なんかどうでもいいって、きっと思って…。」

　静かに、でも強く泣く加波子。亮はそんな加波子の自責と悔いに溢れた姿を初めて見た。亮も悔しくなる。

「…やめろ…。もう昔のことだろ…。」

　亮は加波子の肩をぎゅっと掴み、自分の肩にぎゅっと寄せた。

「お前…そんな…。」

「そんな…？」

「もう…何も考えるな…。」

「…亮もだよ…？」

　堪え切れず抱き合うふたり。癒され、慰められ、恐怖から解放される。言葉にならないほどの、お互い初めての安心感と幸福感。ふたりでしか感じられない愛。キャンドルの灯は輝いていた。

　亮の目はまだ涙で滲んでいる。

「これからは…そうだな、これからは全部一緒にしよう。ふたりで笑ってふたりで泣いて、ふたりで考えよう。全部ふたりで一緒にしよう。約束だ。」

　加波子は亮をきつく抱きしめた。大粒の涙が止まらない。ふたりは涙で約束をした。

　加波子は涙のまま。自分のお腹に手を当てる。

「私には、亮が待ってたんだね…。一番大切な人に…私は出逢えた…。その大切な人、亮は、亮を私に宿してくれた…。私の中に亮がいるって思うと、すごく嬉しいし、きっと強くなれる…強くなりたいと思う…。亮は…壁を壊して私を見つけてくれた、私の救世主…。」

　小さく揺れるキャンドルの灯が、加波子の涙を照らす。

「救世主はお前だ。お前がいなかったら、俺の人生、俺の命。あってないようなもんだった。お前が俺の人生に入ってこなかったら、今頃どうしてたか…。ずっと独りだったか、それとも…。」

　亮はそっと灯から目をそらす。

「それに…ずっと独りだった俺に、守りたいものができるなんて、こんな時が待ってたなんて…。信じらんねぇよ…。お前には、感謝してもしきれねぇよ…。」

　それでも亮は言う。加波子の手をきつく握って。

「ありがとう、加波子。」

　キャンドルの小さな灯の前。ふたりは見つめ合い、そして今度はやさしく抱きしめ合う。亮は加波子を、加波子は亮を、感じ合う。

「お前と、出逢えてよかった。」

「私も、亮と出逢えてよかった。」

　想い出す。秋の夜、雨の駅。

「あの時、傘貸してくれてありがとう、亮。」

　再びふたりは見つめ合う。加波子は穏やかな表情、目は涙で潤んでいる。そして瞼を閉じると、潤んでいた涙が星のように降り注いだ。亮は加波子の手を取り、そっと握る。見つめ合ったまま誓う。

「幸せになろう、三人で。」

「…はい…。」

　亮は加波子の涙を指で拭う。そのまま加波子の頬に手を添え、ゆっくり、やさしくキスをした。ふたりが初めてキスをした時のように、ゆっくり、やさしく。

　ふたりは肩を寄せ合う。キャンドルの灯を見る。目がまだ涙で潤んでいる加波子が、涙目の亮にそっと言い出す。

「ねえ、亮。亮はどっちがいい？」

「なんだ？」

「赤ちゃん。男の子か女の子か。」

「お前なぁ、気が早ぇよ…。」

「どっちがいい？」

「そうだなぁ…女だとお前に似て泣き虫になるし…。」

「男の子だと亮みたいに素直じゃない子になるし…。」

「お前ふざけんな。」

　亮は少し笑った後、真剣に話し出す。

「でもやっぱり…お前に似た、やさしい女の子かな…。名前は…優子。優しいの『優』に、子供の『子』。『子』は、お前についてるからな。」

「…亮…。」

「なんだよ、文句あるのか？」

「ううん…、すごくいい…。あ、じゃあ、男の子だったら『優』にしない？」

「ああ…、そうだな。」

「…決まった…。決まっちゃったら、もっと早く会いたくなっちゃった…。」

　加波子は自分のお腹に手を当てる。その上から亮も手を重ねる。

「きっとすぐだ。」

「うん。」

　亮はそのまま加波子にキスをした。１回、２回、３回した後、亮はおでこを加波子のおでこにコツンとした。

「しばらく、おあずけだな。」

「そうだね。」

　笑う加波子。手を当てていたお腹に向かって言う。

「あなたのパパ、やらしーからちゃんと見張っててね。」

「お前、変なことゆーな。やらしくねーし。それよりお前、体冷えてきたんじゃねぇか？布団に入ろう。今日は疲れただろ。」

　キャンドルの灯を消し、ふたりは布団に入る。亮は右側、加波子は左側。涙はやさしさに溢れた部屋にそっと消えていった。

「寒くないか？」

「うん、亮がいるから。」

　加波子は亮にキスをした。驚く亮。

「おやすみのキス。」

「じゃあ朝は、おはようのキスだな。」

「そうだね。」

　本当は、ずっと語っていたいふたり。

「ねえ、亮？」

「ん？」

「おやすみなさい。」

「おやすみ。」

　ふたりは微笑んだまま眠りにつく。

　離れぬよう、手を握りながら。