5話

 アパートへ帰る途中、加波子に向かって男が走ってくる。航だ。かなり息を切らしている。亮に何かあったのだと、加波子は直感した。


「何があったんですか?!」

「亮がいない…。」

「え…。」

「前とは違う…。」


 賑わう商店街の真ん中。航の息は上がったままだ。


「部屋がめちゃくちゃに荒らされて…血の跡も…。」

「血…。」

「階段にも道のあちこちにもあるんだよ…。警察に通報はしたけど、動いてくれるかどうか…。とりあえず今、工場の連中と手分けして探してる…。…意味…ないかもしれないけどな…。」


 加波子は慌ててスマホを出す。亮のスマホにかけるためだ。亮のもう一台のほうに。


「無駄だ、繋がらない…。」

「亮はスマホを2台持ってるはずなんです。1台は亮の、もう1台は私がこっそりジャケットに入れて…。」

「あんた…。」

「それを今、亮が持っていれば…。」


 亮は雑居ビルが並ぶ、ビルとビルの間。男が1人いる。亮の顔は腫れ、血まみれだった。腹を何度も殴られ蹴られ、壁にぶつかりズルズルと下に落ちていく。地面に落ちている亮のスマホの液晶は割れ、本体は曲がっていた。男は言う。


「おまえ、まさか逃げる気でいたのか?」


 亮は殴られる。


「まさかな。側近に知れたらどうなるかなぁ。」


 その時だった。加波子だ。


  ブーッ ブーッ ブーッ


「?なんだ?なんか鳴ってるのか?おれでもないし、おまえのはぶっ壊したし…。おまえ、なんか隠してるな?」


 男が亮のダウンジャケットを掴み、亮は反抗するも、男に勝てる力はなかった。見つかってしまった、亮のもう1台のスマホ。


「なんだよ、やっぱおまえ隠してたのかよ。」


 殴られる亮。


「…カナコ…女?おまえ女いるのか?」

「やめろ…。」


 男は電話に出た。


「もしもし亮?!今どこにいるの?!亮?!」

「あんたこいつの女?」


 聞いたことのない声。慈悲のない声。


「誰…。」

「ともだち。今あそんでんだよ。」

「…今どこにいるの?」

「教えると思うか?」

「亮は?そこにいるんでしょ?!亮!何か言って!亮!」


 男はめんどくさそうに亮のもとへ行く。そしてスマホを亮の顔に近づける。


「やさしー女だな。なにか言ってやれ。」

「亮?!亮?!」

「…お前…何してんだ…。」


 男は壁に寄り掛かっている亮の腹を押し潰す。亮の醜い鈍い声が聞こえた。


「亮!!」

「聞こえただろ?おれってやさしーなー。じゃあ…。」

「待って!待って!」

「しつこいね、あんた。」


 加波子は時間を少しでも稼いだ。周辺の音を聞いていた。少しでも長く。


「待って…待って…。」

「じゃあね。」


 電話が切れた。


「亮は?!あいつは?!おい!」

「…線路が近くて、少しだけ…工場の音が…。」

「わかった!もう一度警察に連絡してまた探す!」

「私も!」


 加波子は航に腕を強く掴まれる。


「あんたはここまでだ。」

「どうしてですか!」

「わかっただろ、危険すぎる。」

「嫌です!私も探します!」


 航はそう言う加波子の両肩を強く掴み、ぶつけるように叫んだ。


「いい加減にしろ!あんたに何かあって、一番悲しむのはあいつだろ!!そんなこともわかんねーのか!!」


 叫ぶ航に、加波子は黙る。


「じっとしてるんだぞ、いいな…。」


 航は走っていった。加波子はぶら下げていた妊娠検査薬の入った袋を落とす。そしてアパートに急ぐ。


 部屋に着いた加波子はリュックを出し、適当に荷物を入れ、そしてキッチンへ。包丁を出し、真っ白なタオルで包んでリュックに入れる。


 ドアを閉める必要も時間もなかったが、加波子は目を閉じ、何かに区切りをつけるかのように深呼吸をする。そして鍵をそっと閉めた。亮のもとへ急ぐ。


 商店街の真ん中。落とされた妊娠検査薬は、もしかしたら泣いていたかもしれない。


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