10話

 誕生日翌日。加波子は手紙を投函してから出社する。決心する。


 お昼。誰もいない会議室。初めて加波子は健に電話をする。緊張する加波子。すでに息が上がっていた。健が電話に出る。


「もしもし。」

「もしもし加波子です、今お時間大丈夫ですか?」

「ああ…少しなら。どうしたの?」

「あの…。」

「なに?」

「あの、私好きな人がいるんです。」


 突然の加波子からの電話。昨日告白をした相手。その加波子からの告白。しかし健は冷静だった。


「その人と、うまくいってるの?」

「…遠い…所にいます。でも、私は彼を忘れたくないんです。」

「そんなの綺麗事だ。」


 加波子は逆らう。


「違います!」

「だったら!今、君のそばにいて、君を守ってくれる人は誰だ!」


 加波子は息を吸うが言葉が出ない。何も言えない。健は小さな呆れたため息をする。


「君は一度冷静になったほうがいい。…じゃあ仕事に戻るから…。」


 電話は切れた。加波子の緊張の糸も切れた。言いたいことは言ったのに、言い返されてしまった。しかもそれは正論だった。加波子はその場で立ち尽くす。力が抜ける。無様だと思った。


 会議室から出ると友江にぶつかる。加波子の様子がいつもと違うと感じた友江。


「あんた、こんな所で何してるの?探したわよ。さ、行こ行こ。」


 喫茶室・ジョリン。


「ねえ、カナ。」

「はい。」

「私ね、」

「はい。」

「いい男見つけたの。」

「はい。」

「でね、」

「はい。」

「結婚することになったの。」

「はい。」

「嘘。」

「はい。」

「全部嘘。」

「はい。」


 友江は加波子のあごを少し上げ、クイッと自分のほうに向ける。


「私の話聞いてた?」

「はい。」

「じゃあ私何て言った?」

「えっと。何でしたっけ。」

「あんた今、色っぽい。私が見てきた中で一番。あんたもそろそろ自分のこと考えなさい。」

「自分のこと?」

「自分の幸せよ。このままじゃ生涯独身、孤独な人生になるかもしれないわよ。」

「私はそうなっても構いません。」


 友江はさらにあごを上げる。


「それを直しなさいって言ってるの。」

「…冷静になれ、ってことですか?」

「何よ、わかってるじゃない。」


 友江はそっと手を離す。


「冷静って、どうすればなれるんですか…。」

「そうねー。あんたの場合、一度自分を客観視してみたらどう?自分をもうひとり作って、そのもうひとりを自分が眺めるの。難しいかもしれないけど…何か見えるんじゃないかしら?」

「客観視…。」


 客観視。考えたこともない言葉だった。今自分は、自分に夢中なのか、亮に夢中なのか、どちらもなのか。何もわからなかった。


 トイレにて。加波子はふと鏡を見た。鏡に映った自分を見つめる。


「えっと…私は…、小さな会社でOLをしていて…小さなアパートで一人暮らしをしていて…興味のあるものは一応あって…友達は少ないけどいて…。昨日告白されたけど、それには応えられなくて…それで私は…。」


 自分には何もないと思った。何も持っていないと。無力で無知、無能。鏡に映った自分に言う。


「最低…。」


 そして、ふと首を横に傾けたその時。目に入ってしまった。首と襟の間。ネックレスのチェーン。そこから目が離せない。動かせない。首元が熱く感じる。加波子は自分を見つめることさえできなかった。




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