7話
加波子は渋谷にいた。健と会うためだ。合コンの日に行ったカフェ。健と会うのは合コンを含めて3回目。2回目に会ったのもこのカフェだった。どこへ行く訳でもない。ただここでコーヒーを飲む。それが加波子にはありがたかった。
テラス席で加波子は待つ。晴天。暑くも寒くもない、いい天気だった。健が来た。店員に注文をする。
「先に頼んでてよかったのに。」
「いえ、そういう訳には。」
目線を少し下に向ける加波子。そんな加波子を健は何度も見てきた。
「いつもそうなの?」
「え?」
「いつもそうやって、うつむき加減で、律儀で、控え目で。疲れない?」
そういう目で自分は見られていたのかと知る加波子。
「疲れなんて…考えたこともないです。…多分慣れてないんです、人と接することが。元々友達も少ないし、その上人見知りだし。今まで人付き合いっていうのを知らずに来てしまって。…仲良くなるまで時間がかかるのか…もしかしたら、これが今の本当の私…。」
加波子をじっと見る健。
「まぁ徐々に加波子ちゃんらしいとこ見られるようになったのは嬉しいんだけど。でもできればもっと笑ってほしいよな。もっと色んなこと知りたい。」
加波子は今まで沢山の人に出会ってきたが、自らが連絡したり誘ったりしたことはなかった。それができていたら、きっと友人も沢山できていただろう。生活も変わり、人生だって変わっていたかもしれない。だが生まれ持った性格。不器用過ぎる加波子には、それを変えることは困難、いや、不可能だった。
誰かを何かに誘ったことがあるのは一度だけ。公園でコーヒーを飲もうとした、あの時だけだ。
「加波子ちゃんて仕事、何してるんだっけ?あの合コンの日、先輩と来てたんでしょ?」
「足立区の小さな会社でOLやってます。経理事務です。しがないOLです。健さんは?」
「オレはまだ、たまご。」
「たまご?」
「飛行機のパイロットのね。」
「え?」
動揺する加波子。そんな優れた人と今自分が一緒にいることが信じられなかった。
「夢だったんだ、子供の頃から。加波子ちゃんは何になりたかった?」
「私も…一度は航空業界に憧れて、グランドスタッフになりたかったんです。…でも、私は力不足でなれませんでした。健さんがうらやましいです。」
寂しそうに笑う加波子に、健は応える。沢山教えてくれた。今までの道のり、日常業務、周りにどんな人がいて毎日どんな景色を見ているのか。加波子の顔が少しずつ明るくなる。健は嬉しかった。
「いいなぁ。私、飛行機を見るだけで興奮しちゃいます。飛行機の下にいる色んな職業のスタッフを見ているのも楽しいし。…その飛行機の操縦席に、いずれ健さんは座るんですね。すごいな…。」
カップを手にし、コーヒーを飲む加波子。
「なんかすごい他人行儀。」
加波子の手が止まる。まただ。またあの鋭い眼差し。
「オレたちそんなに他人?」
その眼差しに加波子は弱い。
「他人なんかじゃないですよ。」
「だったら何?」
また困惑する加波子。返事を必死に考えるが答えが出ない。胸元に手を当てる。月と星が指に触れた。加波子は立ち上がる。
「すみません…帰ります…!」
加波子は急ぐ。少しでも早くアパートに帰りたくなった。あの部屋に。
帰ってすぐ郵便ポストの郵便物を取り、部屋に駆け込む。息が切れる。返ってきた手紙を強く握り締め座り込む。
本当は呼びたい、叫びたい。だけど加波子はそれをずっと我慢していた。あのニュースを見た日からずっと。
夜。床に積まれた手紙の山に足が当たり、手紙が散乱する。ため息をついた後、それをかき集める加波子。今日届き、強く握り締めた手紙のしわを伸ばす。いつものように確認をする。一覧の紙を出し、一ヶ所ずつ消していく。
そして加波子は気づく。手紙が返ってきていない場所が一ヶ所あることに。そこにまた手紙を送ってみる。返ってこない。再度送るも、やはり返ってこなかった。
「…ここに…いる…?」
加波子は有給を取る。東京駅に向かう。加波子は静岡に来た。タクシーでそこまで行く。一見、ごく一般的な何かの施設のような外観。震える心を抑え、見せ掛けだけでも堂々とする加波子。
「面会に来ました。」
加波子は警備員に言う。敷地内に一歩、足を踏み入れる。ここに本当に亮はいるのか、自分は会えるのか、不安で仕方なかった。
受付所で面会申出書に必要事項を記入する。待つ加波子。待合所には人が沢山いた。皆自分と同じ気持ちなのだろうと加波子は思っていた。加波子が呼ばれる。
「面会できません。」
「どうしてですか?!」
「本人が拒否しました。」
受付所の人は淡々と言った。投げ捨てるように。
加波子は亮に面会を拒否された。亮は加波子を拒否したのだ。
加波子は立ちすくむ。あのニュースを見た日から今日ここにたどり着くまでの時間と気力。全てが一瞬で消え去った。加波子の中にあった張りつめていたものにヒビが入り、粉々になり、そして消えていった。
帰りたくない加波子。亮はここにいる。この中にいる。加波子に、懐かしい愛おしい想いが溢れる。呼びたい。会いたい。声が聞きたい。亮を感じたい。苦しい。助けてほしい。助けられるのは、亮しかいない。
しかし加波子はどんな言葉も飲み込んだ。何も言わずに我慢した。息は乱れ、震える。ひとり立ちすくしたまま。
加波子は胸を抑える。所を後にする。建物から出て、加波子は振り返る。建物を見渡した。ここのどこかに亮がいる。それだけはわかった。
「また、来るから…。」
そう言葉を残し、加波子は帰る。東京に。あのアパートに。
加波子はひとり真っ暗の部屋。記憶と虚無感と手紙の山。布団に包まり、静かに眠るしかなかった。
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