鬼と魔法使いの子
夏野レイジ
0ー1
「子を預かってほしい?」
それはセミの声鳴り響く夏の昼下がり。
わっちの住む片田舎の東屋に、ひとりの男がやってきた。
「はい、三日ほど」
背広を来た男━━真田優樹は、真剣な顔で告げる。
「いきなり戻ってきたかと思えば、子の面倒を見ろと。其方も鬼を顎で使うようになったか」
カカッ、笑って茶化す。
しかし、帰ってきた反応は想像と少しずれたものだった。
「師匠しか頼れる人はいないのです」
畳に額がつくほどに深々と頭を下げる。
……冗談、と嗤う雰囲気ではなさそうだの。
背筋を伸ばして気を引き締める。
「何故わっちに頼む。昔から方々に友人がいた其方なら頼れる人間は多いだろうて」
この身は今では老婆のカタチしているが、中は人ではない。
かつて人に恐れられた、今では人の世から離れて過ごす魔物の成れの果てだ。
━━鬼。
かつてはそう呼ばれていたこともあった。
「俺を育ててくれた師匠は、我が子にとって祖母のような存在ですから。俺とって、師匠が一番頼れる存在です」
「よせ、わっちは何もしておらぬ」
今は亡き優樹の両親に鍛えてくれと頼まれ、三年ほどこの東屋で預かったことはある。
じゃが、それだけ。
親と呼ばれるようなことは何もしていない。
「百合子さんは納得しておるのか」
優樹の嫁である百合子さんの名前を出す。
結婚の挨拶で一度見ただけだが、かなり気前のいい女性だったと記憶している。
わっちの住んでいる場所が場所なので軽々しく会えないのが悲しいところだが。
「はい。師匠なら彼女の母親に預けるよりも安心できると。今日は急な仕事で来れませんでしたが」
「むぅ……なるほどのぅ」
こやつは昔から、これと決めたら譲らずに一人で相談もせず突っ走る癖があった。
わっちが面倒をみることになったのも、その性格によるところが大きい。
が、今回は違うときた。
こやつが成長したのか、はたまたそれほど重要な用事なのか。
……あぁ、そういえば。
「そもそも、何故預けるようなことになったのだ。人にものを頼むならまずは理由を言わんか、理由を」
「それは……」
一瞬、視線が揺らぐ。
なんだ、何かやましい事でもあるのか。
「新婚旅行に行きたいのです」
「しんこんりょこうぅ?」
おっと、思わず素っ頓狂な声が漏れてしまった。
コホン、とひとつ咳払いをして、居住まいを正す。
「新婚旅行とはあれか。契りを交わした男女が行く旅か?」
「なんで俺よりも何十倍も生きてる師匠が聞いてるんですか」
「うるさい」
数百年生きて新婚旅行もしたことがない鬼で悪かったの。
「百合子は早々に仕事復帰して子の世話と両立して頑張っていたので、一度両方から離して羽を伸ばさせてあげたいのです」
「…………あいわかった。引き受けるとしよう」
「師匠!」
優樹の顔が、ぱぁっと明るくなる。
その笑顔は子どもの頃から変わっておらんな。
「別に其方の肩を持ったわけではない。新しい童にどれだけ才能があるか見るだけだ」
「お手柔らかにお願いします。あの子もまだ小さいので」
「それはわっちの気分次第じゃのう。して、いつ出発する予定だ?」
「九月連休の予定です」
「ふむ」
柱にかけてあるカレンダーを見る。
先程行った日付までは残り三週間と言ったところか。
「やけに微妙な時期じゃのう」
「ははは……すみません。これ以上引き伸ばすと。また仕事だったり、小学校進学の用意だったりで忙しくなりますので」
「小学校……もうそんな年か」
「えぇ、一瞬でした。多分、これからもっと早く過ぎていくんでしょうね」
目の前の男はしみじみと語る。
彼の表情は今までわっちが見たことのない、親としての優樹の顔だった。
そのような顔をするようになったのだな……。
「師匠はお変わりありませんね」
「何を言う。わっちだって変わっておるわ。最近なんぞ、睨むだけで薪を割れるようになったぞ」
「カカッ、冗談じゃ。いや、その話は置いておいてだな」
「何か?」
「一度、預かる前に其方の子と顔を合わせたい。いきなり知らないところに来て知らない者と過ごすのも辛かろう。百合子さんとも話したいしのう」
「ありがとうございます、師匠!」
土下座せんばかりの勢いで、優樹は深々と頭を下げる。
「頭を下げんで良いわ、暑苦しい」
手で虫を払うようにしつつ、わっちは自然と口元には浮かぶ笑みを抑えられなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そして、時は流れて一週間後。
わっちは人のごった返す駅にいた。
幾度となく鳴り響く構内放送、目まぐるしく表示を変える電子版、せかせかと改札を通る使用客。普段静かに生活しているだけに、そんな光景に物珍しさを感じてしまう。
それだけではない。
先ほどから行き交う人々の注目を浴びていることも気になった。
どうも落ち着かん。
待ち合わせ場所の近くにある店の硝子でおのれの出で立ちを確認する。
そこに映っていたのは浅葱色の着物を身につけ、白い髪を頭の後ろで結い上げた老婆だった。
「むぅ……着物を出してきたのは失敗じゃったかもしれんな」
ざっと周囲を見回しても、洋服姿の人間しか見当たらん。
何より、これではわっちがはしゃいでいるようではないか。
そんなことはない。
断じてない。
「あれ、師匠お早いですね。まだ約束の三十分前ですよ」
「……っ! 其方、いつの間にそこに」
「ちょうど今です。師匠も楽しみにしてくれたようで何よりです」
「事実を捏造するでないわ、たわけめ。……ところでその子が其方の倅か」
優樹の足元に視線を移す。
こちらを見ていたつぶらな瞳は、さっと足の裏に隠れてしまった。
ズボンをきゅっと掴む腕が愛らしく覗いている。
「ほら」
優樹が促すと、それは足元から顔だけを出した。
彼よりも目元が柔らかく見えるのは、母親譲りだろうか。
「さ、さなだともゆきです。ごさいです」
舌足らずな声で、しかしはっきりと目を見て告げる。
それがわっちと、わっちを変えた大切な存在との、最初の出会いだった。
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