270 インク作り




 その日は話し合いと資材集めの指示だけで終わった。

 中には他のギルドとの顔合わせも含まれていて、商人ギルドからは「次は自分たちのところで作ってほしい」と頼まれた。クリスが「この規模の地下シェルターなら一日で作れる」と断言したからだ。

 魔法ギルドの方は最初、法螺吹きを見るような目でクリスを見ていた。付き添いとして一緒に来ていたニコラが鬼の形相でいたので「嘘だ」とは言わなかったが、最後まで信じられない様子だった。それも仕方ない。クリスだって知らない子供がそんなことを言い出したら疑う。

 信じてもらうには一度作ればいいだけだ。他のギルドだって納得するだろう。



 クリスとイフェは早い時間に宿へ戻った。資材が集まってからがクリスの仕事だ。


「わたし、部屋でインクを作るね。イサはどうする?」

「ピピピ」

「見張ってるんだ? 見守るんじゃなくて?」

「ピルゥ」

「何よ、信じてないの?」

「まあまあ。クリスが心配なんだよ。わたしも見学していいかい?」

「あ、じゃあ居間で作業しようかな。小花が結構匂うんだけど――」

「わたしは構わないよ」


 というので、部屋に干していた精霊界の小花を集めて居間に移動する。ドライフラワーになった小花はとても良い香りだ。お風呂に入れたら絶対気持ちいいに違いない。クリスの顔は自然と綻んだ。


 本来なら室内での煮炊きは厳禁だ。ただ、煙草を吸う場合の火ならOKである。

 そうはいってもルールを守るクリスなので、いつもだったら中庭を借りていた。しかし、竜の鱗を燃やすという作業は見られたくない。ましてや、光るかもしれないのだ。

 クリスは考えた末に紋様紙の【防火】を使うことにした。もちろん、他にも対策はしている。


「燃え上がらないとは聞いたけど、一応テントの中で作業するね」

「クリスまで中に入って作業するのはどうだろうか」

「そこまで危険なら外でやるもの。大丈夫だよ」

「そう。だけど、危ないと判断したら連れ出すからね?」

「はぁい」


 イサもキリリとした表情で「ピ!」と鳴くから、クリスは慎重に作業を始めた。



 そんな風に心配されたインク作りだったが、順調に進んだ。

 乾燥した小花は綺麗に竜の鱗を焼いた。キラキラと光って美しい。


「わぁ、すごい。精霊界では花火みたいだと思ったけど、こんなに綺麗に光るんだ……」

「覗いてもいいかい?」


 テントの入り口から声を掛けてきたイフェにも見えるよう、クリスは体を斜めにした。


「これはすごい。なんて綺麗なんだろう」

「ピッ!」

「ですよね。不思議な色合いだなあ。虹色に輝いているような気もするし、透明な光を纏っているようにも見える」

「光のベールだね」


 小花が燃え尽きても竜の鱗はそのまま光っている。燃やしている最中の煌めきは落ち着いたけれど、まだ「光のベール」を纏ったままだ。


「この後、粉々にするんだね? いくら燃やしたとはいえ竜の鱗だ。力業だと思うけど、わたしに手伝えるだろうか」

「いえ。これはわたしがやらないとダメなの。インク作りは自分でやった方が魔力も馴染むし、何よりドワーフの血を引くわたしでないと難しいんじゃないかな」


 それにクリスには物づくりの加護が備わっている。プルピから贈られた称号は伊達ではない。


「ドワーフの血か……」

「何か?」

「いや、独り言だよ。君は作業に専念した方がいい」

「あ、はい」


 気にはなったが、目の前の作業に早く手を付けたい。うずうずしていた気持ちを落ち着かせるため、クリスは深呼吸した。それから、瑪瑙大亀の薬研など、必要な器具を取り出して作業を開始する。

 それからはもう一心不乱だった。



 クリスがインク作りに没頭している間に、一人二人と部屋に帰ってきたようだ。けれど、クリスは気付くことなく作業を続けた。皆も声を掛けなかった。居間にテントを張っているから邪魔だろうに、誰もが静かに過ごして待っていた。


「できたーっ!」

「終わったか。クリス、大丈夫か? 飯はどうする」


 クリスに最初に声を掛けたのはエイフだ。彼はクリスの隣でうつらうつらしているイサを見て笑った。


「イサはもう飯は無理だな。巣に入れてこよう。お前は一人で立てるか?」

「大丈夫。んー、ちょっとストレッチしてから出る。それとお腹が超空いたから、何かあると嬉しいんだけど」

「そうだろうな。もう夜中だ。茶は俺が淹れよう。カロリンが、冷めても美味しい料理とやらを作ってくれたぞ」

「ええ?」


 手足をブラブラさせながら答えると、エイフはイサを片手で掴んだまま立ち上がった。テーブルの方に向いたらしく、声がテント越しに降ってくる。


「厨房を借りて作ったらしい。いろいろあるぞ。テーブルに乗り切らん。俺も腹が減ったから食っていいか?」

「あ、うん」


 クリスは気になって、テントから急いで出た。大事なインクはガラス瓶ごとポーチに入れる。残りの器具は後で片付けるとして、まずはお腹を満たそう。そうして、何があるのかと顔を上げれば――。


「わあ!」


 食事もできるテーブルの方はおろか、ソファセットのローテーブルの上にも美味しそうな料理の数々が並んでいる。


「すごい」


 クリスの声に、ソファでうとうとしていたカロリンとカッシーが目を覚ました。

 イフェは自分たちの寝室の扉を開け、クラフトを呼んでいる。「クリスの作業が終わったようだ」と声が聞こえた。

 皆がクリスの作業が終わるのを待っていたらしい。申し訳ないような嬉しいような気持ちになる。


 クリスが戸惑っていると、エイフが戻ってきてテーブル席に案内した。背中を押す手が優しい。


「ハパはククリを見張る係として部屋にいる。プルピはお前の部屋の隅で作業中だ。あれも真剣な様子だから放っておこう」

「ああ、うん」


 プルピもまた集中しているのだろう。だから邪魔をしないよう、気遣っている。同じことをクリスにもしてくれた。見守ってくれていたのだ。


「あの、ありがとう」


 皆が使う部屋だ。そこで作業するなんて悪いことをした。けれど、ごめんなさいと言うのは違うと思った。

 はたして。


「何言ってるのよ。仲間でしょ。そうだ、あとで高級インクとやらを見せてね? その前に腹ごしらえよ」

「そうそう。クリスの年齢なら、この時間に食べても太らないよ。カロリンは危ないから先に食べたんだよね?」

「おだまり、カッシー」


 いつもの二人だ。屈託ない、普段通りの二人を見てクリスは嬉しくなった。


「悪いね、クリス。わたしたちは先にいただいたんだ」

「ううん、いいの。その方が安心するもの」

「ほら、クラフト、言っただろう? クリスはこういう子なんだ。わたしだって待たれていたと分かると心苦しく思うよ」

「イフェ、分かったからもう……」


 イケオジ二人のやり取りに、クリスは「ふふっ」と笑った。するとクラフトがハッとする。


「ああ、すまない。それより早く食べなさい。お腹が空いたろう」

「うん」

「茶が入ったぞ。俺もなかなかのもんじゃないか」

「家政スキル持ちのわたしからすれば、少し減点ね。でも、限りなく満点に近いわ」

「そうか」

「なんで飲んでないのに満点って言えるんだよー。あ、僕はエイフさんはすごいと思うけどね?」

「あら、だって、エイフのお茶には愛情が入っているもの。愛情という名のスパイスほど美味しいものはないわ」


 カロリンの言葉に、クリスが一番最初に大きく頷いた。


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