168 調整盤
本来なら地下のこの場所へは、時計塔の前にある「封印の礎」下から入らなければならない。地下施設などを経て、長い階段を下り続けて辿り着く場所だ。クリスのような、魔法系のスキルを持っていない一般人が入れる場所ではない。
ここにきてようやく、クリスは魔法都市にいるという実感が湧いた。ヴィヴリオテカという都市には確かに魔法関連の店も多かったし、ローブを着たいかにもな魔法使いも見かけた。使役していると思しき小さな動物を連れて歩く人も。でも、それだけだ。
もちろん、町の中で魔法をぶっ放す人がいたらそれはそれでおかしいのだけれど、ちょっぴり「魔法都市」らしさを期待していたクリスはがっかりしていた。
「すごい……」
でも、今なら言える。ここは魔法都市だ。クリスの知らない魔術紋がいっぱい、所狭しと彫られている。何千何万という魔術紋を解き明かすのに、どれだけの時間が要るのだろうか。ここは知識の宝庫だ。
見上げると、下りてきた階段が見えるはずなのに暗くて見えない。
「明かりが届かないんだ……」
「吸収しているのだろう」
そういう部屋になっているのだ。これを、魔女様が作った。
クリスはぶるりと震えた。
改めて一番下の床に足を下ろす。そうっと足を置いたのは、なんだか怖かったからだ。そして、ゆっくりと一番光る場所に近付いた。そこに、ひび割れた調整盤があった。
光っているのは何か意味があるのだろうか。分からないけれど、ひび割れの向こう側が怖い。何か漏れ出ているのだ。
クリスは怯えながらもマンホールの蓋みたいな調整盤を確認した。
「あー、経年劣化……?」
「本来はもっともったであろうがな。どうやら地下に流れる魔力素が昔よりも増えているようだ」
「耐えきれなくなったんだね。もしかして、このモヤッとしたのが魔力素?」
「魔力素というより、調整盤が押し留めた末のカスみたいなものであろうな」
「はあ。よく分かんないけど、害はない?」
「調整盤があるこの一帯は強い結界が張られている。むろん、調整盤の下もな。害はない。ただし、調整盤にガタが来たからこそ、他に影響したようだ」
「一応聞くんだけど、この調整盤、プルピでは直せそうにないの?」
紋様紙を惜しんでのことではない。断じてない。ただ、プルピができそうならお願いできないかなーと思っただけだ。
しかし、首を横に振られた。
「わたしには、その魔術紋が分からぬな。新たに作れと言われたら精霊紋でなら作れよう。だが、そうすると人間は困るのではないか?」
「あっ、そうか」
「わたしでも一瞬で作り直せるものではない。それに今、じっくりと確認して分かったのだが、この蓋自体がもうそれほどもたないぞ」
「うう、そっか。分かった。分かりました」
やはり、修復した方が良さそうだ。
クリスは改めて確認する。顔を近付けて細かな魔術紋を読み上げていく。そして気付いた。
「あー。溝の横にも魔術紋があるや。そりゃ、分からないよね……」
魔女様考案の魔術紋に近い。まるで原形だ。
というよりも、ここから魔女様の研究は始まったのかもしれない。
「だとすると、紋様士スキル持ちが描く【完全修復】じゃ無理かもしれないなー」
「うん?」
「これ、特殊なの。独自の魔術紋を使ってる。それに修復だけだと無理かもね。複製で重ね掛けにした方が万全かな」
複製は何も、同じものを二つ作るというわけではない。足りない部分を補う時にも使える。今回のような特殊な魔道具がひび割れた状態の時に、補完してくれるのだ。
当然ながら、上級ランクどころではない。
そもそも【完全修復】の紋様紙自体が最上級ランクである。
そして、クリスが使おうと考えている万全の紋様紙は、魔女様考案の魔術紋で描かれたものだ。レベルだけで言えば最上級を遙かに超えていると言っても過言ではない。
ふと、クリスは考えた。
魔女様はこうした時のことを想定していたのだろうか。だから【完全修復】よりも格上の【完全修復複製】という名の魔術紋を考案した。
調整盤が壊れた時のことを考えて研究を重ねたのかもしれない。予想よりも早くガタが来てしまったけれど、彼女は先々のメンテナンスまで考えていたのだろう。
それを何のスキルも持たないクリスに教えてくれた。まあ、現実は「叩き込んだ」が近いのだけれど。
いつか、魔女様が呟いたことがある。「どこかにいい弟子はいないもんかねぇ」と。
クリスが「まほうつかいさまはいないの?」と聞けば、彼女は「魔法スキルがあればいいってもんじゃないんだ」とぼやいていた。他にも何かが必要らしかった。
与える相手のないまま、仕方なくクリスに教えたのだろうか。
それが偶然にも、こんなところで重なり合った。
「すごい奇跡だなぁ……」
「どうした、クリスよ」
「ううん。ちょっと、感慨深いなーって思っただけ。さ、勿体ぶっても仕方ない。ちゃっちゃと、やっちゃいますか!」
「うむ」
「うみゅ!」
「ピルル」
静かだったククリとイサが応援してくれる。クリスはポーチから、大事な大事な紋様紙を取り出した。
「頼むよー。延べ半月、何十時間も掛けて描いた紋様紙なんだからね!」
息を大きく吸って吐き出した。集中する。
紋様紙は指向性が大事だ。必ず、そこへ魔法が向かうのだという明確な意思を持って、発動させる。
何故か、クリスのスキルが発動した感覚もあった。
唯一のスキル「家つくり」を発動した時の、あれだ。
理由は分からなかったけれど、考えるのは止めた。今は調整盤を直すのが先だ。
「……おお、すごいものだ」
プルピがクリスより前に出て調整盤を見下ろしている。確認しているのだろう。でもそんなところにいたら、失敗した時にククリの転移で一緒に逃げられないではないか。
そう思ったが、その時にはすでに調整盤はほぼ形を取り戻していた。
すごい勢いでひびがなくなっていく。どんどんと元の姿に戻っていく様子は、まるで映像の早戻しだ。
魔女様の彫ったであろう魔術紋もハッキリと分かる。
「すごい……」
「ああ、これはすごい」
「ちゅご!」
「ピルルル」
びっしりと彫られた魔術紋が順番に光っていく。SF映画みたいで美しい。
「おや、稼働したようだ」
プルピいわく、完全な状態の調整盤はそれ自体が魔法を放つ魔道具だったらしい。
地下にある魔力素を動力源にして、この地下の通路を自動修復していたようだ。
「ふむ。これならば間を置かずに地下は元に戻るであろう」
「そっか、良かったー」
座り込みそうになったが、ここで力を抜くわけにはいかない。
賢者が気を取り直して戻ってくる可能性もあるからだ。
本当なら急いで離れた方がいい。しかし、調整盤が元に戻ったという事実のすり合わせが必要だ。
緊張で一気に疲れたクリスはフラフラになりながらも、エイフに状況を報告しようと考えた。少し考えて、プルピを見る。
「エイフだけを連れてくることは可能?」
「もちろんだ。少し離れるが待っておれ。ククリとイサよ、後は頼んだぞ」
「あい!」
「ピピピ」
任されたふたりがクリスの頭に乗る。相変わらず、彼等はクリスの頭の上がお好みらしい。
思わず笑ってしまって力が抜けた。結局クリスは、調整盤の前に座り込んだのだった。
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