091 甘えさせてくれる人




 エイフは当たり前のようにクリスを軽々抱き上げ、運んでしまった。ほんの数歩だけれど優しい。

 小さな庭の端には盾が並べられている。エイフたちは剣だけでなく盾の手入れもしたようだ。黒灰油で保護した武器たちはしっとりとして見え、美しい。自画自賛になりそうだから言わないけれど、保護剤を作ったクリスは嬉しくなった。


 クリスが昼も食べずに改装していたのはスキルのせいだ。スキルの発動中はいつにも増して集中力が続くため、気にならなくなる。

 元々、夜の内職として紋様紙を描く時も、集中すると周りが見えなくなる性質だった。家つくりスキルはより顕著になる。

 だから食事を抜くのはクリスの側の問題だ。

 それなのに、皆も食事を摂っていなかった。クリスはびっくりして皆を見回した。


「先に食べてて良かったのに……」

「まあ、いいじゃないか。俺たちも見学で夢中だったんだよ」

「本当にすごかったわ。それにね、クリスちゃんだって我慢してるのだもの。わたしたちは大人なんだから少しぐらい平気よ」

「そうだぞ!」


 ドヤ顔で言い放ったものの、マリウスのお腹からキューキューと音が鳴った。誰も何も言わないからクリスも指摘できないが、結構大きい。

 クリスが戸惑っていると、ナタリーが解体予定の古いテーブルの上に次々と食事の用意を始めた。

 エイフはクリスをそっと、敷物の上に座らせてくれる。背もたれは盾だ。地面に突き刺した大盾の前にクッションを入れて調整すると、エイフは「うむ」と頷いた。それからクリスを見る。


「そりゃまあ、腹は減っていたけどな。それよりもクリスの『家つくり』を見ていたかったんだ」

「そんなに面白い?」

「すごかったからな。だよな、マリウス」

「うん? ああ、クリスのスキルな。あれはヤバい」


 テーブルの上に目が釘付けだったマリウスが、クリスを見た。そして何度も頷く。


「あんなのは見たことがない。お前、マジですごい奴だったんだな」

「そ、そう?」

「ああ、スゲーよ!」


 キラキラ光る目で見られて、クリスは思わず仰け反ってしまった。クッションが背中に当たって、力が抜ける。


「あのさ。なんか、最初信じてなくてゴメン!」

「は?」

「お前みたいな小っこいのに作れるかって思ったんだけどさ。スゲーじゃん。お前のスキル最高だな!」

「あー、うん。そうね。ありがと。とりあえず、食べよ?」

「おう! そうだな! 俺もう腹が減って倒れそうだ」


 にかっ、と少年みたいな笑顔でマリウスは答え、皿に手を伸ばした。が、速攻でナタリーに阻まれる。


「お行儀が悪い! お客様が先でしょう? それにフォークとナイフを使ってちょうだい」

「……ちぇ」

「舌打ちしない。ほら、ちゃんと座って。あ、クリスちゃんの分はわたしが取るわね」


 そう言った通り、ナタリーはクリスのために、盛り付けてあった大皿からサンドイッチを取ってくれた。他にも飲み物を用意するなど甲斐甲斐しい。

 まるで母親みたいだ。なんて言ったら失礼だろうか。けれど、クリスにとっては母親にしてもらいたいイメージそのものだったのだ。


「あら、どうしたの。顔が赤いわよ?」

「ううん、なんでもない」

「そう? あれだけのことをしたのだもの、疲れたのよね。熱じゃないといいんだけど」


 白い手がそっとクリスの額に当てられる。思わず目を瞑った。

 そのせいで思い出す。

 母親の小さな手。細くて冷たい手だった。クリスがベッドに近付くと、その手を伸ばして触れてくれた。優しく頬を撫でてくれるが、骨張ってガサガサで……。

 ナタリーの手は温かくてスベスベしていた。


「熱はないようね。だけど心配だわ。ご飯を食べたら横になって休んでちょうだい」

「出来上がったベッドがあるだろ。そこに寝かせようぜ」

「いや、そりゃ悪いだろ。新婚さんより先に使うわけにはいかない。俺が抱いて連れ帰るさ」

「ちょ、しっ、新婚って!」

「そ、そうですよ、エイフさん。それにわたしは気にしませんから!」


 クリスはそっと瞼を開け、三人を見た。楽しそうに笑っている「今」が見える。

 ――母親はもういない。でもいつでも心の中にいる。大丈夫。

 もっと甘えてみたかったが、言っても仕方ない。それに甘えさせてくれる人がここにいるではないか。そう思うと自然と笑顔になった。


「エイフ、わたしも二人の・・・ベッドを最初に使いたくないから抱っこして帰って」

「おう。任せとけ」

「ちょ、おい、クリス!」

「クリスちゃんたら……」

「ナタリーさん、わたし野菜炒めが食べたいな~」

「あ、待って。取るわね。マリウス、あなたも野菜炒めをちゃんと食べなさい」

「えー」

「マリウスは贅沢だよね。こんな料理上手な人いないよ? 文句ばっかり言ってると捨てられるからね。後悔しても知らないんだから」

「うっ……」

「わたしは文句言わないもんね。ナタリーさん、あっちの木苺ソースがかかったヴヴァリのステーキも欲しいな~」

「いいわよ。食べやすいように小さく切るわね。ふふ。クリスちゃん、なんだか可愛い」


 ナタリーはクリスが甘えても全然嫌な顔ひとつせず、にこやかだ。優しくお世話してくれるものだから、クリスは遠慮なくお願いした。

 エイフもクリスの皿にあれこれ載せてくれる。もちろん同時にバリバリ食べていた。

 マリウスは段々「自分も何かやらなきゃ」と思ったらしい。キョロキョロした後、胸元から袋を取り出した。


「おい! これ、美味しいぞ」

「なにそれ」

「昨日、森で取ってきた。精霊グミだ」

「グミ? 山でよく採れる果実の?」

「違う。精霊みたいな形をしてる花が咲くんだ。その果実だから精霊グミ」


 精霊みたいな形というあたりに、おかしさを感じる。けれどもマリウスが自慢げに差し出すものだから、クリスは思わず手を出して受け取った。

 形は山にある茱萸と似ていた。ただし、実の色が派手な紫と青のマーブル模様だ。よくこれを食べようと思ったな、と突っ込まずにはいられない。しかし、紫色はまだ食材の色として許容範囲にある。ナスだって紫色をしているのだ。だったら問題ないはず。

 マリウスはクリスが手に取ったため嬉しそうに笑った。


「甘酸っぱくて美味しいぞ。栄養もある。あんまり採れないけどな」

「そうなんだ。ありがとう」


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