身近に潜んでいた恐怖体験 短編集 その2
桜木 玲音
第一話 峠のバス停
これは、仕事の関係で、車での外回りの多い兄が実際に体験した出来事である。
その日は天気も良くて、いわゆるドライブ日和だった。
得意先での用事も早く終わり、さて会社に帰ろうと車に乗り込んだものの、季節は馬こゆる秋。抜ける様な空の蒼さが彼の心をくすぐり、悪戯に海の青さをも恋しくさせてしまった。
「ちょっと寄り道して行くか。」
ここは日本海に突き出た半島の、これまた辺鄙な山の中腹に有る小さな小さな温泉街。昔は狭い街道沿いに何軒も有ったと聞くが、現在に至っては厳しい情勢の中、自然淘汰で残るはたったの一軒しかなく、後は廃業しどれも入り口を堅く閉ざすか、そのまま民家として存在し続けている。
車にも持ち物にも、今時の様な位置情報を会社に知らせる野暮なGPSなんて物は積んでいない。道草を食うのは営業マンの特権であるが、意外と真面目な性格の彼は普段なら迷う事無くまっ直ぐに帰社するべく進む所を、その日は何かに誘われる様に海の方に向かう道にハンドルを切ったのだ。
温泉街から人家も無く木立が鬱蒼と茂る山道を10㌔も登って下って行けば、つまりは一山超えて行けば急に視界が開け海が見えて来る。
車が最後の上りに差し掛かった頃、ふと見ると反対側の道端に、白いバス停がポツンと立っていた。
こんな山の中で誰が利用するのだろうと、何時もは考えもしない事を思いながら車を5分程走らせて行くと、傍らに置いていた携帯電話がけたたましい音を立て会社からの着信を告げた。内容は偶然にも丁度今向かっている海辺の町の得意先K社に寄って、先に貰っていた契約の話を煮詰めて来いとの事だった。
「分かりました。すぐに向かいますので、会社に戻るのは少し遅れると思います。」
(虫が知らせたかな。)
中々進まなかった仕事の話が動き出すのを自分が予感して、滅多に行きたいと思わない海に行きたくなった。そんな様な気がして、彼は口元に笑みなど浮かべて先を急いだ。
秋の日は釣瓶落としとも言うが、K社での打ち合わせが済んで帰る頃には19時を回り、すっかり真っ暗になっていた。
(ドライブどころじゃなかったな。)
彼は仕方なく来た時と同じ道を戻る事にした。
幹線道路から外れているだけに交通量は少なく、対向車も全くないとは言えないがまばらである。
ふとさっき通った時に目に入った道端のバス停の事が頭に浮かんだ。
(この道を行った先に有るのって……山を越えた所のあの温泉街だけだよな。その為にまだバス路線なんてものが生きているんだろうか。)
ただ単に想像してそう思ったが、
(へき地のバスは日に往復三本とかしか無いんだろうな、最終便も結構早い時刻に設定されていたりしてさ、不便さに拍車がかかるんだよな。)
行く道を照らす車のライト以外に灯りは無く、両側から迫るススキが曲がりくねった道の幅を余計に狭くしていて、対向車がいきなり現れると危険さえ感じた。
もうそろそろ上りも終わるだろうと思った時、道端に人が立っているのをヘッドライトが映し出した。丁度さっき見たあのバス停の所だ。
ライトは歩行者の視界を妨げない様に下向きにしてある。
近付くに従ってその人影が白いワンピースの女性である事が分かった。
バス停を傍らにこちらに視線を向け、バスが来るのを待っている様子だ。
やはり路線は未だに存続していて数少ない住民の足になっている様だ。
この道の何処かに気付かなかったが、脇道が有って人の住む小さな集落に繋がっているに違いない。
それにしても、こんな暗い道に灯りも無く立っているのは怖くないだろうか。
どうせ仕事はもう帰社すればいいだけの事。
停まって乗せてあげようか……
その人影から五メートル程の手前に迫り、車のスピードを緩めて走らせながら、ほんの一瞬、彼の目が彼女の横のバス停の時刻表が通常貼ってある四角い面を見た。
ほとんどガラ空きでポツリポツリ時刻が書かれたモノを想像していたのに、そこには何も表示が無かった。
何も書かれていないのだ。
そう、それは既に役目を終えて、ただそこに有るだけのバス停だ。
彼は彼女をもう一度見た。
荷物らしい物はなく、彼女は手ぶらだった。
半袖の白いワンピースとサンダルを履いた白い足。
長めの黒い髪……
顔が……
肩から上は黒く、ひたすら闇に溶けて紛れて見えなかった。
バス停には「○○峠」と、赤錆と擦れで殆ど読めない文字がかすかに残っていた。
会社までどの道を通ったのか分からなくなる程ではなかったが、彼が心臓が口から飛び出しそうな思いを押し殺して帰社すると、残業をしていたのか彼を待っていてくれていたのか、先輩の営業マンが帰宅の準備をしながら待っていて、兄のやや青褪めた顔を見ると、事務員が書き足した黒板のこの後輩の出先の表示を見て納得した様に色々話してくれた。
まずは、○○峠を通るバス路線は付近に有った集落が、二十数年前無人化したのと同時期に廃線になっている事。
「奇妙なモノを見たんだろ?」
と聞かれると兄は、彼の顔を凝視するよりなかった。
先輩は兄の反応に同情しつつも、
「俺が見たのは白いスラックス姿の男の様だった。」
と語った。
「他にも見たと言う人に聞くと、着物の女性だったとか、野良着の年寄りで足が無かったとか、それぞれ様子は異なっていたらしい。だがな、どれにも共通するのは、顔は見えなかった、と言う所みたいだな。お前が見たのはどんな風体だった、顔は見えたか?」
「白いワンピースで足にはサンダルを履いていたけど、顔はやっぱり見えなかったんです。」
「やっぱりそうか。」
先輩はお疲れさん、と言いながら
「見る人と見ない人がいるから、変に怖がらせても悪いと思って話さなかったんだ。現に同じ職場のMさんは、K社の有る町に実家が有って、あの峠を何回通っても、夜だろうと昼だろうと一回も見た事が無いらしい。女には用が無いのだって笑っていたんだ。」
顔は見えなくて幸いだった。もしも見ていたら一生夢に見てしまいそうで、一生あの道を、いや、夜は二度と車を運転出来なくなってしまいそうだった。
「何でバス停を撤去しないんですかね。あれが有るから出る気がするんです。今に事故でも起こしそうで怖いですよ。」
実はアレが有るから事故が無いんだって話す人もいる、とか。
色々な事情が有るらしいが、路線バスが廃線になって置き忘れてあったあのバス停を一度は撤去したそうだ。するとあの峠道で事故が起き始め、事故を起こした奴等が警察に説明して言った事には、峠に女が立ってたから車に乗せたら山道の途中で消えて、驚いてアクセルを踏み過ぎたとか、別のヤツは峠に差し掛かった時、いきなり白い人影が飛び出して来てハンドルを切り損ねたとか。
それより昔の話では、路線パスがまだ健在だった頃、真夜中にあの道を通ると、バス停に連れ立った様子の男女が、人待ち顔でずっと峠を登って来る車を見ているのだとか。彼等を見た人は何人もいたが、みんな、ああ、バスを待っているのか、と通り過ぎて二人を乗せた人はいなかったらしいが、冷静に考えてみると、そんな時間にはもうバスなど来る筈も無いのだ。
次に見ても、もう乗せようなんて思わないだろう? と先輩は笑った。
当り前です! と答えると、
放っておいて上げれば悪さはしないんだ。そんなこんなでみんな一人前の営業マンになって行くと俺は思う。でもな、見た奴に限って仕事が長続きしているってのは言えるな。無関心なようで本当はそうじゃない、助べえ心とかじゃなくて、真っ暗で可哀想だから乗せてってやろうかなってちょっと優しい事を思ったんだろう? 奴等もちゃんとそれを知っているって事さ、と先輩は、報告書は明日でいいって部長からの伝言だ。電気消して戸締りよろしく、と言い残して帰って行った。
先輩の予言通り、兄は、それから十五年以上も経つがその会社に勤めている。
しかし、あの峠道だけはどうしても夜は通らない事にしているらしい。
何故あのバス停に彼等が立つのか、曰くなど住民が居なくなった為か、一切分からないが目撃した人の話は未だに多くないものの絶えないらしい。
兄に虫が知らせたのは、彼が思う仕事関係の事だったのだろうか。
それとも、彼等のあの場所、あの刻への誘いだったのだろうか。
最後までお読み頂き有難うございました。
次の話は「虫の知らせ」
私の母が実際に父の叔父が亡くなった時に体験した話しです。
4月13日土曜日 午後8時 UP予定しています。
宜しければ読みに来て下さい。お待ちしています。
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