第56話 蝮と対面致し候う

 安藤守就の考えは俺には分からない。


 考えても答えはきっと出てこない。

 だったら考えないようにしよう。

 今は氏家直元の要請に従うだけだ。


 そう、稲葉良通の説得だ!


 稲葉良通は西美濃国人衆のまとめ役だ。

 さらに良通は義龍の叔父にあたる。

 そして温厚な人柄と真っ直ぐな性格で知られている。

 しかし、一度怒りに火が付くと誰にも止められないほど暴れまわるそうだ。


 俺がその事を直元殿に聞いてみると、さすがに今はそれほど酷くはないそうだ。

 だが、甥の義龍とその息子の龍興を亡くしているのだ。

 きっと腸が煮えくり返るほど怒っているはずだ。

 謹慎中の曽根城で物に当たっているのかも知れない。


 良通は墨俣合戦の時は義龍の側に居たのだがその時に義龍を逃がすために殿を請け負いその時に怪我を負ってしまった。

 家臣らに背負われながら曽根城に帰還すると義龍戦死の報告を受ける。

 仇討ちの為に再度兵を出そうとした良通に更なる訃報が舞い降りる。龍興の死だ。

 その報告を聞いて良通は倒れてしまった。


 その後は龍重から使者が来てその軍門に下ったのだ。


 使者の対応をしたのは『稲葉 重通』だ。


 彼は良通の長庶子(側室の産んだ長男)で倒れた良通に代わって稲葉家の差配をしていた。

 重通は父良通に似て若いながら優秀な人物で家を残す為に龍重に降伏し自ら人質として井ノ口に向かった。


 その事を知った良通は出来た息子を誉めると共に自らも内乱を起こした責任を取って謹慎している。

 本来なら腹を切る所ではあるのだが、龍重は良通に腹を切らせると他の国人衆がどう動くのか分からない為、人質を取ったと言うことで満足した。


 龍重は良通の事を分かっていない。


 良通は真っ直ぐな性格をしていると聞いた。

 彼の頭の中は仇を討つ事でいっぱいのはずだ。

 おそらく良通は息子重通を見殺しにして兵を上げるはずだ。

 今は大人しくしているが、それは時を待っているのだ。


 兵を上げる時を!


 それにしても重通は親孝行な息子だよ。

 こんな所で死なせるのはもったいない。

 何とか彼も助け出す策も考えよう。


 そこで直元にさらに詳しい話を聞いてみると……


 なんと直元と良通は既に連絡を取り交わしていた。

 直元の体制が整えば直ぐにでも挙兵する話をしていたのだ。

 俺がやって来た時にはほぼ話が済んでいたのだ。


 なんてタイミングだよ!?


 しかし、直元は俺の説得を受けて織田家と協力して兵を上げる事を約束してくれた。

 後は謹慎している良通と直接話をして説得するだけだ。

 その為に曽根城侵入の為の手筈を小六と蜂須賀党、そして直元が整えてくれている。

 しかし、その手筈に時間が掛かるので俺と長姫は護衛を連れて不破光治に会いに行く事にした。


 なるべく早く味方を増やして道三達に不利になるように持っていかないといけない。




 不破光治の居る西保城までは何事もなくたどり着いた。


 そして、不破光治との会談は呆気ないほど簡単に話がすんだ。

 光治は領地の安堵を約束に味方してくれる事になった。

 しかし、兵を出す事は出来ないと言われた。


 不破家は対浅井、六角を相手にしている。


 内乱中も外敵を美濃に入れない為に兵を出していない。


 それについてはこちらも了承している。


 中立でありながらややこちら寄りで有れば文句はない。



 話自体は直ぐに終わったので一泊してから帰る事になった。



 俺は宛がわれた部屋の戸を開けて月を眺めながら一杯やっていた。


「無用心ですね。藤吉」


「これは長得殿。眠れませぬか?」


 ここでも長姫は男装している。

 それに名前呼びしている。姫様なんて呼べないからな。

 今川長得の名前は有名ではないから長姫が義元だとばれる心配がない。

 それでも用心の為に名前呼びしている。


「何を見ていたのです?」


「月を見ていました。今宵の月は綺麗ですよ」


 最近は曇りがちの天気だったが今夜は雲が晴れて久しぶりに月と星が見えた。

 たまにはこんな月見酒も良いもんだ。

 なんせ忙しくて月を愛でるなんて出来なかったものな。


 昔は祖父母と一緒に月と星を見ていた。


 祖父は月にまつわる話を聞かせくれて、祖母は白玉や手作りの饅頭、葛餅を出して三人で食べた。

 あの頃はまさかこんな世界に来てしまうなんて思いもしなかった。

 世界や時代が変わっても空と月と星に太陽は何も変わっていない。


 少しだけ感傷的になっていた。


「そうですね。今宵の月は美しいですね」


 そう言うと長姫が俺の隣に座った。


 彼女と俺の距離が近い。


 触れるか触れないかギリギリの距離を保っている。


 俺は彼女の横顔を見る。


 本当に美しい。


 その艶やかな髪が月の光に照らされてキラキラしている。


 不意に長姫が俺を見る。


 目線が合った瞬間、俺は顔を背けた。


 何とも恥ずかしい。


「藤吉はわたくしの事をどう思っておりますの?」


 長姫が俺の耳元で囁く。


 その声はあまりにも甘い囁きで、それに彼女から良い匂いがする。

 俺は少しだけしか飲んでいなかったが、急に顔が赤くなったような気がした。


「どう、思ってますの?」


 再度尋ねる長姫。


 駄目だ。我慢出来ない!


 俺は長姫を抱き寄せる。


「あっ」


 その声は俺の理性を吹き飛ばすのに十分だった!


 俺は抱き締めた長姫に口付けした。




 どのくらい時間が経っただろうか?


 数秒か? 数分か? 時間の感覚が分からないが俺から口付けを離した。


「これが答えですよ」


「ああ、嬉しい!」


 再度口付けを交わす。


 ああ、人生最良の日だ! 今日はこのまま……


 と思っていた俺の目の前に小六が居た。


 俺は固まったまま唇を離せないでいた。


 小六は無言のまま佇んでいる。


 ま、まずい。


 長姫は俺の異変に気付いたのか唇を離す。


「ご、ごめん」


 俺はそう言って長姫から離れると小六の下に向かう。


「ずいぶんとお楽しみだったみたいだねぇ~」


「す、すみませんでしたー!」


 俺はその場で土下座した。


「はぁ~、次はわ、た、し、だよねぇ~」


「も、もちろんです!」


 俺は土下座のまま答えた。


 怖くて頭を上げる事が出来ないのだ。


 なんでこのタイミングで帰ってくるかなぁ~


 その後無言で小六に部屋まで連れて行かれた。

 だが、当然部屋には長姫が居た。

 小六と長姫が睨み合う中で、俺は生きた心地がしなかった。


 その夜は小六と長姫が目で牽制しあってる中で寝ました。


 もちろん何も無かったよ。ヘタレなんて言わないでくれよ。


 この状況で二人に手出しなんて出来ないよ。




 そして翌朝。


 小六の報告を聞いた。


 その内容は…… 『斎藤 道三が俺に会いたいらしい』という話を持ってきた。


 これは道三の俺に対する調略を意味している。



『斎藤 山城守 道三』が俺との会談を望んでいる。


 斎藤道三


 歴史の教科書にまで載っている超有名人だ。

 その有名人が俺に会いたがっている。


 俺は、俺は…… 会いたくねえー!


 本心から会いたくない。

 もし道三と会ったら俺はどうなる?

 最悪、首と胴体が離れる事になるんじゃないか。


 あの蝮だよ!


 俺なんかに興味持ってんじゃないよ。

 もっと他に人が居るだろうに?

 なんで俺なんだよ!


 それに俺が美濃に居るのなんで知ってるんだ?


「当然だよ。藤吉は美濃では有名だよ」


 何! それは初耳だぞ。俺は美濃では有名人なのか?


「だって私の夫になるんだから皆知ってるのよ」


 お前か小六! お前が俺を売ったんだな!


「しょうがないのよ。行く先々で聞かれるから、つい」


 それは嘘だ。お前から喋ったに違いない。

 その光景が俺には想像がついてしまう。

 きっと蜂須賀党の奴らも止めるに止められなかったのだろう。


 なんて事をしてくれたんだ!


 しかし、小六を責める事も出来ない。

 俺が口止めさえしておけば!

 でも、小六だからきっと喋っていただろう。


 はぁ、ここで会わない選択も有るわけだがどうしたものか?


「美濃の蝮と会えるのね。それは楽しみですわ!」


 え、おい!


「蝮に夫を紹介しないと。私の見る目が正しいって教えてやるよ」


 ちょっと、あんた達。


「「行くしかない!」」


 あー、やっぱりこうなるのね。


 なし崩しに道三と会うことになった。


 女性の強引さには参るね、ほんと。



 会談場所は指定されていた。


 当然日時と時間も決まっている。



 これって罠じゃんよ。


 しかし、二人ともそんな事は全く気にしていない。

 俺が警戒し過ぎなのか?

 いやいやそんな事はないだろう。

 だって相手は蝮なんだよ。

 でも、警戒しても結局はなるようにしかならないか。



 それならせっかく超有名人に会うのだから楽しもう。


 俺は開き直る事にした。


 諦めたと言ってもいい。




 会談場所は井ノ口。


 しかも、俺と小六が初めて会ったあの賭場でだ!

 なんとも因縁染みた場所になってしまった。


 俺、あの場所苦手なんだよね。



 さて、いつもの様に蜂須賀党が準備した変装衣装に身を包み。


 いざ、敵地に向けて出発。


 しかし、今回はちょっと派手じゃない?

 輿を三つも用意しての旅だよ。

 これって目立ち過ぎだろう。


 そんな俺の心配を他所に目的地に着いた。


 予定された時間よりも早く到着した。


 決められた時刻は夜。


 今はまだ夕刻だ。


 少し時間を潰そうかと思っていたが蜂須賀党の者が先客が来ている事を教えてくれた。


 向こうも早く来ていたのか?


 直ぐに所定の場所に案内される。


「藤吉。先に行っておいておくれ。私達は着替えて来るから」


 へ、一緒じゃないのかよ?


「わたくし達が戻るまで蝮とゆっくりと話すとよいですわ」


 あ、あの、二人とも。


 そう言うと二人は別室に移動して行った。


 ちょっと! 俺一人で道三と話すのかよ?


 いかん、心の準備が。


 三人で会うと思っていたから油断していた。

 こんな状態で道三に会うなんて予想してなかった。

 心臓がバクンバクン言っている。


 き、緊張で唇が乾いていく。


 俺は今どんな顔をしているのだろう?


 蝮、いや道三の使いの者が俺を案内する。


 これからあの斎藤道三に会うのか。

 少しどころか、かなり緊張している。

 足はかろうじて前に動いているが体の震えが止まらない。


 使いの者はそんな俺を見て落胆している様に見えた。


 きっと俺の事を想像していた奴と違ったんでがっかりしたのだろう。

 しかし、この緊張感は本当に久しぶりなんだ。

 俺がこっちに来てから二度目の処刑宣告を受けるかもしれない場なんだ。

 震えていても不思議じゃないだろう?


 そして、そんな俺の思考を置いてきぼりにしてその場所に案内された。


 戸が開けられ俺だけ中に通される。


 そして使いの者はさらに奥の間に行くように指示する。


 今の俺は帯刀していない。


 丸腰で道三に会うのだ。


 本当に道三に会うのか?


 この部屋の奥に道三は居るのか。


 実は刺客が今か今かと待ってるんじゃないのか。


「早く入ってこんか!」


 俺がまごまごしていると奥の間から声が聞こえた。

 俺はその声に反応して奥の間に入った。


 その部屋には白髪の爺さんが座っていた。


 脇息にもたれ掛かり扇子を片手に持ちトントンと畳を叩いている。

 体はそれほど大きくないようだ。見た目的に百五十五から百五十ぐらいだろうか?

 少し痩せている。頬の肉付きもよくない。

 しかし、目だけが鋭い。射ぬかんばかりに鋭く俺を見ている。


 なんとも怖い爺さんだ。


 平手のじい様とは別の怖さだ。


「座らんのか小僧」


 目の前の爺さんに指摘されて自分が立ったままだと言う事に気づいて慌てて座る。


「もちっとちこう寄れ。ちこう」


 言われて近くに寄る。


 この部屋はそれほど広くない。

 しかし、あまり近くに寄るのはどうかと思ったので相手に二メートルほど離れて座る。

 この距離は刀を抜けば届く距離だ。

 それに気づいてもっと離れれば良かったと思った。


「して、名は?」


 分かりきっているのに聞くのか?


 いや、自己紹介は大切だよな。初対面だし。


「木下 藤吉にございます」


 俺は両手を付いて頭を下げる。いつもの挨拶だ。

 少しだけ声が上ずってしまった。

 そして頭を上げて相手に問う。


「斎藤 山城守 道三殿ですか?」


 殿と付けたのは俺が道三の配下じゃないからだ。

 俺は織田家の人間だよ。

 例え偉くても敵に様なんて付けないよ。

 殿で十分だよ。殿で。

 そう思ったら何故か震えが止まっていた。


「ふ、そうでないなら如何する?」


 質問を質問で返すのか。さて、どうするかな?


「そうですな~人違いであるならそのまま帰っても良いでしょうが、ここは賭場です。少しだけ遊んで帰るのも一興」


「くく、そうか。そうだな。わしと一つ勝負しようではないか。どうかな?」


「対価は何ですか?」


「ぷ、ふははは。このわしに対価を求めるか。ふははは、気に入った。わしに勝ったなら名を教えてやろう。どうじゃ?」


 名前なんて教えられなくても分かるよ。


 この爺さんが道三だ。


「名は結構です。聞いてなんですけど改めて知ったら帰れそうにありませんから」


 それを聞いた爺さんは一瞬できょとんとした顔になった。


「そうか、そうか。名はよいか。ならば先に名乗ろうかの。わしが斎藤山城守じゃ。さぁ、小僧。勝負しようぞ」


 あ、この人。人の話を聞かないタイプかも?

 それとも主導権を渡さないようにしているだけか。


「しょうがないですね。それで何を賭けます?」


 は、言って気づいてしまった!


 名乗る前ならただの爺さんとの賭け事だったのに、今は斎藤道三との賭け事だ。


 これは半端な物じゃすまないぞ!


「そうさの。お主を賭けよと言えば乗るかの?」


「嫌です。帰らせてください」


 うん、帰ろう。


 斎藤道三と会った。


 それだけで十分だ。


「まあ、そうじゃな。ならば夕げを奢るのはどうじゃ?」


 最初から夕げを供にする予定だった。

 それが早く来てしまったのでまだ準備が整っていない。

 急遽慌てて御対面になったのだ。


「それならばいいでしょう」


「ふ、このわしと打てるだけでも貴重なのにお主はわしより偉そうじゃ」


「わざわざ危険を犯して会いに来たんですから、このくらいは多目に見て下さいよ」


 また、きょとんとした顔になった。


 なんか可愛い爺さんだな。


 ちょっと死んだ祖父に似てる。


「ふははは。そうか、そうか、そうじゃな。確かに呼んだのはわしであったわ。忘れておったわ。ふははは」


 やっぱり祖父に似ている。その笑い声、笑顔が。


「では、やろうかの? わしは強いぞ」


「俺も双六は負けた事ないですからね。奢って貰いますよ」


 一回しかやった事ないけどね。


「ふ、わしに勝とうとは十年、いや二十年早いわ!」


 こうして俺は道三と双六をするはめになった。



 はて、俺は何しにここにやって来たんだっけ?

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