第16話 柴田の密書にて候

 美濃井ノ口から帰りは長良川を下りながら津島を目指した。


 途中、墨俣周辺を通りあそこに城を建てるのかと思考にふけるも、川下りはあっという間にその場を過ぎていく。


 今、俺達をいかだに乗せて運んでいるのは、先の賭博の一件で味方にした蜂須賀党である。

 蜂須賀党と取り交わした契約内容は、堀田家との仲介と織田家(木下 藤吉)に臣従することだ。

 そして俺の隣で地名や国人衆の名前を教えてくれるのはちょっとだけ服装を正した蜂須賀小六である。


 酒屋での一件以来、小六は俺に付きまとっている。

 後から迎えに行くと言ったし、小六は待っているとも言ったはずなのにである。

 小六曰く、津島の堀田家と渡りをつけるまでは一緒に居ると。


 俺が書いた紹介状と証文を小六に渡して俺達は一路清洲に帰るはずだったのだがこうして一緒に居る。


 どうせ津島まで一緒に居るのなら試しに蜂須賀党を使って見ることにした。


 賭博で二千貫も失った蜂須賀党。


 津島の豪商堀田家との紹介料にしては高すぎるだろう。

 それに円滑に契約を結ぶ為には手土産が必要だ。

 そこで井ノ口周辺の商家から米を買い占め、さらに小六達には木材を伐りいかだにして、それに米を乗せて運ぶことにした。

 米は織田家の兵糧に、木材は堀田家の手土産だ。

 しかし蜂須賀党の対応の早い事、早い事。

 あっという間(正確には二日掛かった)に準備を終えた。


 そして俺はいかだが出来る前と出来た後に周辺の地理と地名、この土地周辺の国人衆を小六に教えてもらっている。


 時間は有限だ。


 一時も無駄に出来ない。


 それにいつ美濃斎藤家と戦をするか分からない。

 蜂須賀党を抱え込んだ事で斎藤山城守を怒らせたかもしれない。

 小六の話ではそんな事は起こらないと言ったが一応の警戒は必要だ。

 それから小六に蜂須賀党を使って斎藤山城守の情報を集めるように頼んだ。

 まずは情報だ。

 必要になって調べるよりも先に調べておく。


 『常に備え』をってね。


 美濃井ノ口に向かった時は木曽川を渡ったが、帰りは長良川を利用した。


 この長良川は別名『墨俣川』と言う。


 どっちかというと墨俣川の名前の方が使われているそうだ。

 小六の説明によると二十年近く昔に川の氾濫が有って、近くの村の長良村がその氾濫で沈んだそうだ。

 その支流がそのまま残り沈んだ村の名前を取って、長良川と呼んでいる。

 ちなみに村民は避難していて犠牲は少なかったとか。


 小六の説明を聞いて少し、いやかなり驚いた。


 村が無くなるほどの洪水ってどんだけだよ!


 現代でも洪水は酷い被害をもたらすけど村一つはないだろう。

 全くもって今も昔も自然の脅威には勝てない。

 せめてこれからはその脅威を少しでも和らげる方法もしくは工夫が要るだろうが、残念な事に俺はその手の治水に関する知識を持っていない。

 もっとも持っていてもここで再現することはできないだろう。


「もうすぐ津島の近くに着く。陸に寄せるから注意しな」


 小六の言葉に我に帰る。


 考えても実行出来ないので有ればしょうがない。


 今は出来る事をしよう。




「さあ、野郎ども。陸に上がるよ!」


「「「「おー」」」」


 しかし、よく統制されてるな蜂須賀党の面々は。


「お、着いたか。降りるぞ藤吉」


 陸に上がってからも蜂須賀党の対応は早かった。


 直ぐに津島の堀田家に連絡員を走らせ、堀田家の家人が来てから蜂須賀党の事を説明し、小六と供に堀田道空にいきさつを話した。


 道空は蜂須賀党との売買契約を了承した。


 元々、川並衆を束ねる立場だった蜂須賀党と手を組むのは渡りに船だったらしい。


 二つ返事で済んだ。


 蜂須賀党の持つ美濃での販路は相当魅力的に見えたようだ。

 蜂須賀党の運んだ木材は堀田家が買い取りこれを尾張領内に売り払う。

 結構な額の銭が動いた。

 これで蜂須賀党の件は片付いた。


 ………はずだった。


「じゃ、小六。ここで」「さぁ、清洲に参りましょうか」


「………えっと、小六さん。ここで」「ぐずぐずしない。早く行くわよ」


 小六が俺の腕を掴んで胸元に寄せる。


 う、柔らかい。


 小六の奴、全然俺から離れない。


「おい又左」


「さて、俺は先に行くぞ。藤吉」


 又左はとっとと松風に股がり颯爽と駆けていった。


「おま、待て又左」


 俺も後ろを振り向かずに馬を駆けた。


 逃げるが吉だ。


 結局、小六は俺達に着いてきた。


 蜂須賀党は『前野まえの 将右衛門しょうえもん 長康ながやす』に任せて。




 やっと清洲に戻ってこれた。


 戻って来たことをまつと寧々に知らせて、さっそく城に向かう。

 小六は寧々と一緒にお留守番だ。

 寧々には悪いが小六のお守りを頼む。

 そして小六には俺達が城から帰って来た後の食事を頼む。


「分かった。旨い食事を作るのも、つ、妻の務めだからな」


 妻? 何を言っているんだ小六は?


「え、又左衛門様。この方と夫婦に成られたのですか? では、かや殿はどうなさるので?」


 え? かやって誰?


「あー、しまった。かや殿は城か。寧々?」


 おい又左、かやって誰だよ?


 お前はまつが本命じゃなかったのか?


「城に居ると思います」


「よし、城に急ぐぞ。藤吉行くぞ」


「いや待て。何か今大事な事を聞い」「さぁ、行きましょう」


 俺は又左とまつに両脇を抱え込まれながら引き摺られて行った。


 まつさん力強いのね?いや、そうじゃない。


「いってらっしゃい。あなたー」


「あ、いってらっしゃいませ。藤吉殿」


 だから、かやって誰だよー!


  ※※※※※※※



 城に着き自分の部屋に入るとやっぱりと言うか、当たり前のように山となった書が積まれていた。

 城を離れること数日。

 誰も処理してくれなかったようだ。


 勝三郎め説得出来なかったのか?


 居ない相手を罵倒してもしょうがない。

 さっそく書の山の処理に取りかかる。


 ちなみに又左はかやという侍女を探しに、ついでにまつに美濃の事を説明して、まつが市姫様に報告に向かった。


 しばらく書とにらめっこしていると聞き慣れた足音が近づいてきた。

 そして戸が勢いよく開かれる。

 今や勝三郎の十八番だ。


「戻ったか藤吉」


「ただいま戻りましてございます。勝三郎様」


 俺は勝三郎の前に手を着き深々と頭を下げる。


「返事よりも首尾はどうなった。首尾は?」


 俺はニヤリと笑みを浮かべる。


「そうか。上手く行ったか」


 勝三郎は胸に手をやり大きく息を吸い込み、そして吐いた。


「そちらはどうですか?」


「うむ、こちらは………」


 勝三郎の話によると兵は揃い、武具の用意も整ったと。


 しかし、勝三郎の顔は晴れない。


「兵糧は堀田家から運び込まれます。人足の手配が必要ですね。そちらをお任せしてもよろしいですか?」


「うむ、構わん。その、………藤吉?」


「何ですか?」


 勝三郎が俺の前に座り近づく。

 額と額が触れあうほど近い。

 そして小さな声で囁く


「柴田から書が届いた」


「柴田から?」


 信行側の柴田からの書状か?


 寝返りか。


 それとも史実通りに密告か。


 俺の織田家構想の中に柴田勝家は入っていない。


 そもそも勝家は主君を売った裏切り者だ。

 しかも信行殺害に関与もしている。

 俺が信長なら絶対に重用したりしない。


 こういう人間は昇り調子の時は良いが、下り調子になると態度を変える。


 史実では信行殺害以後は織田家の忠臣として重きを成したが、本当の忠臣なら信長に信行を殺させるはずがない。

 信行と供に頭を剃って僧になると言っても良いはずだ。

 主君が間違った道を行くなら諫めて頭を下げるくらいしてもいい。


 しかし、勝家は何もしなかった。


 それどころか信行を裏切り積極的にその殺害に協力した。


 さっきも言ったが俺なら勝家を用いない。


 だが、信長は勝家を使い続けた。


 おそらく信長は自分が生きている間は勝家が織田家を自分を裏切らないだろうと踏んだのだろう。


 実際にそうだった。


 だが、今は違う。


 今の織田家は市姫様が当主だ。


 信長じゃない。


「これがそうだ」


「拝見しても?」


「構わん。まだ市姫様にも見せていない。平手様と協議してお主の意見を聞きたいのだ」


 市姫様に見せていない。


 俺の意見を?


 ずいぶんと扱いが重くなったな。


 俺は首を縦に降り勝家の密書を呼んだ。


 なんだ、これ?


 これは、その、あれだ、恋文か?


「勝三郎様?」


「意見を聞かせてくれ」


 話にならん。


「話にならん」


 また声に出てた。


「そうだろうな」


「そもそもなぜ恋文なのです?」


「おそらく、信行様だろう」


「はあ~」


 勝三郎と平手のじい様の考えによると。


 信行は市姫様と勝家を夫婦にしてしまおうと考えているらしい。


 そもそも陣代である市姫様の婚姻に関しては慎重にならなければならない。

 市姫様と婚姻した相手は織田家の当主の後見人、もしくは陣代に次ぐ権力を持つ事になる。

 信行は自身の家臣である勝家を使って織田家の当主に成るつもりなのだと。


 しかし、これは違うだろう。


 俺が見た信行ならこんな事で当主になろうと思っていない。

 それどころか信行は既に自分が当主だと思っているのではないのか?

 おそらく当主として妹の相手に勝家を推しているのではないのか。


「勝三郎様」「様は要らん」


「ごほん、勝三郎。市姫様に確認してみては?」


「それはどういう……」


 俺は自論を説明する。


「それは、……有りうるかもしれん」


 勝三郎も俺の意見に合点が行ったようだ。


「ならば直ぐに市姫様に会おう。付いてこい藤吉」


「付いていくのは行くのは良いが。勝三郎?」


「なんだ?」


「ちゃんと説明したんだよな?」


 勝三郎はすっくと立ち上がると。


「では、行くぞ」


 俺の顔を見ることなくすたすたと歩いて行った。


「おい待て、勝三郎」


「様をつけろ!」


「さっき要らないって言っただろうが」


 俺は直ぐに立ち上がり勝三郎の後を追った。


 勝三郎の奴、説得に失敗したか?


「おい勝三郎」


「様をつけろと言った!」


 このやりとりは市姫様の所まで続いた。



「ごめん」


 勝三郎は戸の前で膝を着き中の返事を待った。

 俺の時は何の断りもなく開ける癖に。


「どなたです?」


「勝三郎です」


 しばらくして返事が帰って来る。


「どうぞお入りください」


 あ、今気づいた。


 この声犬千代だ。


 中に入ると市姫様とまつが部屋にいた。


「藤吉も一緒でしたか」


「はい。私も市姫様に報告がございますので」


「美濃での一件ですか?」


 あれ、何か怒ってる?


「はい」


「いいでしょう。そこに」


 俺と勝三郎は市姫様と対面して座る。


 まつは市姫様の隣だ。


 珍しいな。


 犬千代が市姫様の隣に座るなんて?

 こうして見ると美少女が二人。

 絵になるな。


「それで要件は? 美濃の事は又左衛門からまつが聞きましたけど、藤吉からも詳しく聞きたいのですが」


「先にこの勝三郎からお話します」


 そして勝三郎は勝家の件を切り出した。

 俺と勝三郎、そして平手のじい様の考えも一緒に話す。

 じっと聞く市姫様。


「………ということですが市姫様にお聞きしても?」


「はぁ、やはりそうですか。まつ。あれを」


 市姫様がそう言うと犬千代は文箱の中から幾つかの書を出した。


「いずれも兄、織田弾正の書状です」


「見てもよろしいので?」


「むろん」


 勝三郎から先に見て後から俺も見る。


 やっぱりかー。


 書状の内容は『早く陣代を自分に譲り誰か良き家臣と夫婦に成っては』という内容だ。


 しかも、日が立つにつれ内容が変わっている。

 陣代を譲りがいつの間にか自分が陣代に成ったのだからに変わり。

 良き家臣の所が最後には勝家に嫁げとなっている。


 妄想もここまで来ると凄いな。


「これは余りにも………」


 勝三郎がしかめっ面をしている。

 いつもはニコニコポーカーフェイスの勝三郎がだ。


「ふう、呆れますよね」


 市姫様は呆れ顔だ。


 疲れているように見える。


 俺の報告は後でもいいかな?


 まつが説明してるなら別にいいだろう。


「姫様、私の報告は後日書面にて」


「今、話しなさい」


 おう、何か語尾がきつくない。


「勝三郎。平手を連れて来てください。きっととても心配してるだろうから」


「は、はい」


 勝三郎は答えるとそそくさと部屋を出て行った。

 何か市姫様がなんかすごい怖い笑顔なんですけど。


 ちょっと勝三郎君逃げないで。


「さぁ、話しなさい」


 市姫様がにじり寄る。


 後ずさる俺。


 な、なんで。


 俺は軍資金と兵糧を工面しただけだよ。

 確かに報告しなかったけどさ。

 それは勝三郎が説明するからって。


「さぁ、藤吉。話しなさい。『蜂須賀 小六』の事を」


 え、小六の事?


 まつを見ると視線をそらされた。


「さぁ藤吉。さぁ」


 声は優しいが、目が怖い。


 なんでなんだよー




 その後、洗いざらい話した藤吉は市姫様と途中から加わった平手政秀からその日遅くまで説教をくらった。


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