第6話 右筆になりて候

 又左から殺されそうになって七日が経った。



 右筆として城に上がり近習筆頭である勝三郎に一室を宛がってもらい書に埋もれている毎日。


 同じ右筆である『明院みょういん 良政よしまさ』殿は市姫の側で代筆を。


 俺は書の写しと直しを永遠やりつづける毎日。


 たまに又左がからかいに、まつさんが休憩にと茶を持ってきてくれる。


 実は又左は字が俺よりも綺麗なのだ。


 実際からかいに来たとき自分も物を書いていると見せられた時は驚いた。

 何を書いているのかというと、万葉集や、古今和歌集を写しているのだ。

 大層整った字で俺が書いた物より芸術性が高い物だ。


 一目見れば分かる。


 これだけ書けるなら自分で書けばいいものをと言ってやれば。

 自分の書き物は女性を口説く為の物とはっきりと言いやがった。

 それ以外は書かんと言うのである。



 又左から聞いた話によると。


 まず、気に入った女性を見つけると万葉集や、古今和歌集を真似たりそのまま使った歌を相手に送るのだとか。


 相手は無論、字の読める士分以上の武家の娘や、豪商の娘等だ。


 娘達も嫁入り前に教養を積んでいる。


 歌の内容は恋文だ。


 どこの時代も相手に伝える為の言葉を文に託すのは当たり前のようだ。


 しかし、この時代の恋文はストレートな内容が多い。


 例えば『あなたと二人朝を共に出来れば』とか。

 自分の心情を乗せて『あなたの閨で語りたい』等々。


 とにかく、ド直球、ど真ん中、ただやりたいだけの欲求を優先する内容なのだ。


 そしてこの内容がまたはまるらしい。


 その後、文を渡した相手から返事の文を返してもらう。


 又左の書いた上の句に相手の下の句が返事になるそうだ。


 女性も返事はストレートだ。


 『あなたが我が家を訪れるのをお待ちします』とか。


 『あなたの心を射止めたい』とか。



 男も女も凄いね!


 欲望に忠実なんだもの。


 又左はこの手の内容で夜這いしまくったそうだ。


 そして前田家はこの放蕩息子に散々振り回されてるらしい。


 後にまつさんに確認してみたら半分以上はこの問題で家を追い出されたらしい。



 羨ましいぞ又左!


 万葉集、古今和歌集は凄いよ!


 特に古今和歌集は悶絶もんだ。


 俺ももっと詩歌や和歌を勉強するんだった。


 ちなみに俺もやってみたいと言ったら又左はちゃっかりまつさんにチクリやがった。


 夜通しの説教をくらい、朝日が眩しく仕事にならず居眠りして勝三郎に怒鳴られた。


 又左は良くて、俺はダメなのかよ?



 しかし、右筆の仕事はわりかし楽しい。


 この時代特有の言い回しや、作法等々、勉強になる事が沢山ある。


 学生時代は歴史学専攻で古文には慣れていたつもりだったがこっちではさっぱり分からない。


 しかし、又左やまつさん、勝三郎の指摘で何とか理解出来るようになった、と思う。


 惜しむらくは現代に帰ってお世話になった教授達にこの事を教えられない事か。


 非常に残念だ。



 そして先輩と言うより上司である『明院良政』は、俺の書の先生である。


 彼は元は僧侶である。


 還俗しても坊主のまま。


 年は四十を越えて見える。


 信秀の代から仕えていて、信長、市姫の右筆を勤めている。

 他に何人か居たのだが市姫が陣代になると他の者は辞めてしまい利政だけが残ったそうだ。


 そんな気骨のある御仁だ。


 紹介してもらって直ぐに見本を見せてくれたのだが、大変美しい字だった。


 現代なら、七、八段くらいの腕前だろうか。


 いや、それ以上に感じた。


 利政は常に市姫に付いている訳ではなく暇な時間もある。

 大抵は書を読んでいたり写本をしていたりする。

 俺は利政のしない雑用をしている訳だ。


 それを不満に思っている訳ではない。


 それよりも利政はふらりと現れて俺の間違いを指摘し修正してくれる。


 無口な利政は声をかけたりしない。


 さりげなく間違った箇所を筆で指し隣で修正した書を見せてくれる。


「ありがとうございます」


 とお礼を言うと、何事も無かったようにすっと立ち上がり居なくなる。


 最初は役に立たない奴と思われたのかと思ったが、勝三郎に言わせると大変喜んでいるとのこと。


「利政殿は無口で無愛想だ。だから誤解されがちだが、藤吉のことはよく誉めているよ」


「本当ですか。呆れられているのかと思ったんですけど。間違ってばっかりですし」


 事実、けっこう間違っていたりする。


 だってあまりにもいい加減な字が多くて翻訳するのに苦労するのだ。


 だから俺が間違っていてもおかしくない。


「利政殿は間違いを指摘したりしない。それよりも自分で書いてしまうものだ。だから心配しなくていい」


 なるほど、あれは指導なのか。


 それを聞いてからは俺は利政を先生と呼ぶことにした。


 先生と呼ばれた利政は、ちょっとびっくりした顔を見せたがその後はポーカーフェイスを貫いた。

 ちょっとは素直になっても良いのにと思うが、こればっかりはしょうがないだろう。


 だが、距離は縮まったと思う。



 ただ心配なのは雑用でも右筆が扱う書類は大抵重要な物が多いのだ。


 そんな重要書類を扱う俺。


 十分に信用されていない今の現状では大変危うい。


 又左は一旦は俺を信用してくれたみたいだが、平手のじい様と勝三郎は違う。


 平手のじい様と勝三郎は帯刀しているので、いつか切られるのではないかと思ってしまう。


 特に平手のじい様は忌々しげに俺を見ているのでかなり怖い。

 仕事中は良いのだが仕事が終わった後に殺されるなんて事が、と思ってしまうのだ。

 仕事が終わり、毎日、毎度、毎度の食事を共にする又左に確認してしまう。


 その度に又左は笑い、まつさんは大丈夫だと言い、寧々は小首を傾げるばかり。




 そして七日目の夜。


「明日になればお主がどうなるか。分かる」


 と、又左に言われた。


「そうか。明日で俺は死ぬのか」


 冗談で返したのだが……


「そうだな。明日で死ぬな」


「冗談じゃないのか?」


「さぁ、どうかな?」


「兄上。嘘は止めてください」


「嘘ではない。藤吉は明日死ぬかもしれん」


 ……マジか、俺、死ぬのか。


「藤吉様は死んでしまうのですか?」


 半分涙目の寧々が上目遣いで俺を見ている。


「あ、に、う、え~。いい加減にしてくだい! 寧々が本気にしてしまうでしょう」


「あ、いや、何、大丈夫だ。多分死なんから、な」


 必死に寧々を宥める又左。


 でも全否定しないんだな。



 ……明日、どうなるんだ俺?




 審判の日がやって来た。




 今日は登城前から緊張しまくりでガクブルが酷い。


 前日に又左から脅されまくったからだ。



 俺は顔を上げて朝日を見る。


 これがこの世界で見る最後の朝日か?


 いや、人生最後の朝日かもしれない。


 もっと何か出来たんじゃないのか。


 いっそ逃げ出せば。


 しかし、昨日は又左がちゃっかり家に泊まりやがった。


 最後の監視か。


 もう逃げ場はない。


 覚悟を決めろ。


 じたばたするのを止めて性根を据えるしかない。


 出たとこ勝負だ!


 ここに来てからこればっかりだな。


 ………流されてばかりだ。


 登城していつもの部屋に向かう。


 するとそこには勝三郎がいた。


「後一刻ほどしたら評定の間に来てくれ。紙と筆を忘れないように」


「あ、はい」


 勝三郎は要件を伝えたとばかりに部屋を出ていった。


 評定の間?


 案内されたことはあるが入るのは初めてだ。


 ………おかしい。


 評定の間で記録をつけるのは良政様の仕事じゃないのか。


 それを俺がするのか?


 勝三郎は紙と筆を持ってと言っていた。


 ならそう言うことだろう。


 でも、わからん。


 俺は評定の間で殺されるか?


 何か失敗したとしてその場で手打ちにされるのか。


 どうする、このまま逃げるか。



 そっと戸を開けて周囲を見渡す。


 あっ、曲がり角に又左が立っている。


 しかもこっちを見て手を振りやがった。



 ……駄目だ監視されてる。



 俺はそのまま評定の間に向かった。


 すぐさま又左がやって来たので皮肉ってやった。


「朝からご苦労様」


「いやいや、藤吉の晴れ姿を見ようと思ってな」


「ずいぶん暇人だな又左。こっちは生きた心地がしないよ」


 ほんと、逃げ出したい。


「大丈夫だ。評定の間で死にはしない。この利久、必ず藤吉を守ってやる」


「結局、命の危険があるって事じゃないか!」


「あれ、そうか」


 もうこいつの言うことは当てにならない。


 俺は肩を落として評定の間まで歩いた。




 評定の間はテレビドラマで見た感じそのままだった。


 広い間取りに上座と下座を明確に分ける畳が敷かれている。


 そして、正面から向かって左手に台座がある。


 多分あそこが右筆の席だろう。


 評定の間で台を使うのは右筆しかいないからな。


 俺は又左に誘導されるまま上座近くにある台座のある席に案内された。


 そこには既に明院良政様がいた。


 俺が挨拶すると会釈だけ返された。


 この人はいつもこんな感じだな。


 ちょっと安心した。


 俺が席に着くとわらわらと人が入ってきた。


 その中に平手のじい様の姿が見えた。

 平手のじい様は俺に気づくと露骨に嫌そうな顔をした。

 そして上座近くに座った。


 序列が決まっているので皆迷うことなく席に着く。

 席と言っても座布団が置かれている訳ではない。

 板張りに直に座るのだ。


 ちなみに、右筆の席は上座の畳が敷かれている場所だから板張りに座らないで済む。


 但し、書くのが仕事だから姿勢を正して正座だ。


 右筆の仕事をするようになって正座にも慣れた。

 今なら二時間位正座してもどうってことない。

 又左の書を書いた時は腕も足も死んでいたが。




 織田家の家臣一同が評定の間に揃うと、近習筆頭の勝三郎もやって来た。


 勝三郎の席はちょうど右筆の席の向かい側、対面になる。


 その顔はいつも通り涼やかだ。


 その隣に又左が座り俺を見てニヤニヤしている。


 ちょっと、イラッときた。


 しかし、疑問に思った事がある。


 上座の席に二つの席が用意してあるのだ。


 一つは当然、陣代である市姫様の席だろう。


 残るもう一つの席は奇妙丸様の席だろうか?

 しかし、奇妙丸様はまだ幼いので評定には出て来ないはず。

 たしか前に勝三郎や利久がそう言っていたような。


 そうだ、分からない事は聞いてみよう!


 俺は隣に居る明院良政様に上座の席について聞いてみた。


 すると良政様は以外にも素直に教えてくれた。


「我々の方の席に市姫様が、恒興殿の方に」


 利政様が答えきる前に勝三郎が主君の来訪を告げる。


「織田家陣代織田市様。お目見えなりー」


 すると右筆の席の後ろの戸が開けられ市姫様が現れた。


 市姫様の姿は以前会った時と同じように着物姿に更に羽織っていた。


 ただ、美しい市姫様が入ってきた瞬間、その場の空気が重くなった気がした。


 市姫様の澄んだ瞳が家臣団に向けられる。


 家臣達は勝三郎の声を聞いた瞬間、一斉に頭を下げている。


 頭を下げていないのは俺だけ。


 そして、俺を見た市姫様は驚いた顔を一瞬見せると微笑みを向けてくれた。


 一瞬、ぽ~となってしまったが慌てて頭を下げる。


 クスリと頭の上で聞こえた気がした。


「皆、面を上げよ」


 凛とした声が聞こえると一斉に家臣達が上体を起こす。


 俺も少し遅れて頭を上げる。


 市姫様は座っており家臣達を見渡し最後に俺を見て、口元を扇子で隠した。


 多分、笑っているのだろう。


 俺もしばらくぶりに見る市姫様に笑顔を向ける。



「織田家名古屋城主。織田弾正忠信行様。お目見えなりー」


 家臣団の内の上座の一人がデカイ声でいい放つ。


 勝三郎の澄んだ声と大違いだ。


 耳に痛い。もっと抑えろよ。


 待て、弾正忠信行?


 なんで信行がここに来る?



 市姫様を見ると笑顔とは言い難い顔をしていた。


 勝三郎は苦々しい顔をしている。


 又左は不気味な笑顔を。


 家臣団の上座に居る平手のじい様は怒気をはらんだ顔をしていた。


 その人物が入ってくるまで。



 織田信行が下座からやって来た。



 ドカドカと足音を立てて、乱暴に。


 家臣達は信行が見えてから頭を下げて行く。


 その中を満足そうな顔をしてやって来る。


 そして、信行は上座に着くと市姫を一睨みした後に残ったもう一つ席に座った。



 織田 弾正忠 信行。



 この世界で、信長を殺した男。

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