第12話 Plans ”計画”

 とある研究室内では、ただ一台のモニターが投げる光だけがその部屋をかすかに照らしている。モニターに映っているのはこの島内の地図、そして目立つように赤い点滅が地図上で主張している。アレクセイはそれを眺めてもう二時間は経っていた。コーヒーカップの底にはすっかり水分を失って、ただ黒いシミが円を描いている。


「キミは想像以上の働きをしてくれた。感謝するよ、ミスター入嶋」


 アレクセイは入嶋に渡したカードキーに様々な機能を搭載していた。その中のひとつにGPS機能がある。その理由は紛失や盗難などのトラブルに対応するという最もらしいものを想像させるが、彼は入嶋を監視するためにその機能を搭載した。もちろんそういった理由をケインに話せば否定されるに違いなかったが、適当な理由をつけてケインを納得させることなど彼には簡単すぎることだった。


 望むモノはどのような手段を講じても手に入れるのがアレクセイの信念であり、そのためこれまでに何度もゾンビアのコントロール権を得ようと計画し、失敗し続けた。「もうすぐ、私のモノになる」と彼は堪え切れない笑みを漏らしている。


 入嶋が自室以外の場所で留まり続ける理由は多くない。ひとつはカードキーを落としたため。しかしカードキーが人肌程度の温度を熱感知し続けていることからこれはありえない。ふたつはその場で入嶋が何らかの攻撃を受けて倒れているため。しかし入嶋のバイタルサインは極めて正常だ。最後は入嶋が‘本物のゲイル’を発見したため。アレクセイは最後の理由に強い確信を抱いている。


 「計画はもう少しで達成だ。キミがどちら側に付こうがゾンビアは私のモノだ」


 窓外では完全な満月になりかけている月が周りの星に負けないくらいの光を放っていた。



 どこからか声が聞こえるような気がして入嶋は目を覚ました。全身の後部に感じる包み込むような柔らかさ、そして目に飛び込んでくる照明の優しい光。入嶋は対話を終えて現実の世界に帰ってきたことを理解した。それと同時に全身に強い重力を感じた。これがトーマスの言う負荷なのだろう。感じたことのない疲労感に似た感覚に顔をしかめながら声のする方へ顔を向けた。


「忠くん、大丈夫か?」


「タダシさん、大丈夫ですか?」


 声の主たちは一様に心配そうな顔をしている。


「急に椅子から転げ落ちたと思ったら、痙攣しながら白目を剥くからびっくりしたよ」


「もう三十分は意識不明でしたよ」


 記憶にないことを言われて混乱したが、何故かそこには安心感から来たのか茶化すような雰囲気があった。


「とにかく帰って来られてよかった。脳波を同期させるこの装置が脳にかける負担の大きさは不明な所が多いんだ。過去にはそのまま意識を取り戻さなかった者も居た。まあ初期段階での実験だったから仕方のない犠牲だったかもしれない。とにかく良かった。そう言えばトーマスは何と言っていたのかい」


 こちらの状態などお構いなく話続ける叔父さんを見つめながらトーマスとの対話を反芻していた。あの役目を自分が果たせるのだろうか。


「そうだね。二人にも協力してもらわなければならないんだ」


 そう言った声は自分の声なのに自分の声じゃないような気がした。これもきっとトーマスと対話したことによる副作用なのだろう。


「トーマスがそう言うなら断れない。何をすればいいんだい?」


「ええ、そのつもりです。手伝えることがあれば何でも」


「ありがとう。まずは叔父さんを静かにしてくれないかな。動けるようになるまで休みたいんだ」


 困り顔の叔父さんと笑いを噛み殺しているダリアの顔はとても滑稽で、この一瞬の気恥ずかしくなるような沈黙で話のペースをこちら側に引き寄せられたような気がした。ジョークは時に役に立つ。辞書に書いておくべき格言だ。



「ゲイルはゾンビアを完成させて世界第三次大戦の引き金とすることまでがプログラムされている。またその計画を妨げる因子はアンドロイドを駆使して完全に排除することもプログラムされている。つまりゲイルのプログラムを破壊しない限り、ゲイルはゾンビアを完成させて島外へ送るよう必ず動く。これがひとつめ」


 翌日の朝、入嶋は叔父とダリアの二人を出会った地下室へと繋がる部屋に呼び集めてこれからの動きを話し合った。


「アレクセイはゲイルのプログラムを破壊してゾンビアのコントロール権を得ることが目的だから、動くとすればゾンビアが完成した直後。仮にアレクセイがゾンビアのコントロール権を獲得した場合、それをどうするのかは不明。近日中にそれを確認するようにしたい。これがふたつめ」


 どうやってそれを確認するのか全く思いつかないが、どうにかするしかない。


「そしてトーマスの望みはゾンビアの完成とそのゾンビアが島外へ出ないこと。トーマスは研究員たちが生きた証となるゾンビアが島の守り神になることを望んでいる。考慮しなければならないのはトーマスの生死はゲイルのプログラムに何一つ影響を与えないこと。これがみっつめ」


 トーマスとの対話は色々なことを考えさせられた。何というかそれが理由でもあるのだけど、トーマスの望みは叶えてあげたい。


「以上の条件から自分たちはゾンビアが完成した直後にアレクセイよりも早く行動を起こさないといけなくなる。二人とも、自分の言っていることが分かるかい?」


 叔父さんは懐かしむような笑みを見せて首を振った。ダリアは険しい顔をして賛同を示した。



 目を覚ますと見慣れた白い天井があった。全身がまだ堅いような感じがするのはきっと昨夜うまく寝付けなかったせいかもしれない。窓のカーテンは既に開け放たれて、柔らかな朝日が足元の方を照らしている。いつもと変わらない朝。変わってしまった日常。


 明日で世界の命運が決まるかもしれない。そう思うと憂鬱で仕方なかった。


 日本で普通の報道カメラマンだった自分はこの世に蔓延る不正義不誠実を明らかにすることをやりがいとしていた。しかしそれはその不正義不誠実を明らかにするだけで、その後のことなんて一切考えていなかった。今はこの非現実的な環境でより大変なことを成し遂げようと行動している。いかに自分が守られていたのかを理解して逃げ出したくなったが、逃げるわけにはいかなかった。


 ベッドの隣にある簡易的な洗面台で顔を洗い、タオルで強く拭いた。そしてあのメガネをかけて、救世主らしい仕事とやらをすることにした。ペタペタとスリッパの音を鳴らしながら研究所内を進んで行く、顔馴染みの研究員達に会釈しながら自分はこれから世界を救うんですよと心の中でそっと呟く。何故かケインの部屋に近づくにつれて心臓の鼓動が大きくなっていった。


 動揺を見せないように心がけながら部屋に入っていつものように適当に本棚から本を取り出してまた適当なページを開く、今日も知らない言語の本のようだ。


『おはようございます。忠さん』


『おはよう』といつものように伝える。


『昨日はどうでしたか』


 ここ数日で聞きなれた質問だったが、初めて聞かれたような心地になる。


『何も見つからなかった。と言いたいところだけど、ゲイルに関してひとつ発見したよ』


『それでは今すぐに集まって話し合った方がいいですね。ゲイルの動向的にゾンビアを島外へ送るのはそう遠くないと思います』


 入嶋は本物のゲイルに会ったことをケインにテレパシーを用いて報告した。机の上で開いた西洋美術史の参考書では名画〈民衆を導く自由の女神〉についての考察が載っていた。入嶋はそれを見て自分と女神を重ねられずにはいられなかった。


『アレクさんとすぐさま連絡を行います。他に何か発見はありましたか?』


 入嶋は本物のゲイルであるトーマスがどのような状態であったか、そして装置を使ってトーマスと対談をしたことをかいつまんで伝えた。


『本物のゲイルは真っ白い部屋の中央にある装置の上で仰向けになっていたんだ。近づいてみると横に見慣れない装置があって、それを何となく使ってみると対話することが出来た。彼は自分の事をトーマスだと言っていて、彼は自分の死がゲイルに影響を与えることを教えてくれたんだ』


『入嶋さん、待ってください。それ以上の話は集まってからにしましょう』


 数メートル先にいるケインがいつになく興奮しているように感じられた。



「なるほどやはりあのゲイルはトーマスという人物を模したアンドロイドであって、その人物の代わりにゾンビアの製作を行っていたというわけか」


 肘をテーブルに付けた状態で両手の平を顔の前で組んで落ち着いた声でアレクセイはそう言った。ケインは彼をじっと見つめ、入嶋はただ緊張のせいで止まらない手のひらの汗を膝の辺りで拭いていた。


「死がゲイルに影響を与えるというのは恐らく現行のプログラムが生を前提に組まれているからだろう。つまりトーマスが生の状態から死の状態でのプログラムに書き換えられるためにラグが起こると考えられる。ならば私たちが狙うべきはその瞬間しかない」


 ケインは同意を示すように頷く。入嶋もそれに従う。


「ところでミスター入嶋。君はそのトーマスと装置を使って会話をしたと言っていたね。出来れば私も会話がしたい。この作戦を完璧に行うためには必要なんだ。出来そうかい」


否定を許さないような物言いでアレクセイは入嶋に迫った。ただ入嶋は「出来ると思います」としか返すことが出来なかった。


「では今晩行くのはどうですか?出来るだけ早く接触した方がいいと思います」


「私は問題ない。ミスター入嶋の予定次第だが」


「大丈夫です」


「では今晩またここに集合してから行きましょう」


 ケインが話をまとめて三人でトーマスに会いに行くことになった。善は急げとはよく言ったものだが、あまりにも展開が早いのではと入嶋は焦りを感じていた。


 入嶋は憂鬱な気分で自室に戻ったが、すぐさまベッドで仰向けになったこれからの行動を考えた。トーマスに会えばきっとアレクセイはあの装置を使ってトーマスと会話するだろう。その内容は他者には共有されないからアレクセイがトーマスに何を言って、何を期待するのか全くわからないのが不安で仕方ない。


 約束の時間まで余裕があったので仮眠を取ることにした。用意してあった昼食をとり、またベッドで横になった。

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