イン・ジ・アイランド
ハルヤマノボル
第1話 Invitation ”招待”
ここはとあるホール。ざわざわとした会場中では誰しもが何かを待ちくたびれて不満そうに、そして所在なさげにしている。ホール中央の壇上を照らす光が彼らの顔をかすかに浮かび上がらせる。そのわずかな光が照らすのは様々な国や地域からやって来たと考えられる多国籍な顔つき。しかしこの集まりは国際的な会議などではない。
急に一筋の強い光がステージの中心に置かれたマイクを照らし出した。観衆達はその光の強さに目を細めながらも注目する。そして後から訪れる沈黙。白衣を身に纏った男が袖からステージの中心に向かって来る。緊張を感じさせない確かな足取りで。そしてマイクの前に立つと少し息を吐き、目前の観衆に向けて告げる。
本日はお集まり頂き誠にありがとうございます。
ふむ。皆様の顔から察するにさんざん待たされた。という具合でしょうか。
いいでしょう。
では、突拍子も無いことをお聞きします。
皆様は「ゾンビ」とは何かご存知でしょうか?
一般的な説明として『ウイルスに感染し腐敗した体を持ち、そして自我を失いそれでいて他の人間に危害を加える人間だったモノ』とでも言えば理解出来ますか?
残念ですがこれでピンと来たならこの会場から出てってもらいたい。
少しざわめく会場。誰しもが白衣の男が言う事に対して何らかの疑問や不信感を抱いている事は明らかである。そしてそのざわめきが静けさに変わっていくのと同時に白衣の男は話の続きをする。
今のはただの冗談です。
しかし、もしピンと来た方はそういう類のテレビゲームのし過ぎか、もしくはチープなB級映画に影響され過ぎているようである。
そんな無益な前近代的「ゾンビ」は何一つ私達の生活に有益なことが無い。
パニックホラーをテーマにしたゲームしろ、映画にしろ、それらは実に無益だ。
だが彼らは痛覚に対して非常に鈍感であり、それでいて通常の人間の数倍以上の活動を行う事が出来るという特徴を有する。
特筆すべき点はおまけに「不死」である事だ。
静まり返った観衆達は皆、白衣の男が発する次の言葉に期待している様子である。当然の事ながら、これから白衣の男の口から恐ろしいアイデアが発表されるとは誰一人この時点では気付いていない。
私が主張したい事は、これら「ゾンビ」の特徴の有効活用である。
つまりは「軍事利用」だ。
またざわめく会場内、白衣の男は期待通りと言うような顔をする。観衆全員の目線と期待が自らに集中しているのを強く感じる。
その目標の下、私達は最先端の技術を応用し、全く新しい「ゾンビ」の開発に成功したのだ。
そう、新しい「ゾンビ」だ。
私達は彼らを“ZOMBIER”「ゾンビア」と呼んでいる。
彼らを駆使すればこの地球を牛耳る事だって容易い。
それではごきげんよう。
唖然とする観衆達。凍り付いてしまった空気。狂気とも言えるこの発想に対して異を唱える者は誰もいない。それは白衣の男の言う“ZOMBIER”がこれからどのような影響を及ぼしていくのか期待しているのかもしれない。真意は誰にも分らず、明るい会場とは真逆の闇の中である。
光に照らされた白衣の男は、身に纏う白衣のその白さが強い光と反射して異常な程の神々しい光を放ち、かろうじて伺えるのはこの観衆たちの反応に満足したかのような笑みのみである。
「今回の記事なかなか好評だったよ」
編集長の安谷さんはいつもそう言って褒めてくれる。当然の事ながら褒められるのは別に嫌な気がしないし、むしろ気分がいいものだ。しかし当の記事に関して、私はただネタになりそうなものを写真に収めただけであり、肝心の内容はいつも安谷さんの指導の下で練られ、記事のレイアウトまでもほぼ安谷さんがデザインしたものになっている。つまり私は特に何か特別な事をしていない。
「いつも本当にありがとうございます」
それでも私はこのように答える。
私はわかっている。
仮に「安谷さんのおかげですよ」と言ったとしても、安谷さんは濁りのないまっすぐな瞳で「いやいや、君の頑張りだよ」と答えるからだ。
実に優しい返事ではあるが、顔が笑っているようで笑っていないのだ。そしてそのアルカイックスマイルにも似たその顔を見るのが何よりも怖いのである。
その顔を観たくないがために最近はずっとすべて自分の手柄であったかのように答えるのだ。最初の方は罪悪感があったが、慣れてくると何も感じなくなる。
「いい記事なのになかなか雑誌が売れなくてねぇ」
そして安谷さんはいつものようにこのセリフを吐く、これは雑誌を買わない社会に対する不満ではなく、いいスクープを見つけて来ない私へのプレッシャーである。
何故このように斜めから勘ぐっているのかというと安谷さんのデスクの上には「怒らずに部下を伸ばす方法」といった類の本が何冊かあるからだ。
私はわかっている。
私の取った写真がそこまで取るに足らないこと、安谷さんは私に叱責したくてたまらないこと、安谷さんは「怒らずに部下を伸ばす方法」を絶賛実行中であるということ。
だからこそ微笑とは言えそうにない真顔で「君の頑張りだよ」と答えるのだ。知るべきでは無かったのかもしれない驚愕の事実だ。
「次回ノルマを達成できなかったらこの記事もカットかなあ」
「え、まだ連載してから2回目ですよ?」
「納得できない気持ちもわかるが、需要と供給は一致しないものなんだよ」
“需要と供給が一致しない”このセリフもうんざりするほど聞いた。
だいだい今回の「おもしろ自販機探し」に関して、私は企画段階から反対していたのだ。猛プッシュしたのは編集長の安谷さんである。
日本のマル秘スクープを世に投じる雑誌なのに「おもしろ自販機」が読者に受けるはずがない。
それにこの企画は年齢層の拡大と唄っているが、個人的には健全な少年少女に手にして欲しくない雑誌であると常々感じている。
なぜ反対した私がこの企画のために各地に裏を取り、全国を巡りわざわざくだらない写真を収め、設置者たちに取材をしてきたのは、企画に反対している立場なら納得のいく写真が撮れるだろうという安谷さんの意向と、旅好きな私の性格のせいである。実は今回の内容はともかく、各地を取材したことに関しては全く苦痛では無かった。むしろ楽しかったといえる。
「では何か次の企画があるんですか?」
「それがあればこんなに困らないんだがねぇ」
「ですよね…」と私は少しうなだれる。
「あ、そうそう、君宛にこんなものが届いてたぞ」
「はい?」
安谷さんから見慣れない柄の封筒が手渡された。よく見ると私宛のようである。つるつるとしているようでしっとりとした慣れない質感をもった封筒である。この素材は安くなさそうだなんて考える。
「これは誰から…?」
「それが書いてなくてねぇ、とにかく開けてみてくれ、こんな会社のひと社員あて
にわざわざ手紙を届けるなんてことは珍しいからねぇ」
「はあ」
なぜかわからないが私は少しこの手紙に対して不安を感じた。とにかく私宛にとんでもないことが書いているような気がしたのだ。
安谷さんの言う通り封筒を開けてみると丁寧に3つ折りにされた一枚の紙きれとカードのようなものが中に入っていた。紙切れの内容は以下の通りだった。
入嶋 忠 様
貴君の入国を許可します。
カードはその際の入国許可書になります。
近日中お迎えの者が向かいます。
尚、貴君に拒否権はございません。
あなたの個人情報はすべて把握しております。
また第三者への通達連絡があった場合、貴国を敵国とみなします。
通称「ロストワールド」 報知関係局長 ゲール
読者からの記事に対する痛烈な批判を予想していた私にとって、このあっさりとした内容の手紙は私を呆気に取らせたのは言うまでもない。
聞き覚えのない場所の全く縁もゆかりもない人間からの手紙であることが何よりそのことを強く主張する。
少し間をおいてから私は口を開いた。
「えーと、ロストワールド?ゲール?これはいたずらの手紙ですかね?」
「ん?ちょっと見せてみろ」
安谷さんが当然の権利のように手紙をこちらによこせと手ぶりする。
「どうぞ、何か心当たりありますか」
私の発言に対して理解できないのか、興味を持ったのかわからないような顔つきで、安谷さんは私宛の手紙をじっと見つめる。つくづくこの人は感情が読みにくい目をするものだ。
薄っぺらい内容であるため読みを終えるのにあまり時間はかからない。手に取ってからすぐ、安谷さんが少し震えているように見えた。あまりのくだらない内容に笑いをこらえているのだろうか。それも無理はないなと私は思う。
「お、おい、お前本当に知らないのか?」
「え?何がですか?」
「ロストワールドもゲイルもピンとこないのか?」
安谷さんは興奮が抑えられないような顔つきと姿勢のまま、私にそれらの馴染みのない言葉について説明してくれた。今度の目つきはわかりやすくて安心する。純粋に驚愕している。
つまり「ロストワールド」とは「他国と一切の干渉を持たず、独自に開発を続けていると噂されていた国」のようだが、「ロストワールド」とは通称のことで、凡そ20年前に原子力の開発に失敗し、大量の放射能が国内に放たれ、それ事件により住むことが不可能になったという理由で名付けられていると安谷さんは説明する。
幸か不幸か島国であったため、他国への放射線の影響はただ島国周辺の海洋での漁業が禁じられた程度である。そして「ゲイル」はその国唯一の暫定的な外交担当者で、これも噂だが、どこかで現在も生息しているらしい。
しかしそんなことを急に説明されたとしても心当たりがないためか全く興味が沸き起こらない。
「わかりました、わかりましたから。でもなんで私宛にこのような手紙が届いたのですかね?誰かのいたずらでしょうか」
「いたずらにしてはいくら何でもこの話題を取り扱うのはいい気がしないなあ。ちょうどおもしろいネタが欲しかったんだわ、うん、ぜひ行ってきてくれ」
「冗談じゃないですよ、安谷さん!そんな放射能に汚染されたところに行ったら僕死ぬかもしれませんよ!」
「ははは、確かに。そう考えるとなんかの冗談な気がしてきたなあ」
「冗談じゃないと困りますよ…」
「ん、なんか面白い企画が思いついてきたぞ」
「本当ですか!安谷さん、どんな企画ですか?」
「ええとねえ…」
それから次の企画についての私は安谷さん、そして他のメンバーと小時間会話し、いつも通りの業務をこなして帰路に着いた。
今日はちょっとしたイベントがあり、いつもより疲れたのと同時にいつもよりも楽しかったという感覚である。いつも通りの業務と言ったがもちろん終電に乗り込むのである。
この時間の会社周辺に外を出歩く人はまばらで少し心細いが、電車に想像以上の人が乗っているのを見かけると少し安心する。それがいいことなのか悪いことかはまた別の話として、これらの人も私と同じぐらいかそれ以上の努力をしていると思うと勇気付けられるものだ。しかし顔は決して楽しそうではない、むしろ死屍累々としている。
「今日もすき屋で済ませるか」
家から最寄りの改札を出た私は脳内で考えたか、これからの行動が口に漏れたのか、わからないぐらいにそう呟きながら、行きつけの牛丼屋へ疲労を噛み締めるような足取りで向かう。一歩一歩進むたびに足にじんわりとした感じがして、かなり疲れているんだなあとぼんやりする。でも何故かそれと同時に達成感も感じる。
いつも通り慣れた手順で牛丼を注文し、そしてその牛丼が運ばれてくる間、何となくあの手紙が気になったのでもう一度確認してみることにした。
「こんないたずらいったい誰がオレに…」
ゲールはきっと強面なんだろうなと思い、存在する子も分からない彼の顔を想像しながら一人笑ったりする。周りから見たら結構な不審者だが、こんな時間に牛丼屋にいる人間など私同様他人に注目する余裕が無いことなんて明白である。そうしているうちに牛丼が運ばれてくる。
邪道であるとわかっていてもこの牛丼屋の高菜明太マヨ牛丼の大盛りが一番の好みである。よく煮込まれた牛丼の甘みと明太マヨの辛味がうまくマッチし、高菜がいいアクセントになっていることは言うまでもない。慣れ親しんだ味に舌鼓を打ちながら帰宅した後の行動についてぼんやり考える。とりあえず干しっぱなしの洗濯物を取り込むことが一番に決まった。
夢中になって牛丼をかきこむ。ゲールのことなど脳内から消え去り、ただ舌の上で踊る旨味に感動していた。そして間食した後、満足したようにお箸を丁寧にお盆の上に乗せる。器の中にはご飯粒はひとつも残っていない。
しかし入嶋はこれが最後の牛丼になることなど知る由も無かった。
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