第113話 降伏する者
龐統の指示で四軍は包囲網を狭め始めた。
魏延も敵襲を警戒しつつ他の三軍に歩調を合わせて濮陽へ近づいていった。
濮陽内部にも蜀呉連合軍による包囲網形成は伝わっており厭戦気分が漂い始めていた。
中には司馬一族に殉じて死ぬのは御免だとばかりに城を抜け出して降伏する者が続出していた。
士気の低下を恐れた司馬昭が城内の警備を厳しくしたので数は減ったものの全く居ないわけではなかった。
「司馬一族に近いと申す者が降伏を求めて参りました。」
「名前は?」
「賈充と名乗っております。」
魏延は賈充の事を全く知らなかった。
前世では魏延が死んでから賈充が表舞台に出て来た事もあり、知らないのは当然であった。
魏延は賈充の顔を見ると何かを気にしたのか少しの間無言であった。
「賈充と申します。司馬昭の下で補佐役を務めておりました。」
「その年で補佐役を任されるとは相当な智略の持ち主のようだな。」
「某は司馬昭の命令を着実に実行していただけです。」
「君のような人材は我々にとって必要不可欠だ。私の下で頑張ってもらいたい。」
「ありがとうございます。誠心誠意お仕え致します。」
魏延は賈充の才能を見抜いて直属の部下として預かる事にした。
賈充は濮陽攻略の助けとなるよう内部事情を魏延に打ち明けて軍中における信頼を得る事に成功した。
「賈逵の息子が降伏してきたと聞いたが。」
「賈充と名乗っていた。中々見所のある若者のようだな。」
「賈逵の事は知っているが息子の話はあまり耳にした事がないな。」
「それは仕方あるまい。賈充は司馬昭の直属として仕えていたと聞いているからな。」
張郃が賈充の噂を聞いて魏延を訪ねて来たのでしばらくの間二人だけで話し込んだ。
張郃は賈逵の事で知っている全てを魏延に伝えた。
賈逵は質実剛健を絵に書いたような人物で司馬一族だけでなく魏臣からも信用されていた。
鉅鹿で敗れた賈逵は城から脱出して許昌方面に落ち延びた事までは張郃も把握していたがそれ以降については情報が全く無いので答える事が出来なかった。
「事情に詳しい者を探してその辺りを聞いてみよう。」
「助かる。」
二人だけで話をしていたが人の気配を感じたので途中からは小声で話した。
話を終えると張郃は直ぐに持ち場に戻り、魏延も足早に幕舎に引き上げた。
◇◇◇◇◇
数日後魏延は馬忠、馬謖、姜維の三人を幕舎に招いて夜食を共にして情勢について話し合っていた。
当初は張郃も来る予定だったが体調不良を理由に姿を見せなかった。
傅士仁と徐晃は留守役を任されていたので張郃同様姿を見せなかった。
「最近眠れなくてな。」
「あれこれ考え過ぎのように見えます。」
「寝酒を飲まれては如何ですか?」
「一杯だけなら影響は無いでしょう。」
「今日はそうさせてもらおう。」
話し合いの後で雑談をしていると魏延が珍しく悩みを打ち明けたので三人からあれやこれやと言われたので仕方なく寝酒を飲む事になった。
魏延は寝所に戻ると酒を一杯だけ飲んで床に入り直ぐに寝入った。
◇◇◇◇◇
夜更けになってから魏延の寝所を訪ねる者の姿があった。
護衛兵は制止しようとしたがその者の顔を見ると通って良いと言って剣を下げた。
訪問者は物音立てず中に入り込むと懐に忍ばせていた短剣を取り出して鞘から抜いた。
そして魏延の寝床に近づくと短剣を両手で握り直すと素早く胸辺りに突き刺した。
「ん?手応えが無い。」
「殺せなくて残念だったな、賈充よ。」
「まさか…。」
「そのまさかだよ。」
訪問者の正体は賈充だった。
賈充は蜀に偽降した上で要人暗殺するよう司馬昭に命じられた。
その要人とは司馬師を死に追いやった魏延だった。
河北に居た魏延は晋の内部事情に疎いので与し易いと判断されたからである。
賈充は魏延の信頼を得たと思っていたが、魏延自身は賈充の事を怪しんでいた。
初対面の際に賈充から殺気立つものを感じていたのが理由である。
加えて賈充が動く少し前に張郃から晋における賈充の職務を知らされていたので魏延は警戒しつつその時が来るのを待っていた。
「賈充、君の取るべき道は二つある。本当の意味で蜀に降り漢室の為に働くか、私とここで対峙するかだ。」
「蜀に降るくらいなら死んだ方が良いわ!」
賈充は短剣を握り直すと魏延に向けて刃先を向けて体当たりしようと突っ込んできた。
魏延はその動きを冷静に交わすと手に持っていた剣を賈充に向けて振り下ろした。
「ぎゃー!」
賈充は袈裟斬りされた形になりその場で倒れた。
「初対面の時、君が殺気を露骨に見せたから警戒していたのだ。」
「司馬師様の事を考えたのが…。」
賈充は最後まで言い切れず力尽きた。
魏延との初対面の際、司馬師の事を思い出していた賈充は魏延を見て感情的になった事で殺気を漲らせてしまった。
それを察した魏延は自らが囮となり賈充の襲撃を待ち構えていた。
事が起きる直前に張郃から賈充の事を気に掛けておけと言われた事も魏延に取って幸いした。
「晋に若者を育てる気概は無いのか?」
魏延は一言だけ呟くと羽織っていた着物を賈充の亡骸を隠すように被せた。
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