六章 密室ー3

 3


 ベッドに寝ころんだまま、湯水は眠れなかった。


 今さら言っても、しかたないのだが、このゲーム、勝ちたかった。


 二度とないチャンスだったのに。


 学生時代から、ずっと、あこがれていた、あの人と結婚できるなんて。


(ずるいよ。九重さん。ものすごい美形で、金持ちで、頭もよくて……それで、じゅうぶんじゃないか。


 そのうえゲームに勝って、あの人と結婚する)


 それも、蘭が欲しいのは、この監獄のような屋敷のほうで、あの人のことは、どうだっていい。いや、むしろ、ジャマらしい。


(そりゃまあ、九重さんほどの人なら、美人なんて、よりどりみどりだろうけど)


 だからこそ、彼女との結婚は、やめてほしかった。


(こんな屋敷がほしいなら、僕なら喜んで、ゆずったのに。今からでも、なんとかならないだろうか)


 そこで、ふと、湯水は思った。


 いっそ、蘭のチョーカーごと、ハートをいただくのは、どうだろうと。


(あれ? あんがい、いけるんじゃないか? ハートの権利が、こっちに移るかも。


 ゲーム開始前に決められたこと以外は、何してもいいルールだ。


 そうだ。そうしよう。これしかない。『死者の復活』だ!)


 問題は、じゃあ、どうやって、チョーカーをうばうか、なのだ。


 あの蘭が首につけたものを、だまって、とらせてくれるとは思えない。


 湯水が悩んでいたときだ。


 電話が鳴った。


「はい。湯水です」


 なにげなく、出ると、思いがけない応えが返ってきた。


 しかも、声が、おかしい。


「おれだ。東堂だ」


「東堂さん? 今ごろ、なんでしょう。というか、声が……」


「別館の電話は全室、ボイスチェンジャー内蔵なんだ。変な機械音声になってるだろうが、安心して聞いてくれ」


「ああ。そうなんですか」


「おまえさ。このゲーム、勝ちたいんだよな?」


「そ、そうですけど……」


 ドキリと、胸が高鳴る。


 東堂なら、蘭に勝てる方法を教えてくれるかもしれない。


 湯水はチョーカーを盗むという思いつきを話してみた。すると、


「じゃあ、これから、おれが行って、蘭のチョーカー盗んできてやる。そのかわり、おまえ、こんなことできるか?」


 内容を聞いて、湯水は嬉しくなった。自分の得意分野だったからだ。


「できますよ。ちょっと時間はかかるかもですが」

「じゃあ、たのむ。朝までに外から直しといてくれ。おれが盗んだとわかると、ほら、約束がな」


「でも、なんで、僕に勝たせてくれるんですか?」

「蘭のためにならないからだよ。おまえが勝ったほうが、みんなが幸せだ」

「そうですよね。わかりました。じゃあ、今から行って、準備してきます」


「準備って、どのくらい時間かかる?」

「写真一枚、撮るだけだから、五分もかからないけど」

「わかった。あとで、おまえの部屋に行くよ。蘭のチョーカーを渡しに」

「はい! 待ってます」


 やっぱり、東堂は頼りになる。

 これで勝つことができる。

 湯水は天にも昇る心地だった。




 *


 枕元のデジタル時計が、午前六時をしめしている。


 まだ高揚のぬけきらない大海のよこで、蘭は、すっかり熟睡していた。純白のほおに長いまつげが、くっきりと影をおとしている。


(ああ。この人が、おれのものになったんだ)


 そう思うと、とてつもない歓喜が、体の奥をゆるがした。


 ーーねえ、ずっと、ここで、いっしょに暮らそうよ。大海。


 蘭は、そう言った。


 もちろん、迷わないわけじゃない。育ててくれた養父母の恩は、どうなるのか。


 大海が引きとられたのは、代々続いた紺屋の家業を継がせるためだ。それを今になって、すてさるというのは?


 でも、蘭に乞われれば、そんなもの、どうでもいいとも思う。


(殺人事件のあった場所ってのが、あれだけど……それも、蘭さんと、いっしょなら)


 そう思う一方で、不安でもある。


 今は大海も蘭も若い。


 おたがい他人より容姿に恵まれている。だから、蘭も大海をそばに置くことが楽しいのだろう。


 だが、このまま二十年たち、三十年たって、大海の容姿が衰えれば、どうなるだろうか。


 あるいは、蘭のーーあの蘭ほどの美貌が衰えたとき。


 今みたいなセクシャルなふんいきのただよう、あやうい友情が成立するとは思えない。


 たがいに落胆するだろう。


 大海だって、蘭の美貌が荒廃していくさまなど見たくない。


 いや、第一、それ以前に、しょせん友情は恋ではない。


 つまらないことでケンカになれば、その場で大海はお払い箱になる可能性だってある。


 そうなれば大海は、とつぜん、路頭に迷ってしまう。


 大学も中退。手に職もなく、養父母のもとへも帰れず、財産もなく……。


 ーーもういい。君なんか、出ていけよ。


 蘭のその、たった一言が、大海のすべてをにぎる生殺与奪の権利になる。


 いつもビクビクおびえて過ごすようになるだろう。


 蘭の真意をうかがうために、つきまとうようになるだろう。


 あれほど蘭が嫌っているストーカーに、自分は……なる。


 シルクのナイトガウンのベルトで両手をしばられたポーズで、蘭は言う。妖しく大海を見あげながら。


 ーー僕を君のものにしたくない?


 とまどって、ただ見つめる大海をからかうように笑う。


 ーー冗談だよ。


 冗談にされて、大海は、ほっとしたのだろうか。


 それとも、ガッカリしたのだろうか?


 ーーこのまま、ずっと、いっしょに暮らそうよ。


 大海だって、これで終わらせたくはない。でも突き進むのは破滅だ。


(一生は……重すぎるよ。蘭さん)


 せめて中間なら、いいのに。


 たとえば、東京の蘭のマンションで同居してみる。


 それなら大海が大学卒業するまで、二年のお試し期間があるわけだ。


 うまくいけば、大海が東京で就職して、その期間を延長すればいい。ダメなら金沢へ帰り、染物屋でもなんでも、なってやる。


(蘭さん。東京へ帰ろうよ。いっしょに帰ろう)


 おそるおそる手をのばし、蘭の日本人形みたいな、つややかな黒髪をなでてみる。


 蘭は、うーんと小さく声をあげ、つぶやいた。


「……ひろみ」


 それを聞いた瞬間に、わきあがってきた思い。


 幸せだ。おれ、今、この瞬間、すごく幸せだ。


 もうずっと一生、この瞬間だけが続いてくれたらいいのに。


(ずっと、おれのことだけ考えて、おれの名前だけ呼んでほしいよ)


 あなたに愛された人は不幸だ。


 この瞬間を失いたくなくて。


 この最高に幸せな瞬間だけを永遠にしたくて。


 自分が変になってくのを自覚しながら、堕ちていくんだ。


 アントリオンーー


 あなたのために堕ちていく。


 大海は、こみあげる切ない感情をおさえきれなかった。


 もし今、死んだとしても、自分はけっこう幸せだ。


 今なら、きっと、あなたも泣いてくれる。


 これから始まるはずだった友情や、未来にあるはずの幸福な日々を思いえがいて。


 一度のいさかいもなく逝くおれは、あなたのなかで無限に理想化されて、いつまでも輝き続ける。


 あなたは一生、おれを忘れられない。


 それは、あらがいがたいほど美しい情景だ。


 いっそ今、そのために自ら命を絶ってもいいとすら思える。


 無言で、蘭を見つめ続ける大海の意識を、そのとき、とつぜんの音が呼びさました。

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