五章 顔のない死体 1—5
*
腕をくんで離さない蘭を、猛は牽制する。
「いいかげん、はなせよ。さてはおまえ、例の高校の親友にも、こんな態度とってたんだろ? そりゃ相手は勘違いするって」
「友人どうしで腕くむの、いけませんか?」
「ふつう、男どうしじゃ、くまないだろ。とくに、おまえはダメ」
「ダメですか? あなたでも変な気持ちになる?」
「……ちょっとな」
猛がそう言うと、蘭は両手をはなして、あとずさった。
「僕が友人をもとめるのは、やっぱりムリな相談なのか」
おおげさに、ため息をついている。
「安心しろよ。おれには運命の女がいる」
「へえ。そう」
ぜんぜん、本気にしてない。
「ほんとだよ。おれが初めて撮った写真に写ってた。まだ一度も本人とは会ってないけどな」
薫と二人で遊んでいた小学生のとき。あの日光写真に写っていた、最初の念写。
一見、イモムシのようなものだった。それがロープで縛られた女の子だと気づいたのは、ずいぶん経ってからだ。
「おれは、ずっと、その人を探してる。名前は百合花。子どものときに誘拐されて、今もどこかで、おれの助けを待ってる」
なぜ、そのことを話してしまったのだろうか。
念写をうたがわれるようなことを、これまで他人に、もらしたことはないのに。
「SF映画のヒーローみたいですね」
本気にしてくれないなら、それでいい。
猛が探偵になったのも、そのほうが百合花を捜しやすいと思ったからだ。だが今のところ、まったく手がかりはない。
百合花は猛の念写を通してしか会えない、まぼろしのような存在だから。
他人に信じてくれというほうがムチャなのだ。
話しているうちに、208の淀川の部屋に来た。
「淀川。東堂と九重だ。速水が殺された。出てきてくれないか」
「九重です。ウソじゃありませんから、ドアをあけてください」
しばらくして、ドアが細めにひらかれた。猛たちの顔を見て、淀川が息を吐く。
一騎討ちの二人が仲よく肩をならべていれば、異常事態であることは、ひとめでわかる。
「速水が殺された?」
「くわしくは全員、集まってから話そう」
夜間の廊下の声はひびく。
その話し声を聞いて、となりの湯水が自ら顔を出した。
「二階は、あと、三村だな」
三村も起こしたところで、猛は手短にいきさつを語った。
「——というわけで、馬淵さんは外に出てる」
「なんや。馬淵さん、ちゃうんか」
「でも、柳田さんを殺した犯人と、速水さんを殺した犯人が同じとはかぎりませんよ」
なかなか鋭いことを、湯水が言った。
「速水を殺したんは、アキトなんやろ?」
「今のところは、そう考えるのが妥当だ」
「アキトはどこ行ったんやろな」
「あんがい、速水さんの部屋に隠れてるんじゃないですか?」
「それはないで。カギ、あけへんやんか」
「ああ、そうか……」
ぽりぽりと頭をかく湯水を、猛は無言で見つめる。
ほんとに、鋭いところをついてくる。
(もし、犯人が速水の部屋のカードキーを持っていれば、速水のいなくなった部屋に隠れているのは容易だし、安全だ)
今夜はアキトをさがして、館中を捜索しなければならない。ムダかもしれないが。
とにかく、いま大事なのは、みんなにパニックを起こさせないことだ。それだけはさけなければならない。
「三村。湯水と淀川つれて、赤城さんと大塚、起こしてくれ。ジャッジルームで待っててくれよ。おれと蘭は、かーくんたちと合流する。ちょっと時間かかるかもしれない」
階段の前で、三人と別れた。
待っていた薫は、猛を見て、ほっとする。
「よかった。ぶじで」
「モデルごときにやられるかよ。長谷部は見ないな?」
「うん」
蘭が明かりの洩れる室内をのぞきだした。
「死体が見えないな。浴室ですか?」
「ああ。浴槽につかってるよ」
「僕も死体、見たいです」
蘭はワクワクしている。
「このネクロフィリア」
「僕みたいに子どものころから、生死のギリギリの境を何度も経験するとね。ちょっとやそっとじゃ感じなくなってしまうんです。死体を見ると、ゾクゾクします」
「おまえをかーくんの友だちにするの、ためらうよ。まあ、見たいなら、見せてやるけど」
「かーくんも、いっしょに見ませんか?」
薫が泣きべそをかく前に、猛はさえぎった。
「かーくんには不向きだ。おれが行ってやるよ」
猛が蘭に見せたのにはわけがある。蘭はミステリー作家らしい。死体を見てなんと言うか、感想が聞きたい。
「ほら、血のすじ。死体をひきずった跡だろうな」
「みたいですね。柳田さんのときは凶器は使用してなかった。今回は刃物。この屋敷のなかで、殺人に使えそうな刃物なんてありましたか?」
「物置にあったハサミくらいじゃ、手傷を負わせるのもやっとだろ。ヒゲそりは電動だし、ナイフやフォークは毎回、回収される」
「死体を見てないからな。どんな傷ですか?」
「心臓をひとつき。かなり鋭利で、刃渡りの長い刃物でやったんだ」
「考えられる可能性は二つ。いや、三つかな。
一、犯人はなんらかの理由で、ここへ来るとき、凶器を用意していた。
二、食堂の冷蔵庫でナイフ状の氷を作った。
三、本館の誰かが共犯で、本館から凶器を運んだ」
「やっぱり、本職だな。おれと同じ考えだ」
「人が悪いな。僕をためしたのか」
「おまえの意見を聞きたかっただけだよ。でも、おれはもう一つの可能性も考えた。そこまではないと思いたいが……」
「なんですか?」
「ミッションだよ」
蘭の美貌がくもる。
「これが、ミッションによる殺人だと?」
「いや、一つの可能性としてな。もし、そうなら、指令書にナイフがくっついてきたんだ」
「いやな可能性ですね」
嫌悪感をうかべて、くちびるをゆがめても、蘭は美しい。
ノーマルな男の目から見ても、そうなのだから、これが、女やそういう趣味の男にとっては、どれだけ破壊的な魅力になることか。
猛はユニットバスへ続くガラスドアの前で、蘭に手招きした。
「見る前に覚悟しとけよ。かなり、ショッキングだ」
ガラスドアは最初に猛と馬淵が見たときは、かなり湯気でくもっていた。今はもう、それほどではない。
猛がノブをまわすと、ぬるい空気がもれだした。同時に、血なまぐささと、胸のむかつく匂いも。
「……あったかいから、この匂いなんですね」
両手で鼻をおおって、蘭は言う。
「それもあるが、死体の状態のせいだ」
「じらすのはもういいですよ。なか、見ますよ?」
「どこにも、さわるなよ。それでなくても、おれと馬淵さんの指紋、ベタベタついた」
蘭はガラスドアのすきまに首をつっこんだ。表情は見えない。が、体がビクリとこわばる。
しかし、それでも、たっぷり五分、蘭の頭は、こっちに戻ってこなかった。
ようやく、すきまから蘭の頭があらわれる。頰が上気して、ますます妖しい。
「刺激的ですね……」
吐息をついて、猛の胸にすがりついてきた。
蘭の行動パターンは、意外と薫に近い。こう見えて、そうとうな甘えん坊だ。
(かわいそうに。もと親友。これを思春期にやられたら、誰だって堕ちるよな)
「どう思う? これって『顔のない死体』だと思うか?」
猛がたずねると、蘭はうなずいた。
「そんな感じに見えますね」
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