五章 顔のない死体 2—1

 2



 アキトの部屋から出てきた蘭さんは、ちょっと常軌を逸していた。

 酔っぱらったみたいに赤くなって、ふらふらしている。


 僕を見ると、しなだれかかるように抱きついてきた。


「ら、ら、ら——蘭さん……」

「いいもの見ましたァ。眼福っ?」


 今、語尾にハートマークついてた。


「いいものって、死体が?」

「顔のない死体です。ミステリーの定番のひとつでしょ?」


 もちろん、僕はギョッとする。

「顔が、破壊されてたの?」


 答えたのは猛だ。

「破壊というか、上半身が湯船につかってる。熱湯がはられた湯船にな。あれじゃ親でも、個人の見分けはつかないよ」


 うっ。なるほど。馬淵さんがひるむはずだ。


「ゆかに死体をひきずったあとがある。てことは、死んだのち、死体を熱湯につけたことになる。ただ、アキトに、それをする必要が、はたしてあるかどうか」


 で、ふたたび、蘭さんが話す。


「顔のない死体は、古いミステリーでは、たいてい被害者と犯人が入れかわってるんですよ」


「——って、ことらしいな? かーくん」


「まあね。最近のは必ずしも、そうとは限らないけど。でも、現実の事件で、そこまで手のこんだことしないでしょ。やっぱり、死体を自分に見立てておくほうが有用なんじゃない?」


「ふつう、そうだよな。とくに、今のおれたちの現状をかんがみれば。殺されたのが速水、犯人はアキトと思わせておくことは、速水にとって、すごく都合がいい。なにしろ、誰にもナイショで自分の部屋に隠れていられる。もしも、さらに誰かを殺すつもりなら、次の殺人が格段にやりやすい」


 僕は、ぞッとした。


「食料さえ持ちこんでおけば、ろう城できるもんね」


 その食料も、地下倉庫にたっぷりある。前もって運びこんであれば、水もトイレも風呂まで完備の秘密部屋のできあがりだ。


「どうするの? もし、ほんとにそうなら、ヤバくない? 本人は自由に出入りできるんだし……」


「これから、速水の部屋を封鎖する。例のお札だ。ここにいる四人で、署名した半紙をドアに貼りつけるんだ。それなら、出入りじたいはふせげなくても、そこを開閉した目印にはなる」


「そうか! 猛、ナイス。それなら、安心感がだいぶ違うね」


 僕らは馬淵さんをとじこめたときの半紙とマジックを使って、速水くんの部屋を封じた。これで誰かが出入りすれば、ひとめでわかる。


 安心したところで階下へおりた。

 ジャッジルーム前で待ってた五人に、僕は思いきり、兄の自慢をする。


「——ってわけです。だから、猛は、僕と馬淵さんに、アキトくんの部屋、見張らせてたんだね。あそこなら、速水くんの部屋も押さえておけるし」


「うーん、速水がアキトで、アキトが速水? なんや、サスペンスみたいやな」

「考えすぎじゃないですか?」と、湯水くん。


 猛が答える。

「考えすぎなら、それでいいよ。危険が減るわけだから」


「とにかく、ジャッジルームに入りませんか? 監視カメラの映像を見せてもらおう」


 赤城さんの意見に全員、賛成した。


 野溝さんに報告し終わったときには、零時四十分をすぎていた。

 眠そうに目を細めた野溝さんが、監視カメラの映像をチェックする。

 おいおい、そんなことで大丈夫なのかと思ったが、ある瞬間、野溝さんの目がパッチリひらいた。


「これですね。以前のように、そちらにデータを転送します」

「見たら、また呼びます」


 猛が言うと、モニターの野溝さんは消えた。


「どうせ、これ以上のことはしてくれないからな」


 つぶやく猛に、蘭さんが、

「ファイル、ひらきますよ?」

「ああ。おれがやるとクラッシュする。おまえ、やってくれ」

「ほんとに異常体質なんですね。しょうがない人だ」


 猛と蘭さんのようすを見て、三村くんが、僕に耳打ちしてきた。


「二人、えろう仲ようなっとんな。一騎討ち、ちゃうんか」


 名前で呼びあってるし、三村くんでなくても気づくよね。


「殺人事件が片づくまで、休戦なんです」

「なーる」


 蘭さんがマウスをあやつり、監視カメラの映像が映された。


 アキトの室内からの画像だ。

 室内をアキトが、うろつきまわっている。

 音声は入ってないが、しきりに髪をかきまわしたり、なにやらブツブツ言ってるのが、口の動きでわかる。たぶん、蘭さんの悪口だ。


「きっと、昼間のことですね。長谷部さん、けっこう根に持つタイプなんだ」


 なんて言って、蘭さん、涼しげに笑ってるけど、犯人がアキトくんなら、危ないんじゃないのか?


 まもなく画面に動きがあった。

 アキトがドアをあけ、速水くんが入ってくる。しかし、何か、しっくりこない。

 モニターのなかで話し始める二人を見て、はッと僕は気づいた。


「メガネだ! 速水くん、メガネしてない」

「だって、あれ、レンズが割れちゃったんですよ。僕がスタンガンで気絶させたとき。あの人、顔から倒れたから」


 そうだ。速水くん、文句タラタラだった。


「だったら、なんで、メガネがストッパーになってたんだろ?」

「犯人は僕たちに、あの部屋のなかを見せたかったってことじゃないですか? わざとロックのかからない小細工をした」


 じゃあ、やっぱり、犯人は速水くんなのかな。


 画面では、けっこう激しく二人は言い争ってる。残念だけど、映像は音声つきじゃない。


「なに話してるかわかればいいのにね」

「盗聴器の内容は、僕らには公開されないのかな?」


 という蘭さんの意見に、猛は否定的。


「そこまでしてくれないだろ。どうせ。あとで請求はしてもいいが。馬淵さん。あんた、話し声、聞いたんだろう?」


 馬淵さんは首をふった。


「声は聞こえた。でも、こっちはビール飲んで寝てたんだ。はっきり目がさめたのは、悲鳴を聞いたときだ」

「なるほど。それはしかたない。蘭、さきに進めてくれ」


 蘭さんが早送りする。

 興奮した二人の動作は、なんとも滑稽こっけい

 でも、意外なことに、三十分もすると、速水くんはアキトの部屋を出ていった。


「あれ? どないなっとんねん。出ていきよったで。速水」

「このとき、十一時二十七分か。蘭、また、とばしてくれ」


 言われるままに、蘭さんは早送りする。けど、今度はそれほど長く、とばす必要はなかった。

 次に動きがあったのは、十一時三十五分。室内をうろついていたアキトが、ふたたびドアをあけた。

 その瞬間だ。

 廊下の暗がりから腕が伸びてきた。ナイフがまっすぐ、アキトの胸に沈みこんでいく。


「あッ」

「ちょ、おい——」


 全員がモニターに見入る。


 刃物のかがやきは吸いこまれるように、アキトの胸に沈みこむ。アキトは室内にあおむけに倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る