キリヤマと闇医者
最近はビルの屋上での養蜂も可能だし、ミドリムシの培養も水場があれば幾らでも出来る。
海が近く運河が交差し下水処理施設もある芝浦とか有明の辺りなら都心でも不可能な話じゃないだろ。
今この辺はビルがバンバン立ってるから空き部屋なら幾らでもある。
このワクチンがうまく転がりさえすれば国を動かせるんだよ、皆怖がってるゾンビウイルスに効くワクチンなんだから。
例のヤクザの息が掛かった闇医者はそう言った。
一見タバコも酒も女もやらない、勿論クスリもやらない健全な医者だ。
しかしどこか世間擦れしている、と感じる事がたまにある。
若い頃は有名な大病院で働いていたが、気性の荒さが原因で暴力事件を起こしクビになったのだという。
そして今は古い雑居ビルの中でろくでなし相手に商売をしている。
ほとんどの患者は喧嘩や抗争で怪我をしたヤクザや水商売、性病や美容整形の相談に来る風俗嬢。
世には保険証を持たない人間というのも確実に存在しているのだ。
そして時に、貧困層が子供を産み捨てて行く。
何かしら理由があり正規の産婦人科には掛からず母子手帳も無く戸籍さえ与えられない子供を産む女がいる。
その子供がその後どうなるか、までは流石のキリヤマも怖くて聞いていない。
以前キリヤマの会社が新商品の洗剤を出す時にサンプルを清掃会社や飲食店、病院、介護施設などにばら蒔いた。
キリヤマがその営業回りをしている途中、とある店で昼食を取っていると医者が突如話しかけてきたのだった。
その時キリヤマが持っていた社名の入った紙袋を見て「うちの診療所でもおたくの商品使ってるんだよ」と声を掛けてきた。
場所はよく覚えていないが、多分田町ではなく山手線内のどこかの駅にある立ち食い蕎麦屋だったはずだ。
医者は最初は勿論ヤクザの名前など出さず「家はちょっと面倒な患者が多くて」と苦笑いしていた。
そして何故か妙に気があってしまい、名刺を交換してしまった。
するとある日突如持ち掛けられたのだ。
「伝染病の情報を君に優先的に回す。その代わりに頼み事がある」
「俺はただの会社員で大して金も無いし警察とか政治家に顔が利く訳でもないですよ」
「俺は金ならあるよ、欲しいのはキリヤマさんのルックスと人脈だよ」
「どういうことですかね?」
「こちらの要求に対して使えそうな人間がいたら紹介しろ、って話だよ。それなりに便宜は図ってやるから安心しろ」
この医者はちょっとヤバい奴かもしれない。
そう思った時には既に遅く、いいように使われるようになってしまった。
時折同僚や取引先を連れて闇医者が懇意にしている風俗店を利用した。
中には既婚者もいて離婚の危機に陥った夫婦もいるようだがそれはキリヤマの知ったことではない。
ナンパで知り合った女が性病になった時は「知り合いのところならすぐ見てくれるから」と言って闇医者のところに連れていった。
キリヤマがあちらから金を要求されることは基本的には無かった。
むしろキリヤマの会社の商品を医者も風俗店でも積極的に使ってくれた。
直接的な取引は無いが、ヤクザの息の掛かった店の従業員があくまで「個人で」尚且つ「一般の薬局や量販店で」キリヤマの会社の商品を買うのは自由だ。
危ない店と直接取引するのではなく、そういう店の周辺にある健全な量販店に多めに商品を置いて貰うようにすればキリヤマのリスクは低い。
ただ少しずつ小さな弱味を握られながら、闇医者からサンプルを少し多めに要求される事が少し多いだけの事だった。
彼は「あんた俺の事闇医者闇医者って呼ぶけどちゃんと免許持ってるよ。医院は確かに人から譲って貰った奴だけどさ」と笑う。
「でもワクチンてそもそもその病原体とか毒素が元になってるんでしょう?なんでゾンビウイルスの患者とかじゃなくてミドリムシや蜂を使った研究をしてるんですか」
キリヤマは闇医者に聞く。これは治験の前から感じていた素朴な疑問であった。
「日本で最初のゾンビは海に沈めたはずの水死体から生まれたんだよ」
それは初耳だ。
「何故かそいつの胃の中に大量のミドリムシがいた。だからそれを根拠に水中の微生物を中心に研究してる連中がいる。海外では土に埋めた死体から花が咲いて蜂やハエを媒介にして広まった、とかいう説もある。だから海外では虫を中心に研究してる奴等もいる。実際それが本当に正しいかどうか試すための治験だよ。余りにも根拠の薄い実験だから余りおおっぴらにはやれない、でもなかなか有効なワクチンが作れないから国も焦って片っ端から試してるみたいな感じだよ。でもカイコから感染症のワクチンを作る研究をしてる奴だっているんだ、不可能じゃないだろ。むしろミドリムシや蜂の方が食用に向いてる分悪い話じゃない、例え効果がなくとも体に悪いことは無いよ」
しかしキリヤマは虫食だけは抵抗があった。
ゾンビウイルスが生まれて約5年。
静かに変異を繰り返している上日本国内と海外でもウイルスの特性に差があるために情報の共有が難しく有用なワクチンが作りづらい、という話はキリヤマも聞いたことがある。
ゾンビウイルスより前から冬場に定期的に流行るノロウイルスだって未だ有効なワクチンはないのだ。
ところでこの医者、先程さらっと怖い事を言った。
海に沈めた死体、とは。
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