芝浦オブザデッド

タチバナエレキ

ハルキ

ハルキは仕事用の鞄で近づいてきたゾンビの頭をぶん殴る。

今月に入って8体目だ。多分。

ちなみに今日は4月10日だ。平均1日1体弱。


東京は田町駅前。

丁度昼過ぎ、取引先に行くため駅の芝浦口側のエスカレーターを降りると、丁度真正面からゾンビが1匹走って襲い掛かって来たのだ。

倒れたゾンビの頭を踏んで止めを差すと、ハルキは道のはじっこに寄ってティッシュを取り出す。

革靴を拭かなくては取引先に失礼に当たる。

武器にした鞄はこんなこともあろうかといつも透明の雨避けビニールカバーをつけている。晴れの日でもだ。しかしいざという時に鞄は1番武器にしやすい。そのため何かしらビニールでカバーしている人は多い。

ハルキは歩きながら面倒だが22×番に電話を掛ける。

これはゾンビ対策に緊急に設置された番号で、ゾンビを見掛けたり倒したりしたら通報する義務がある。


「東京の田町駅の前です。芝浦口のエスカレーター降りてすぐの辺りの路肩に寄せてあります、よろしくおねがいします」


こう伝えれば後は保健所から素早く職員が派遣されて来てゾンビの後始末をしてくれる。

警察と消防と保健所、医療機関、果ては自衛隊まで巻き込んでそれぞれが責任を押し付けあった結果、保健所が負けて当面の間ゾンビ処分の前線に立たされる事になったという専らの噂だ。状況を見て他の機関に仕事を振っていくそうだ。


時は2025年秋。

日常生活に時々ゾンビが現れる。

皆、テレビや映画やゲームでゾンビの事はよく知り尽くしていたので簡単にゾンビを御する事が出来た。それ故にゾンビ・パンデミックはそれ程爆発的には起こらずせいぜい1月のインフルエンザレベルの蔓延で済んでいる。

ゾンビウイルスに侵された人は先ず口から甘い匂いがするらしい。

その時点で病院か保健所に助けを求めれば1ヶ月程度の入院で点滴を受け続ければ日常に戻れる。

しかし気付かずにゾンビ化してしまうともう手遅れで、残念ながら殺処分の対象となってしまう。


取引先は運河沿いにある古いビルだ。

この営業所は皮肉にも除菌グッズの研究・開発・販売をしている。

ゾンビが街に現れるようになってから売り上げが上がったそうだ。

ハルキは印刷屋の営業マンで、この除菌グッズの会社が通販の際に商品と共に段ボールに封入するチラシのサンプルを持ってきた。

郵送でも良かったのだが、別件の打ち合わせもあったので足を運んだ。

今日は天気が良かったので、打ち合わせの途中であちらの担当者が会議室の窓を開けた。

そして外に向かって何か叫んだ。

「どうされたんですか?」

ハルキが聞くと、担当者は苦笑いしながら「今、外の運河をゾンビが流れて行ったんですよ。沿道に若い人がいて呆然としていたので、私が通報しておくから、と言ったんです」と答えた。彼は「ちょっと失礼」と言って電話を取る。通報は国民の義務だ。

川沿いの街ではゾンビが川に落ちる事は珍しくないのだが、生態系に影響が出始めているらしく環境省が頭を悩ませている、と新聞に載っていた。


ハルキが打ち合わせを終え駅に戻ると、既に駅前のゾンビは回収されていた。


駅のホームにある自販機でジュースを買う。

不意に背後から「あれ、ハルキ君?」と声を掛けられる。

大学の時、アルバイトをしていたチェーン系カフェの社員さんだった。ミサトさんという女性だ。

大学を卒業する前にバイトは辞めたのでそれ以来の再会だ。約5年ぶりだろうか。

バイトの変遷が激しい飲食業で、よくバイトに過ぎなかったハルキの事を覚えてくれていたものだ。多分ミサトさんは30代後半に差し掛かっているはずだ。

「人の顔覚えるのも仕事だしね。ハルキ君は結構長くやってくれてたしインパクトあるから覚えてるよ」

ミサトさんは感慨深げにハルキを見上げる。

ハルキは身長が180あり、逆にミサトさんはヒールを履いたところで160もギリギリあるかないかだろう。

「私もハルキ君辞めた後にすぐ結婚してさ、しばらくはあの店舗で店長やってたんだけど子供産んで。今は大井町に住んでるから色々融通して貰って田町の店舗で時短で働いてるんだよ」

そう言えば田町にも何軒か店舗展開していた。あの営業先に行く時に見掛けた記憶がある。

同じ青いラインの電車に乗り込んだが、ハルキはすぐに隣の品川で降りた。

去っていく電車の中でミサトさんはニコニコと手を振っていた。


その時ふと思い出す。

当時のバイト仲間と少し前久しぶりに飲んだ時、ミサトさんの弟さんがゾンビウイルスで亡くなったらしいと聞いていた事を。


思えばあのカフェでバイトをしていた5年前はゾンビなんていなかった。


ハルキが就職をして1年程経った頃だろうか。ある日突然、はしかのように数人ずつ日本国内に広まっていったのだ。


日本は安全な島国だから他国から病原菌が持ち込まれ爆発的に広がるリスクが低い………などと思ったことは無い。

むしろ国内でパンデミックが起きた時に外に流出するリスクが低い、と自分は考えている。

実際世界でもゾンビ騒動は少なからず起きているのだが、海外で流行っているウイルスと日本で流行っているウイルスには差があるという研究結果が出ていた。ガラパゴスな日本ならではだ。だからこそワクチン開発の研究が諸外国と上手く共有出来ずにいるらしい。


ハルキは会社に戻り、必要な仕事を片付けた後30分の残業でタイムカードを打った。


今日は金曜日。

久しぶりに彼女とデートだ。

最近浜松町に出来た新しい肉バルに行きたいと言われていた。

昨年同僚の結婚式で知り合ったひとつ下のサクラ。

小柄で可愛らしく、田町にある某有名大学の出身だった。

今日田町でゾンビを倒した、という事を話すと彼女は「お肉食べてる時にゾンビの話は止めて。ハルキさん前からちょっとそういうところある」と顔をしかめ、ワインを一気に飲み込んだ。


帰り道。彼女の家に向かう途中で不意にキスをしようとした時だった。

彼女に手のひらで制された。


「ごめん、ハルキさん口から甘い匂いがする」


サクラの言うことが一瞬理解出来ず首を傾げている間にサクラはカバンからスマホを取り出した。


「あなた多分ゾンビウイルスにやられてるよ、保健所に電話するね」


昼間蹴飛ばしたゾンビの感触。

それが足元から身体中に広がった。

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