第103話 取り戻したもの
しばらく時間が経過した。
俺たちは自然に相手と離れ、手紙を中心に向かい合うように座っていた。美玖の顔には涙の跡がくっきりと残っている。人前で泣く、という行為は信頼されていなければまず起こらない事象だ。俺はこのことに対して喜ぶべきなのかわからなかった。
「潤平くん」
美玖は声のトーンを一段下げて俺の名前を呼んだ。
きっと“泣き顔を見たことは忘れて”みたいなことだろうなと予想を立てる。男としては泣き顔ぐらい……と思うが女子はそうではないようだ。
泣ける映画を見に行く男女ペアの割合が低いのも頷ける。
「なんでしょうか」
「……ペナルティ」
ぼそっと呟いた声の量は難聴主人公ではない俺ですらかろうじて聞き取れるほどだった。
美玖はペナルティといったのだ。途端に忘れようと必死にふたをしていた記憶が鮮やかに蘇る。頬を染めて指をいじらしく地面になぞらせる姿に、俺は体温が上昇したのを感じた。
「ぺ、ペナルティだからな」
「……不意打ちだったし」
「ペナルティだからな」
「私へのペナルティじゃないから私は不意打ちとかいらないの!!」
ぺしっと腕を叩かれる。
そんなことを言われても困るのだが……。
俺だって機械ではなく人間なので、恥ずかしという気持ちが少なからずあった。だがそれでも泣きじゃくる美玖を見ていてもたってもいられなくなり、美玖が「ペナルティ」というので勢いがついて抱きしめたのだ。
そんなに追求しないでいただきたい……。
「俺のペナルティはクリアならずか?」
「う~ん、どうしよっかな」
「ダメならもう一度するが」
俺がそう言った瞬間、ぼんっ!と真っ赤になる美玖。
「クリアでいい!!クリアにする!!」
手と顔をぶんぶん振り、必死に訴えてくる。どうしてそんなに慌てているのかわからないが、クリアならいいか。俺は焦りまくっている美玖を宥めようと手を伸ばし、頭をゆっくりと撫でた。
神に抵抗感はなく、川の流れのようにすっと流れていく。美玖を宥めるつもりだったのに、つい気持ち良すぎてずっと撫でていると。
美玖は驚いた顔をしながらも腰が抜けたようにへにゃりと座っており、全身脱力の状態だった。
「潤平くん」
パシッと手首をつかまれる。美玖は頬を膨らませてこちらを見上げてきた。男子の喜ぶアングルに俺も例外ではなかったようでくらっと来るが、何とか平常心を保つことに成功した。
「ごめんな、急に。落ち着かせてやろうと思って」
「先にいってくれれば準備もできるのに」
「ムードもへったくれもないな、それ」
俺がそう言うと美玖が控えめに笑って、俺の腰あたりに抱き着いてきた。
「ドキッとした?」
「……した。けどどうして急に?」
俺が尋ねると美玖は少し困り顔で笑った。
「抱き着きたくなったから、かな」
俺は言葉に詰まり、ごまかすように頬を掻いた。
抱き着かれるのは嬉しいが、困るな……。
俺が上から頭をなでてやると、美玖は額をぐりぐりと俺に押し付けてきた。何とも言えない感情が俺を襲ってくる。
「美玖、好きだ」
俺は美玖の耳元で囁いた。びくっと震え、俺を見上げた美玖は小さく、私も、とつぶやいた。
ここで俺は俺ではなくなったように思う。
腰に巻き付いている美玖の腕を優しくほどき、美玖と同じ目線になった。少し悲しそうな表情を見せた美玖に俺はゆっくりと手を握り締めた。
指は自然と交わり、気づけば最も深く密着しているつなぎ方になっていた。
美玖の体温を感じる。美玖もきっと俺の温度を感じている。
俺と美玖はどちらからというわけでもなく、ゆっくりと距離を縮めていく。おびえながらもゆっくり、優しく
俺も軽く握り返し、さらに踏み込んだ。
「潤平くん……」
「美玖……」
美玖が目を閉じる。
俺は優しく唇を重ねた。
「んっ……」
美玖が声を漏らす。
俺が離れると美玖は真っ赤になってこちらを見ていた。初めてキスをしたが、うまくいってよかったなと俺がひっそり思っていると、彼女はいじらしくもじもじしていた。
「美玖?」
「ひゃいっ!!な、なに?」
動揺が激しいな……なんだ?
「えらく動揺しているようだが……」
「そんなことないよっ?!潤平くんがキス慣れしてるんじゃないかなんてこれっぽっちも……あ」
「キス慣れなんかしてないぞ……。初めてだし」
全く。そんなことを思っていたのか。さっきはたまたまうまくできただけで、俺が冷静なように見えるのは美玖が慌てすぎて逆に落ち着きを取り戻しただけだ。
自爆した美玖を撫でて宥める。
「ホントにぃ~?」
「その言い方は信じてないな?」
「だって、平気そうなんだもん」
「声も漏らさず、平気な顔をしているからか?」
“声”という言葉にぴくっと反応する美玖。
分かりやすいというかなんというか……。
美玖も俺もこれが初めてのキスだということに変わりはない。小学五年生以前はどうか知らないが、その時から今まで、したことがないからだ。
美玖が目前にいなければ、俺は今すぐにでも悶絶したい。
「そうだよ!!私じゃない人とやってたん……?!」
言葉ではどういってもダメそうなのでもう一度。不意を突かれた美玖は可愛い悲鳴を上げた。
俺は理性というものを自分の家に置いてきてしまったのかもしれない。どうも美玖の家に来てからというもの、抑制が効かないのだ。
俺は唇の間から舌を出し、絡めようとした。だが、美玖の唇に触れた途端、電流が走り抜けたように意識が覚醒し、唇を離してしまった。
俺は……一体……何を……。
実際は分かっている。二回目のキスで堪え切れず舌を入れようとした。けれど寸前で俺は理性が戻り中断した。
今までになく心拍数が跳ね上がる。
「潤平くん!急にはだめって何回も言ってるでしょ!!」
「ご、ごめん」
さっと美玖のいない方へ顔をそらす。俺は自分のしようとしていたことを思い出してしまい、美玖の顔を直視することができなかった。
美玖が二や~っと笑ったのは顔を見なくてもわかった。
「照れてるの~?どうしたのかな~?」
脇腹をツンツンとつつかれる。ちなみに弱点である。
俺は必死に体をくねらせ、回避しようと試みた。だが、視界に美玖が入っていないため、どこから飛んでくるのかわからない。俺は尽くつつかれてしまう。
「タイム……しんどい」
しばらくつつかれ、降参宣言をすると、美玖はぎゅっと後ろから抱き着いてきた。
「二回目……当たったでしょ」
後ろから囁かれてドキッとしてしまう。やはり認識してしまっていたのか……。俺は最後の抵抗として何も答えなかった。
「潤平くん、ありがとう」
美玖はそこで抱擁を解き、俺と向かい合うように移動した。もう俺は脱力してしまい、美玖に対して何もできなかった。
それが良かったのか悪かったのか。
「でも、私も潤平くんならいいの」
いうが早いか、美玖は俺と唇を重ねた。驚きのあまり目を開くが、驚きはそこで終わらなかった―――
「ちょ……まっ……」
一体が二人へ分離した時、片方は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、もう片方は自分が行くことをためらった領域に行ったことに若干の幸福を得ながらも、急すぎてぐったりとしていたという。
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