鞍馬の暗殺者
Karasumaru
第1話 渡月橋にて
2003年7月7日の深夜 -- 嵐山。昼間は観光客で賑わう渡月橋も夜が更けると、たまに車が通る程度で人通りはまったくと言っていいほどない。
月が橋の上を動く様子を見た亀山天皇が、「月が橋を渡っているようだ」と述べたことから、この雅な名前が付けられたという。
桂川を渡すこの橋の上を、京福電鉄(通称「嵐電」)の嵐電嵐山駅、京都を代表する名刹の一つに数えられる天龍寺、そして、数々の食事処や土産店が並ぶ北の方角から、若い男女が慌てた様子で駆けてきた。
女は何かを両腕で大事そうに抱えている。
女が抱えていたのは生後数か月しか経過していないであろう、赤ん坊であった。
男女が渡月橋を半分程度渡ったとき、漆黒の闇を一線の光が突き破った。
突如、男女の目の前に美しい白馬に乗った山伏姿の壮年の男が姿を現したのだ。山伏姿の男は背に弓と矢筒を背負っていた。
男女は金縛りにあったように動くことができなくなった。
「父上。。。」
女が馬上の男に向かって呟いた。
女が父と呼んだ男は、少しだけ表情を緩めると、
「絹よ。子供を連れて戻って来ぬか。手遅れになる前に」
と優しく語りかけた。
「いいえ。父上。私は隆二さん、そして、天と3人で生きる覚悟を決めたのです」
絹は父を懇願するような眼差しで見つめるた。そして、子供を左腕で抱え、右手で隆二と呼ばれた若い男の左手をきつく握った。
「お義父様。どうか、私たちを見逃してください」
隆二は深く頭を下げた。
女の父は頭を垂れた男を馬の上から見下ろすと、小さく溜息をついた。そして、
「それなら仕方ない」
と呟くと、背中の弓を取り、矢筒から1本の矢を抜いた。そして、男の額に向けて構えた。
隆二との距離は5メートル程度しか離れていない。
「お前を殺して、力づくで絹と天を奪うまでだ。恨むなら悪魔に心を売った己を恨め」
そう言うと、馬上の男は弓を引き、無常にも矢を放った。
そのとき、絹が子供を男を押し付け、そのまま隆二と呼ばれた男と山伏姿の馬上の男の間に立った。
矢を放った男が声を上げる。
「絹!」
矢は絹と呼ばれた女の胸を貫通し、隆二と呼ばれた男の右肩に刺さった。
絹は両膝をつき、崩れるように倒れた。
隆二と呼ばれた男は、悲痛な叫び声を上げると、絹の下に駆け寄った。
おびただしい量の血液が絹の服を濡らしている。
「絹、しっかりしろ!」
隆二の瞼から大粒の涙が絹の頬に滴り落ちた。
絹は消え入りそうな声で、
「隆二さん。どうか、天を。。。」
と言ったところで息絶えた。
「絹!!」
隆二の叫び声が静寂な嵐山の地に空しく響く。
絹の父は、狼狽えた表情で、骸となった娘を見ることしかできなかった。
「そ、そんな。。。き、絹よ。なぜ、こんな男のために」
隆二は涙をぬぐうこともせず、馬上で呆然とする絹の父を見上げた。そして、立ち上がると、腕に抱えていた我が子を無言で馬上の男に授けた。
「お義父様。どうか、天のことを宜しくお願いします。私のような半端者ではなく、立派な後継者に育ててください」
「隆二。。。」
隆二と呼ばれた男は、左手で右肩に突き刺さった矢を事もなげに引き抜くと、絹の亡骸を両腕で抱き上げた。
隆二は絹を抱きかかえたまま、欄干の方へと歩いていく。
欄干のそばに来ると、軽々と欄干に飛び乗り、馬に乗った絹の父を見た。
「私のことも、そして、今日のことも、どうか天には伝えないでください」
隆二は馬上の男に向けて一礼すると、静かな音を立てて流れる川の方を向いた。
隆二の瞳から一筋の涙が溢れ落ち、桂川へと消えていった。
そして、目を閉じると、ふわりと飛び降りた。
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