第82話 ロ=ロルは一人、ムヌーグを睨みつけた
ムヌーグが世界樹の根を蹴ると、彼我の間合いをあっという間に詰め、キリガミネの首を猛禽の爪のような指で鷲掴みにした。
「むぐっ」
一瞬にして命を奪われる距離に詰められたキリガミネは、それでも貼り付けたふてぶてしい笑顔を剥がすことなく、彼の体を持ち上げる銀髪の女狼を見下ろした。
「そんなことをしても無意味だと、賢い貴女は分かっているでしょう?」
わざわざ「賢い」にアクセントをつけるあたり、キリガミネがどれだけ亜人を愚かしく思っているかが分かる。
「ほら、周りの人間たちが怯えていますよ」
「知ったことか」
「あなたのその行動が、今後この町周辺における亜人の地位を怪しくさせてもですか?」
単純な推測だったが、それだけにキリガミネの言葉には否定しにくい響きがあった。
「はッ、今この場にどれだけの亜人がいるって言うんだ」
もっとも、それはその場に亜人が残っていれば、の話だ。
今やこの周辺に亜人の姿はほとんどない。今まで人間を蔑ろにしてきた亜人の町は世界樹の生長によって消滅し、人間ばかりが助けられ、その他の亜人はほとんどが町そのものと共に世界樹に飲み込まれてしまった。
キリガミネが「我々の勝ち」と言ったのは、そういう意味だった。
人間解放同盟が何か勝負を仕掛けた訳ではない。しかし今この場の結果として、町は消滅し、人間は亜人から解放され、人間を支配していた亜人のほとんどは、世界樹が生長するための栄養になった。
いなくなった亜人の心配などする必要もない。
ムヌーグの返事には、そういった自嘲に近い響きがあった。
ギリ、と人間の首を鷲掴みするムヌーグの指に力が入る。
「そうはしても、あなたたち亜人は、私たち人間を殺せない」
「ああ、知っているよ」
窒息し、顔が赤くなっていくキリガミネの首から手を離す。キリガミネはその場に崩れ落ち、喉をさすりながら咳き込んだ。
「お前と一緒にいたオーインクたちはどうした?……いや、お前のことだ、言わなくても察しはつく」
ロ=ロルたちは、町の中心でモルーギと一戦交えていたはずだ。モルーギの足止めが成功していようが失敗していようが、世界樹の生長に巻き込まれないはずがない。老爺の最後の抵抗が、ニコとムヌーグの前途を阻む障害を減らしてくれたというのなら、ムヌーグには感謝してもしきれない思いだった。
「ええ、彼らには大変悪いことをしてしまいました」
片膝をついて座るキリガミネは、沈痛な面持ちである。
「はッ、思ってもないことを」
「いえいえ、私は本当に悲しい気持ちでいっぱいなのですよ。せっかくオーインクの方々と同盟を組んで、これから亜人と人間との対等な関係を築けるかと思ったのに、こんな結果になってしまうなど……」
「白々しい」
「ねえ、ロ=ロルさん?」
キリガミネの仕草にわざとらしくない行動など一つとしてない。しかし、その声かけだけは事実であると、ムヌーグには瞬時に理解できた。
片膝をついて喉の痛みに呻くこの慇懃な男が振り向いた先、同じようにそちらを見れば、そこには確かに巨躯のオーインクが一人、ぽつねんと立ってムヌーグを睨みつけていた。
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