第71話 ニコは、穴に杖の先端を差し込んだ

「いえ、その……」

 もじもじと言い淀む姿は、動揺や遠慮、あるいは委縮によるものなのか、それとも別の何かなのか、ニコには判別が出来なかった。

 その代わりに、杖持つ手を握りしめるニコの隣でその様子を察したムヌーグは、少年の意図を汲み取るようにエミの様子を余さず観察する。

 狼の亜人は、嘘が見抜ける。

 それは冗談ではあったが、大きく間違っている訳でもない。優れた聴覚や嗅覚が対象の心音や発汗を察知して、そこに不審なものを見出すのである。怪しい者は臭いで分かる。

「不思議な部屋、の壁の模様がこういうものだったんです」

「……ふうん?」

 木目や無意味そうに見える模様でも、良く見ればそこにはパターンなり不自然な羅列なりを発見できる。

 エミはそれを不思議の部屋に入ったときに発見していた、と説明する。ニコはムヌーグにそっと目配せをするが、銀髪の女狼の判定でもシロ、嘘はついていないようだった。

「よくこれが模様だって分かったね」

 優れた聴覚や嗅覚がそこに微細な差異を見つけたとしても、その意味を理解していなければ臭いや音に意味は見いだせない。それと同じように、特定のパターン、不自然な羅列もまた、そこに意味を理解しようとしなければ、模様として認識できようはずもない。

 エミは、そういう意味で特殊だった。あるいはニコに言わせれば、変な所に目がいく少女ということになる。

「はい……」

 曖昧に返事するだけで、エミはそれ以上何も言わなかった。

 わずかにムヌーグが顔をしかめる。

「どうしたのですか?」

 顔色を察したメリヤスが問うも、ムヌーグは頭を横にふるだけで答えない。今この場を混乱させても良いことがない、というのが彼女の認識だった。

「さあニコ、その穴に杖を差し込むのか」

「もちろん」

 ムヌーグに促され、ニコは杖の先端をエミの発見した底の浅い小さな穴に差し込んだ。

 フッ、と。

 真っ白だった壁面から、光が消える。

 地面にあるために、光が水溜まりのように漏れることもなく、一滴残らず杖の先端に光は吸い込まれていき、それまで眩しさに目を眩ませていた人間二人と亜人二人は、今度は真っ暗闇に視界を奪われる。

「うわっ」

 メリヤスが眩暈を覚えてその場に尻もちをついてしまう。凹状の穴を見つけたエミは膝をついていたし、ニコも杖を地面の穴に差し込むために膝を広げて正座をしていた。

 真っ暗闇の中で強かに尻をうったメリヤスは、その人間二人の間にある杖のもう片方の先端、そこに飾られた赤い宝石がギラリと光っているのを見た。

 真紅に輝く心臓が、脈動するように輝いている。

 ピン、と短く甲高い音が聞こえる。

「当たりだよ」

 ニコが言うと、杖を差し込んだ穴が、一瞬で大きく開いた。

「きゃっ」

 膝をついて座っていた足元、地面が急になくなれば、あとは落下するしかない。意識がその場に残されたままに身体だけが落ちていくような、恐ろしく、頼りない感覚。

「おっ、落ちる!」

「ニコッ!」

「大丈夫!」

 瞬時に壁面に手をかけて落下を防ごうとしたムヌーグだったが、地面の消失はあまりに一瞬で間に合わず、また爪をかけようとした壁面は、真っ暗闇のなかに見つけ出せなかった。

 あたふたする亜人二人と、落ちるに任せた人間の少女。ただ一人、ニコだけがその一瞬の世界で冷静であった。

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