第17話 ニコはパネルに右目を近付けた

 この町における人間の扱いは、酷い場合は轡を首輪をつけて連れ出すほどである。

 とは言え、厳重な拘束はその者への脅威を少しでも軽減したいという希望の表れでもあり、そのさじ加減は亜人側のプライドとトレードオフだ。

 人間の手を引くムヌーグの姿を、シーピープは片眉を上げて見ただけだった。彼女の実力を知ってか知らずか、首輪もつけずに連れまわす銀髪の女性についてそのシーピープがどう思ったのか。それは無表情の奥に隠れて見えない。

「しかしいずれにせよ、俺ら亜人はここへ人間を連れてこなければならん」

 無表情のシーピープによって案内された扉を開け、三人はその奥へと進み続ける。

 細く狭い道は螺旋に下り、あるいは入り組んで、ところどころに扉がついている。迷うことがないのは、その扉のどれにも入ることがなく、ただ一本道をずっと突き進んでいるだけだからだ。

「どうして?」

「そうしなければ、俺らは飢えて死んじまうからだ」

 飢える。食事をとれないということなのだろうか、とニコは首を傾げた。ミルク粥も血のソーセージも旨かった。あれはモルーギ翁が作ったのではなかったのだろうか。

「おう、ここだ」

 モルーギが立ち止まって一つの扉の前に立った。

 狭い道に現れたその扉は、人間一人が屈んで通れるほどの小さなものだった。扉の上には緑色のランプが点灯しており、戸の隣には長方形のパネルがついている。

 モルーギ翁はそのパネルを慣れた手つきで操作すると、ニコの方へふり向いた。

「ニコ」

 呼ばれる。

 ニコがムヌーグの方を見る。ムヌーグが行けと促す。それでようやくムヌーグの手から解き放たれ、モルーギの隣に立つことになった。

「ルールだからな、悪いな」

 モルーギはニコの襟首を人差し指にかけた。彼我の実力差による余裕と言うよりは、むしろニコに対する遠慮だった。

「逆にやりにくいんだけど……」

 思わず文句を言うニコに、モルーギは口の端を片方吊り上げた。

「それで、僕は何をしたらいいの?」

「そこのパネルがあるだろう?俺が操作した、そう、そのパネルだ。そのパネルに自分の目を近付けろ。片方だけで構わん」

「どっちでもいいの?」

「どっちでも構わん」

 何の変哲もない鈍色のパネルである。

 それに目を近付けたからと言って何になるのだろうか。ニコの疑問は尽きないが、当の亜人二人はいたって真面目な顔である。

 パネルに向かって右目を近付ける。どのくらい近付ければよいのか分からず、おっかなびっくり少しずつ近づいていくと、パネルから何かを弾いたような高い音がした。

「うわっ」

 思わずのけぞるニコを襟首を引っ張るようにささえるモルーギ。初めからこうなることが分かっていたかのようだったが、そのためにニコの体重の大半が首にかかってしまう。

 息苦しさが始まる寸前にモルーギがもう片方でその身体を支えた。

「心配するな。お前に危害は及ばん」

 モルーギの言う通り、ニコの目には何も起こっていない。パネルから高い音が発せられると、隣の戸が自動的に開いただけだった。

「この扉はな、人間の目がないと開かないんだよ」

「それを早く言ってよ」

 ちゃんと説明してくれれば驚くことも怖がることもなかったのに、とブツブツ言うニコに、狼の亜人たちは目を見合わせて微笑んだ。

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