いつかのあした

平川 瑠利

第2話  祐一郎

 11時半。講義が少し早く終わり、教室内の多くの学生が喋っているぐだぐだした空気を切るように祐一郎は席を立った。午後の講義は15時からだから、電車でいったん家に戻っても十分時間がある。12時を過ぎるといつもの定食屋は混みだすので行くなら今だ。そこまで空腹ではないが、今夜はレンタルビデオ屋のバイトが遅番だから昼のうちに食べておかないと後で絶対腹が減る。阪急電車は17時を過ぎるとかなり混むので、午後の講義が終わったら電車にはできるだけ早く乗り込みたかった。そう頭の中で計算しながら早足で駅に向かっていると、後ろから雑に呼び止められた。聴こえ方からすると30メートルくらい離れた距離から知ってる女の声がした。

「祐ちん!」

振り向くと大学正門を飛び出してくる香織の姿があった。同じ学年の香織は健康そうな長いストレートヘアを振りかざしてすぐに祐一郎のところまで辿り着いた。

「講義早く終わってよかったね!もう帰っちゃうの?」

「午後14時半からなんだ、一旦帰るだけ。また戻ってくる。」

「お昼食べにいこうよ、それともなんか用事?」

めんどくさいな、と祐一郎は心で思う。香織はスタイルもよく美人だが、気さくで男女ともに友達が多く話しやすい相手ではある。ただ、一日中飲んでもいないのにやけにテンションの高い音量と大口を開けて大声で笑うところが祐一郎にとって苦手とするところだった。

「なんで。俺らふたりだけ?由美たちは?」

「由美らまだ講義じゃんか。しかも午後イチも講義だから学食で済ますって。私もうお腹すいちゃって。あ、ちなみに私もう今日講義ないからずっとヒマってわけ。ま、由美と卓也終わったら合流してどっかいくかな。それまで付き合ってよ。」

 祐一郎は普段、この香織と由美、そして由美の彼氏の卓也と主に行動を共にしている。といっても祐一郎はグループの中でもめっきり単独行動が多い。だからいつも決まって1人か、4人である。香織に関しては他にも山ほど友達が居るのだから、別に祐一郎が付き合う必要がないのでは、と思ったところでそれを察したのか、

「ごめん、祐ちんにちょっと話。」と少し照れた感じで奥のある瞳を向けてきた。珍しい。

結局2人は少し歩いて駅とは反対方向の裏路にあるカフェに入った。見た目は洒落ているが、ここのハンバーガーランチは結構ボリュームがあって男の学生にも人気があった。そして祐一郎は香織のセットのハンバーガーの半分も食べることになるだろう。ハンバーガーセット2つが到着して、暫く真剣に食べることに集中した。その後は最近の由美と卓也の喧嘩の理由をことさら馬鹿にして喋り倒し、校内の誰と誰が怪しいとか、どこどこの教授と奥さんは不倫問題で最近危ないとか、そうゆう話で盛り上がった。といってもひたすら香織が喋り続ける。

「でどうしたん。話って。」祐一郎が切り出すと、香織は付け合わせのフライドポテトをケチャップにつけて下を向き、もぐもぐやっている。オレンジジュースのストローを少し吸ったところで少し笑いながら口を開いた。

「祐ちん彼女まだ出来てないよね。」

少し笑って祐一郎も返す。「何それどうしたの、居ないよ。」

「いや、何回か合コンしてきたけどそれらしい報告ないからさ。知らないうちに出来てないかなと思って、一応確認。」

香織はよく祐一郎を誘って合コンを企画していた。これまで数を重ねてきても、香織も祐一郎も彼氏彼女と呼べる人は居なかった。香織は美人すぎる上に酒好き、祐一郎は人見知りで無口、おまけに下戸であった。

「出来てないよ。だれか紹介してくれるの。」

祐一郎はそう返すものの、彼女が欲しいなんて実はあまり思っていない。ただ、昔からあまり友達は多い方ではなかった祐一郎にとって、せっかく馴染んだ4人の繋がりは学生生活を送る上で心の隙間を埋める役目を果たしていると実感していた。香織は元気すぎる一面もあるが、似合わない場所と知っていながらいつも祐一郎を誘ってくれる。祐一郎もじょじょにそれに慣れてきていたし、要は不自由はしていなかった。そういえば前回の合コンから暫く経っている。そろそろか。

「私出来そうなんだ。」

「えそうなの。」考えていたことは違う発言に少し戸惑った。

「祐ちんに言っとこうと思って。」

「いつの人?出来そうって、まだ出来てないってこと?」つい質問が続いてしまった。動揺しているわけではない。

「うん。まだそうゆう関係じゃないけどいずれそうなる。だから暫く合コンは行けないからごめんね。」行けないも何も飲み会はすべて香織が企画している。

「あ、でも由美と卓也には言わないで。他の人にも。」

「え、どうして。」

これは意外だった。入学してまる2年が過ぎ、4人のなかではお互いが自然体でいた。特に香織と由美は仲がいいし、ましてや隠し事なんてある方が不自然な関係だった。少なくともそれくらい無邪気な付き合いをしてきたと思っている。

「まあたいした理由じゃないんだけど...」

ハンバーガー1.5個を腹に詰め込むとなかなかの満腹である。不意の話題に意外に入り込んでいて時計を見るのを忘れていた。時刻は14時半になろうとしていた。香織の告白をもう少し詮索したかったが15時の山蔭教授は遅刻するとぐちぐち鬱陶しい。「やばい、次山蔭だから行く。またどんな人かまた教えて、とりあえずおめでとう。」祐一郎は千円札を机に置いて立ち上がるのと同時にリュックを背負った。香織はまた、照れたように右手のひらをちゃっと挙げて声を出さずにありがと、と言って見送った。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る