「これは、いわゆる、異世界転移という奴か。」

　男は自分が置かれている状況を理解できなかった。男は、教室でクラスメイトと英語の授業を受けていたはずだった。それが、いきなり強烈な光にクラス全体が包まれて、気が付いたら謎の黒い空間にいたのだ。床もその周りにそびえたつ柱も漆黒。周りを見渡すと、机やいすはないが、クラスメイト四十人がその場に倒れていた。どうやら、まだ男以外誰も意識が戻っていないようだった。みな、眠っているかのように静かだ。いや、実際気を失っているので間違いではないだろう。

「やっと一人目覚めたか。まったく、これが今回の魔王候補とは泣けてくるな。」

　声のした方角には、クラスメイトではない、謎の女性が立っていた。長い黒髪を背中まで伸ばし、肌が異様に白かった。瞳は真っ赤な血のような紅、唇も同様の紅をした美しい女性だった。黒いドレスを身にまとい、どこか浮世離れした雰囲気を持つ女性の頭には、人間にはないある特徴があった。頭には鬼の角のようなものが二本生えていた。

「しかし、異世界から召喚するのは力を消耗するゆえ、一度したら、百年は使うことができぬ。今回はこのクズたちで我慢するほかない。おい、そこのお前、この中で一番早く目覚めたから、お前に栄誉ある魔王の資格を与えよう。」

　男は何が何だかわからないままだったが、似たような状況をどこかで見たことがある気がした。そして、それが何だったのか思い出す。思い出すと、自分が体験したかのごとく鮮明な記憶として呼び覚まされる。

「どこかで見たことがあると思ったら、「クラスメイト全員が魔王サイドに召喚されました～一番早く目覚めたオレが魔王にえらばれちゃいました～」の冒頭部分だな、これは。」

　思い出すとすっきりしたのか、男は満足そうにうんうんと頷いた。

「これは面白い奴だのう。して、何に納得したのかわからぬが、わらわのために働いてもらうぞ。忌々しい女神のやつに今回こそは勝つのだ。」

　美しい女性は、声も素敵だった。低めのハスキーな声が白い空間に木霊する。少しかすれ気味なところがまた色気を含んでセクシーだった。

「いやです。」

　男は女性の言われたことを即座に否定した。確か、物語の通りに進むならば、自分は魔王として生まれ変わり、勇者に倒される運命が待っているのだ。物語では、勇者と和解することになっていたが、物語通りに現実が進むとは限らない。勇者と魔王が戦ったら、大抵の場合、魔王は勇者に倒されてしまう。すでに死ぬことがわかっているのに、どうして引き受けることができようか。

　男は、このよくわからない現状を現実と受け止めていた。夢にしては、どうにもリアルすぎるのだ。男はクラスメイトと親しくない。それなのに、床には男のクラスメイト三十九人が倒れているのだ。誰一人顔がぼやけることなく、倒れている。目の前の女性にしても、妙に生々しい感じがする。

「人間ごときが反論したところで、何ができる。お前たちはすでにもといた世界には戻れない。わらわのいうことを聞かないという選択肢はないのだ。」

「それでもお断りします。勇者に倒されることがわかっているのに、どうして魔王をやっていられますか。自殺行為でしかないですよ。」

「ううん、ここはどこかしら。確か、私は英語の授業を受けていたはずだったけど。」

「なっ。オレはまだ夢を見ているのか。」

「あ、あそこに俺たち以外の人がいるぞ。」

　男が謎の女性と話している間に、他のクラスメイトが徐々に目覚め始める。口々にここはどこなのか、まだ夢を見ているのかという声でいっぱいとなる。一人のクラスメイトが謎の女性に気付くが、女性は最初に目覚めた男にしか興味がないようだった。

「他の奴らが起き出してきたのう。確か、お前の名は、八王子皇子（はちおうじおうじ）だったな。今回はお前が魔王として、勇者を倒してこい。なぜかわらわの陣営が勝利したことは今まで一度もない。今回も期待してはいない。どうせ負けるだろうが、せいぜい頑張るがよい。そのための能力を魔王のお前にはつけておい……。」

　謎の女性が最後まで言葉を言い終わらぬうちに、女性は徐々に透明になり、消えてしまった。残されたのは、男とそのクラスメイトのみ。

「そうそう、名乗ってはいなかったが、わらわはお前たちの言葉でいう悪魔だということは親切に教えてやろう。ありがたく思え。」

　女性の姿は完全に消えてしまったが、男の脳内に女性の声が響き渡る。

　数分後、男とクラスメイト達は、悪魔と名乗った女性と同じように、徐々に身体が透明になり、最後には消えてしまった。