黒春宵花 魔星は軌跡を描き、果て無き宙にせいざが瞬く

 夕暮れの空の中、うっすらと雪に覆われた山々が猛スピードで眼下を流れて後方へと消えていった。

 普段は何者にも意識されず、ただそこに存在することさえ忘れ去られた空気。それらが物理的な障壁の如く、吹きつける烈風となって立ちはだかる。

 その障壁を、剣を振るうことなく、ただ意志の力一つで切り裂いて。

 ぼくらは、どこまでも飛ぶ。


 大気の壁以外に、行く手を阻むものは何もない。

 なぜなら、ここは何者にも邪魔できぬ、自由なる『空』だからだ。


 そんな、世界にただ二人きりの空の中で。

 今ここにある存在を確かめるように、抱きついた腕に力が篭もるのを感じた。


「もっと」

「了解、でございます」


 かわす言葉は短い。

 本当は、言葉なんか全く必要ない。

 なぜなら、抱きしめる腕が気持ちを繋げ、今ぼくらは二人で一つだから。


 込めた魔力意志に従い、スピードが上がる。

 強くなった風に、それぞれの髪を宙へと躍らせながら。

 一筋の流星と化して、果て無き空を駆けた。




「腕は鈍ってないようね、安心したわ」

「そりゃどうも。

 かつては毎晩乗り回したんだ、そう簡単にさび付いてもらっちゃ困るってもんでございますよ」


 高速飛行を満喫し、一息。

 今はゆったりとした飛行徐行運転で、ほうきを飛ばす流す

 市街地の上空に差し掛かったようで、真っ暗な闇の中、空には天の星、地には街の明かりがやはり星のように瞬いている。


「それで、今日は何があったの?」

「ん……

 まあ、酷くかっこ悪い話なのですがね」


 朝の悪夢。

 二人でダンジョンへ行き、ボス部屋でみかんさんが勧誘を受け、四人でボス戦。

 さらに、ボス後もイベントの協力者としてみかんさんが勧誘。空き地に戻り、あとは知るとおりだ。


 この空の景色の雄大さがそうさせるのか、他に誰も居ない二人きりの世界だからか。

 多少の逡巡はあれど、己の情けなさをはるまきさんに素直に相談する。


「つまり、相変わらずのトラウマなわけね」

「お恥ずかしい限りでございます」


 はるまきさんは、ある程度ぼくの過去事情を知っている。

 ぼくが何に怯え、何に躊躇うのかを。

 だからこそ、こうして相談もできるし、弱音も吐けるんだろう。


「はあ……本当に仕方ないわね、ライナは」

「面目ない」


 短く謝るぼくの言葉に、数秒考えこむと。


「ライナ、正座」


 はるまきさんは、ブレイブクレストに引き続き、またしても正座を要求してきたのだった。




 ウィザーズ・スカイハイ!はほうきに跨って空を飛ぶ、VRのMOシューティングゲームSTGである。

 プレイヤーは人間の身体をもってほうきに跨り、出現するモンスターや悪の魔法使いと空中で魔法戦闘を行うのだ。

 ゲームの売りは、なんと言っても爽快な空中飛行が出来ることと、多様な魔術戦にある。

 そのため、この二点にスペックとリソースのほとんどが費やされており、人間部分の制御は二の次と言っていい。


「ですから、ほうきの上で正座なんかしたら、バランスを崩してすぐさま落下すると思うのでございます」

「うん、そうね。正座」


 ウィザーズ・スカイハイ!のVRエンジンからその成り立ち、ゲームとしての強みとバランスについて切々と語ったぼく。

 しかしはるまきさんの返答は、無感情な笑顔とともに変わらぬ正座の一言。

 うん、知ってた。はるまきさん、こういう人だって。


「はい……」


 とは言え今は、二人で一本のほうきの上。

 公式の乗り方である『跨る』『横のり』『直立不動』の三種類以外では補正が掛からず、完璧なバランスを保ち続けない限り物理法則に従って落ちる。バランスを保っていても時間制限で落ちる。

 落ちずに正座となると……前を向いて跨り、膝を折って足だけ正座風にすれば、いけるか?


「ライナ、それは跨ると言うの。正座」


 何それ、厳し過ぎるんですけど……


 ちなみに、ほうきから落ちると、空中を自由落下して一定時間後にゲームオーバーとなる。

 まあこの自由落下が癖にならないように転落ENDには時間的制約というデスペナがあるのだが、いずれにせよ落ちるのはよろしくない。


 ほうきの上に横向いて正座する? いや、無理だろそれ。

 例えるなら鉄棒の上に正座して空を飛ぶようなもの……例えが滅茶苦茶すぎるけど、まあそんなもんだ。現実世界でも数秒しか出来そうにないし、体力ゲージもあって人間のバランス感とか簡略化されてるここではもっと難しい。

 相変わらず無表情でじっとこちらを見つめるはるまきさん。正座を見逃すつもりは、全く無さそうだ。

 う、うーん。


「ぼく、なんでこんなことで悩んでるんでしたっけ?」

「正座」

「はい……」




 両膝を曲げて前に突き出し、足を揃えてお尻をかかとにつける。

 腰から上は垂直に、顔は真っ直ぐ前方を向け。

 横のりしたはるまきさんの、風にめくれるスカートとふとももに目を向ける。いや違う、ほうきに腰かけたはるまきさんの顔を見上げる。


「よくできました。偉いわね、ライナ」


 目を細めて笑うはるまきさんが、上体をぐっと屈め、手を伸ばして正座したぼくの頭を撫でた。


 今、ぼくはほうきにぶらさがっている。

 空を飛ぶほうきに両手でぶらさがり、身体だけで正座の姿勢を維持している。

 正座なのに、どこにも座してない。体力はあれど筋肉的疲労感などシステムに実装されていないというのに、なんだか電子の腹筋がぷるぷる震えてしまいそうだ。


 一人でほうきに腰かけたはるまきさんが、同じほうきにぶら下がるぼくを見て、くすくす笑いながら足を組み替える。

 そうすると目の前ですらりとした足が惑わすように揺らされ、動きと吹く風に揺らされたスカートの裾が……!


「ロリコンは犯罪よ、ライナ」

「……は、はい?」

「あなたが犯罪者になるのは困るわ。だからロリコンは駄目よ、ライナ」


 なんだか執拗にロリコンを目の敵にするはるまきさん。

 なんでそんな、いや心当たりはあったりなかったりするけど考えないようにしよう、はるまきさん妙に鋭いし。


「ライナはオタク。すけべだし変態」

「いや、あの。なんか酷い言われようじゃございませんかね?」


 目を細め、わずかな迫力と凄みを滲ませたはるまきさんが微笑む。


「大丈夫よ、あなたがどれだけエロ魔人でも、おっぱい星人でも私は受け入れてあげる。

 でもロリコンは駄目よ」

「言い方ってもんが」

「あら、違う?

 部屋に並べてあるエロゲーのタイトルを読み上げればよろしいかしら? 左の棚からお」

「ちょおおお、なんてこと言うんだ!」

「……ふふ。私は、構わないわよ?

 男の子だもんね」


 ほうきにぶら下がったぼくを見下ろして、とても楽しそうに笑うはるまきさん。

 酷過ぎる……なんだこの絵面。

 正座スタイルでほうきにぶらさがった男を、ほうきの上から見下ろして所有するエロゲーのタイトル朗読とか、どんだけ酷過ぎるんだ。

 もう気力も体力も限界だ、楽になりたい。

 あと、なんで知ってるのかを考えれば必然的にチョリソーを殺るしかない。殺るしかない。


 そろそろ気持ちが逃げてることを読み取ったのか、はるまきさんの笑顔が凄みより柔らかさを感じさせるものへと変わる。

 ほうきにぶら下がる両手をそっと撫でると、優しい声で続けた。


「安心なさい。

 駄目なライナも、エロいライナも、あなただって分かってるわ。

 その程度で幻滅したりしないし、私はけして居なくなったりしない。ずっとそばにいるわ」

「ん……」

「ロリコンは駄目よ?

 でもそれ以外なら、私がきちんと『飴』をあげるから、もっと頼りなさい」


 はるまきさんが、ぐぐっと上体を倒す。

 その大きすぎる胸が潰れ、谷間がぐっと近づき、手が頬に触れ。


「あの、はるまきさん、あの―――!」

「ライナ……」


 はるまきさんも片手でほうきに掴まり、非常に不自然な体勢で無理やり顔を寄せ、その電子の唇が




 ぴゅどゅぅぅぅん。と、滅多に聞かない効果音が夜空に響いた。


 息が掛かる程近いけれど、けして唇が触れない位置で、はるまきさんが不可思議な音にきょとんとした顔をして。

 一瞬視界に映ったその表情が、すぐさま真上へ流れて見えなくなった。


 公式の乗り方以外では補正が掛からず、完璧なバランスを保ち続けない限り物理法則に従って落ちる。

 バランスを保っていても、システム的な制約により一定時間の経過後に、やっぱり落ちる。


 体力ゲージ制限時間が尽きたぼくは、それ以上ほうきに掴まり続けることができなくなり、虚空へ吸い込まれるように落ちていったのでした。




―――ああ、天地を満たす星々よ。

 願わくば、はるまきさんの記憶が一部なくなりますように……棚の中身のタイトルとか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る