2019.07.09 絶望の下には希望が埋まっている

 自由というのが、自ら選んだことに対して全ての責任を負うということならば、僕の今の生活は正にそれで、僕が、学校に行かず、定職に就かず、アルバイトをして生きているのは、僕自身が選んだことなのである。もし、この生活が破綻するようなことがあれば、今のところ、僕は死をもってでしか、その責任を負う事が出来ないのだが、一番恐ろしいのは、死ぬことが出来ずに他人に迷惑をかけることなのだ。僕は知っている。人は簡単に自死することは出来ない。

 三回。今まで僕が、本気で死のうと決意した回数である。断っておくと、死のうと思ったのは、別に僕の環境に問題があったわけでは決してなく、ただ、僕の怠惰と自己嫌悪によるところが全てで、これに関して言えば、自分で自分を苦しめて追い詰められた結果に過ぎない。

 僕は死ぬために、海が見える町まで雨が降りしきる中を傘をささずに歩いたし、ホームセンターで買ったロープを深夜の公園のブランコの支柱にかけたし、学校のトイレの個室でカッターナイフを手首にあてたこともあった。

 けれど、死ねなかった。

 感情が爆発し、涙が溢れて、死までのあと一歩が踏み出せないのだ。絶望感で自殺しようと試みたのに、自分の死を意識した途端、死んでしまったらこの絶望感さえも感じれなくなると思ったら、死ぬことなど出来ないのである。

 だから、僕は死ぬ以外の、責任のとり方というものを見つけなければならないのだ。

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