吹雪【吹雪型駆逐艦 一番艦】

FUBUKI【FUBUKI-class Destroyer 1st】




起工日 大正15年/1926年6月19日

進水日 昭和2年/1927年11月15日

竣工日 昭和3年/1928年8月10日

退役日(沈没)昭和17年/1942年10月11日(サボ島沖海戦)


建造 舞鶴海軍工廠

基準排水量 1,680t

垂線間長 112.00m

全長 10.36m

最大速度 38.0ノット

馬力 50,000馬力

主砲 50口径12.7cm連装砲 3基6門

魚雷 61cm三連装魚雷発射管 3基9門

機銃 7.7mm単装機銃 2基2挺

缶・主機 ロ号艦本式缶 4基

艦本式ギアードタービン 2基2軸




【駆逐艦を主力艦にのし上げた、特型24隻の長女吹雪】


「睦月型」が続々と竣工する一方で、日本は「ワシントン海軍軍縮条約」の影響で戦艦保有率が日:米英=6:10となった差を埋めるべく、巡洋艦以下の増強に躍起になっていました。

「ワシントン海軍軍縮条約」では補助艦艇の保有制限までは言及されていなかったためです。

これにより、日本は後の重巡洋艦となる【巡洋艦 古鷹】を生み出します。

【古鷹】は革新的な巡洋艦でした。

それまで5,500t級に太刀打ちできなかった日本が、いきなり8,000t級の超火力巡洋艦を世に送り出したのです。


しかしそれだけでは飽きたらず、日本はさらに強力な、全く新しい戦力を手に入れようとしていました。

それが誰あろう、「特型駆逐艦」の一番艦である【吹雪】です。

「特型駆逐艦」は、全てにおいて超革命的な駆逐艦でした。


「特型駆逐艦」を簡潔に説明するなら、


1.火力が「睦月型」の5割増し(12.7cm連装砲A型3基搭載)

2.凌波性が格段に向上し、外洋航行能力を獲得⇒立派な水雷戦力に

3.38ノット性能ながら、公試で39ノットを数多く記録


他にも露天艦橋が密閉型になり、波が飛び込んでくる心配がなくなった、また医務室や冷蔵庫も完備されるなど、艦内環境も大幅に改善されました。


「特型駆逐艦」で特に着目されるのが、2の「外洋航行能力」です。

これは、今まで大規模な海戦では巡洋艦以上の艦艇しかいなかったところに、新たに駆逐艦が加わるということに他ならず、戦術の柔軟性が格段に増したことになります。

特に日本は戦艦保有数が制限される以上、いかにして補助艦艇で敵艦隊を撃滅させるかが至上命題でした。

この「特型駆逐艦」はその問題を解決する、非常に大きな存在となります。


「特型駆逐艦」は一番艦【吹雪】から二十四番艦【電】まで建造されましたが、その建造過程において、兵装や構造の改良が大きく二度ありました。

なので、「特型駆逐艦」は多くの場合「特Ⅰ型・吹雪型」、「特Ⅱ型・綾波型」、「特Ⅲ型・暁型」の3つに分類されます。

【吹雪】は「特型駆逐艦」、そして「吹雪型駆逐艦」の一番艦として、「ワシントン海軍軍縮条約」から6年後の昭和3年/1928年に竣工します。




【血気盛んに暴れまわり、太く短い艦生を全う】


【吹雪】は建造時は「第三十五号駆逐艦」とされ、昭和3年/1928年の竣工直前に【吹雪】と改称されます。

しかし【吹雪】含め「特型駆逐艦」の大多数は、昭和9年/1934年の「友鶴事件」、そして【初雪・夕霧】も巻き込まれた昭和10年/1935年「第四艦隊事件」の被害者となります。

補強工事によって「特型駆逐艦」の武器の1つだった高速力は一気に34ノットまで低下してしまいますが、目的であった耐久性と凌波性は向上し、ある程度の成功を見ています。


【吹雪】は太平洋戦争開戦までは、主に中国方面で活動。

第四水雷戦隊、第二水雷戦隊、第二航空戦隊と渡り歩き、精力的に任務をこなしていきました。


昭和11年/1936年に編成された第一一駆逐隊(【吹雪・白雪・初雪】)は、開戦直前の昭和16年/1941年11月に【川内】率いる第三水雷戦隊に所属することとなり、いよいよその真価を発揮することとなります。

誕生から13年と、【吹雪】はすでに旧型艦ではありましたが、しかしかといって能力不足というわけではありません。

むしろ日本の駆逐艦は「友鶴事件・第四艦隊事件」によって低迷の時期があったため、【吹雪】は変わらず立派な戦力でした。


開戦早々、「マレー半島上陸船団護衛、ボルネオ島攻略戦、クチン攻略作戦」等の任務をこなし、昭和17年/1942年1月には護衛中に勃発した「エンドウ沖海戦」にて活躍。

三水戦は【豪駆逐艦 ヴァンパイア】を追い払い、【英駆逐艦 サネット】を撃沈させています。


続いて3月には「バタビア沖海戦」が発生し、ここで【吹雪】は単艦航行中に発見した【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ヒューストン】と【豪パース級軽巡洋艦 パース】を追跡します。

距離2,500mまで接近すると、【吹雪】は両艦へ向けて魚雷を発射、命中はしなかったものの、【吹雪】は敵艦を引きつけることに成功します。

【吹雪】は煙幕を張って逃走し、やがて本隊と合流した【吹雪】は協力して【ヒューストン・パース】を撃沈させています。

しかしこの海戦では誤射が頻発し、【最上】の放った魚雷が日本の輸送船に直撃して沈没させてしまうという被害も発生しています。


その後も「北部スマトラ掃蕩作戦、アンダマン攻略作戦、ベンガル湾機動戦」と立て続けに交戦を繰り返し、戦場を駆け巡りました。

「ミッドウェー海戦」にも参加するのですが、一航戦・二航戦の壊滅によって作戦は中止、【吹雪】は何もすることができませんでした。


しかし、【吹雪】は休む間もなく働きます。

8月には「ガダルカナル島の戦い」において、全く想定されていない運用である鼠輸送にも精を出し、苦しみながらも六往復をして物資の輸送を行いました。

さらには、日本を最後まで苦しめたヘンダーソン飛行場やルンガ泊地へ向けて計3度の砲撃を行うなど、ここでも【吹雪】は引っ張りだこでした。

三水戦は駆逐艦1隻撃沈、1隻大破という戦果もしっかり残しています。


ところが、【吹雪】が太平洋戦争で暴れまわったのは1年足らず。

突如勃発した「サボ島沖海戦」が【吹雪】の最後の戦場となりました。

【青葉】の勘違いにより、敵艦隊へ向けて探照灯を放った結果、両者混乱しながらの砲撃戦が勃発。

早速【青葉】が大破し、それを庇いに入った【古鷹】が集中砲火を浴びる中、【吹雪】は実は敵艦隊に最も近い場所まで接近してしまっていました。

敵艦からたった1,500mの距離にいた【吹雪】は、運の悪いことに敵味方を判別する識別灯を点灯させており、こちらも【古鷹】と同じく四方から砲撃を受けてしまいます。

為す術なく一方的に蹂躙された【吹雪】は、これまでの活躍からは想像できないほどあっさりと沈没。

生存者はたったの8名でした。


【吹雪】は太平洋戦争での活躍こそ短いものでしたが、その誕生そのものが何よりも勝る大殊勲であり、その後の全ての駆逐艦の活躍は彼女が生み出したとも言えるでしょう。

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