ヒーローになりなさい!
@karino_zin
プロローグ――ファースト・ヒーロー――
正部善之助(しょうぶぜんのすけ)は喜びを抑えきれず軽快なスキップを刻んだ。
両手でしっかりと抱え込んだ巨大なビニール袋にはアニメキャラのイラストが毒々しい色合いで描かれている。彼が小柄なせいもあってすっかり視界に被さっていた。
鼻歌に合わせて幼さの濃い童顔が袋の陰から出たり入ったりを繰り返している。
一度も染めたことのない髪は黒々としていて真面目さを証明するように短く切り揃えられていた。はっきりと見開かれた目が喜びに輝き、あどけない笑みを添えた顔には母性をくすぐる少年らしい甘さがある。
背丈といい顔つきといい、善之助はよく中学生に見間違えられた。
酷いときには体つきのいい小学生と思われてお爺さんに飴玉を貰ったことがある。
十六歳になった今でも毎日牛乳を飲んでいるのに反抗的な背は伸びてくれない。
だが肉体に関していえばそこらの同い年よりも逞しく頑丈だった。
毎日のトレーニングが功を奏して贅肉は削げ落ちて筋肉に変わっている。よく注意してみれば制服の胸元が張っているのが分かるだろう。
視線は茜色に染まった空に釘づけで角を曲がった拍子に肩をぶつけられた。足腰の強い善之助はわずかに上体を傾いだだけで踏み止まる。荷物も決して手離さない。
ぶつかったほうの女性は小さく悲鳴を漏らしながら尻餅をついた。
「ああっすいません、大丈夫ですか?」
袋の脇から顔を出して謝りながら手を伸ばしたが女性は半狂乱になって走っていってしまった。恐れ、怯え、歪んだ表情に善之助は凛々しい眉をひそめる。
今度は後ろを気にしながら中学生くらいの男の子が走ってきた。
「ねえ、どうしたの!」
「出た、出たんだよっ、憑喪神(つくもがみ)がっ」
遠ざかる背中に声をかけると反射的に返事が飛んできた。
“憑喪神”。それは世間を、特にこの九十九市を脅かす異形の怪物の総称。
ニュースでこそ知っていたが実物を目の当たりにしたことはない。
ここで普通なら逃げ出すところだが善之助は違った。
怯えるどころか興味津々と目を光らせて走り出す。少年が“来た”方向へ。
彼は胸に抱く“ヒーロー”の様にありたいと願う正義感に満ち溢れた夢見る少年。
人々の平和を脅かす悪あれば、駆けつけずにいられない。
絞り込まれた肢体が軽やかな動きで夕暮れの町を走る。涼しい風が全身を撫でるが、燃え上がる闘志に芯まで熱い。
真っ直ぐ見据えた視線の先に人影が転がり込んできた。
九十九大学付属高校の制服を着た女の子だ。華麗な受身を決めてすっと立ち上がる。
彼女を追うようにして姿を見せたのは巨大な“くまのぬいぐるみ”だった。
身の丈は3メートル近くある。振り上げたもこもこの腕の先には三本の爪。玩具にしては異様にぎらついている。獲物を刈り取る獣の武器そのものだ。
善之助は一直線に全力全開全速で走る。突然の闖入者に少女の気が彼に逸れた。
一辺の躊躇いもなく両手で抱えた宝物を“ぬいぐるみ”に投げつける。
少女に振り下ろされる爪が標的を変えてビニール袋を叩き落した。確かに怪物だったが動きは緩慢で鈍い。善之助は口を半開きにして立ち止まっている少女に飛びついた。
「危ない!」
駆け寄るだけの余裕は稼げていた。少女を押し倒すのと同時に背中で風を感じる。
“ぬいぐるみ”の左腕が通り過ぎた。間一髪を逃れて善之助は安堵の吐息を漏らす。胸の下にある少女の顔を見下ろそうとすると股間を鈍痛が駆け上った。
「邪魔っ」
「おぅ……」
どれだけ鍛えても意味のない弱点というのが人体にはいくつか存在している。
もっとも恐ろしい部分を蹴り上げられた善之助は咄嗟に両手で抑えながら跳び上がった。少女が腕を払い善之助を押し退けてながら反対側に転がる。
二人の間を切り裂いた爪がコンクリートに突き刺さった。
うずくまった善之助は“ぬいぐるみ”の巨体の後ろに“ヒーロー”の姿を見つける。
青地に赤いラインのボディスーツと翼のようにはためく金色のマント。両目は正体を隠す為に必須のマスクに覆われていた。その姿は世界的なヒーローに酷似している。
怪物とヒーロー。この組み合わせに善之助は痛みも忘れて興奮した。
しかしよくよく見ようと瞬きをしている間に“ヒーロー”は青年の姿に変わってしまう。
勇んで飛び掛ろうとした“ヒーロー”は自分の姿に気づいて蒼ざめた。敵意を感じたのか振り返った“ぬいぐるみ”と顔を合わせるなり情けない声をあげて逃走する。
「ああもう間違ってストップしちゃったじゃないっ。あなたが邪魔するからよ!」
近づいてきた少女が突き出した手になぜかストップウォッチが握られていた。
なるほど表示されている時間は停止している。それが今重要なことなのか、善之助はちっとも理解できずに首を捻った。
獲物を逃がした“ぬいぐるみ”が向き直り、もこもこの毛に包まれた丸い足の底が無慈悲にも善之助の宝物を踏みつける。外箱がひしゃげて潰れるまでがスローで見えた。
「あああああっ!!」
「うるさい。さわぐなっ」
失意に飲まれそうな心を少女の声が叱り飛ばす。善之助は歯を食いしばり涙を拭った。
悲しむのは後でいい。今はこの少女を守るのが“ヒーロー”の使命。
固い決意を込めて拳を握り締めた。右手を前に出して半身を左に下げる。
我流とはいえ格闘技には心得があった。でかいだけの“ぬいぐるみ”に引けは取らない。善之助は悦に浸っていて判断力を失っていた。
「さあここは僕に任せて逃げてください」
「生身で憑喪神の相手が出来るわけないでしょ」
振り返りもせずに気障ったらしく言ったものの後頭部を強かに叩かれた。
さらに横から伸びた手に胸倉を掴まれてぐっと引き寄せられる。
間近で見る少女の顔は綺麗だった。自分の内側を覗き込んでくる切れ長の目は鋭く雄々しい。輪郭に沿った丸みを帯びたショートヘアは明るい茶色に染め抜かれていてシャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。女子と肌を触れ合うのはいつ振りだろうか。
途端に目の前の顔を直視できなくなって顔を逸らす。照れと恥ずかしさに頬が赤らんだ。
「あなた、名前は?」
「へ? あっあの、ええと、僕」
折れるのではないかというくらい首を捻ってみたが少女の指に捕まって前を向かされた。
案外力が強くて無理やり視線を絡ませられる。熱さが交じり合って汗が噴出す。
「いいから早く! 邪魔した責任取りなさいっ」
「しょ、正部、正部善之助、十六歳です! 九十九第二高――」
余分な自己紹介には興味がないらしく不意に投げられた。小柄だが軽くはない善之助を少女は力任せではなく、流れに乗せて綺麗に放った。彼も彼で分けも分からないまま受身を取って衝撃をいなす。少女の眉が少しばかり興味深げに上がった。
眼前に差し出された獲物を“ぬいぐるみ”が標的と定める。
足元から見上げるとボタンの目が片方欠けた顔は迫力があり、あちこち破れて綿が食み出したボディは不気味だ。ようやく遅れて恐怖が湧いてくる
「善之助、下僕(ヒーロー)になりなさい」
凛とした声が背中を叩く。はっとなって善之助は少女を見た。
彼女、勝瀬耶依(かつせやより)がストップウォッチのスタートボタンを押し込む。
瞬間。善之助の体が、心が、眩い閃光に包まれ、そして“変身”した――。
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