第9話
いつからそこにいたのだろうか。
その少年の姿を認めた奈緒に緊張が走る。
だが直後、相手が眼を見張り驚いた様子を見せたことに、思わず何事かと眼を眇めた。
胡乱げな視線を向けた奈緒に気付いた少年が慌てて表情を引き締め取り繕うが、今更でしかない。
漸く初めてまともに奈緒の顔を見た少年が、その類稀なる美しさに驚いた故の反応だったのだが、美少女だという自覚が皆無である奈緒がそんなことに気付くわけがない。
少年は奈緒に怪訝そうな眼を向けられたままという不審者扱い同然の状態に居心地の悪さを感じながら、気を取り直すように深く息を吐き出すと、二メートル程先にあった奈緒のスクールバッグが置かれた地点まで歩き、それを手に取り持ち上げた。
「なっ…、何を……!?」
それに当然のことながら奈緒は慌て声を上げかけるが、少年が埃を払うようにスクールバッグの底を軽く叩き、真っ直ぐに近寄って来る様子から、持ち主である奈緒に手渡そうとしてくれていることに気付くと、急いで彼に駆け寄った。
「ありがとう、ございます……」
無言で差し出された自分のスクールバッグを受け取りながらぎこちなくお礼を口にするが、それで警戒心が消えたわけではない。
自分の顔を見て驚いていたことも気になるが、それより、少年の様子を不自然に感じ、警戒せずにはいられなかったのだ。
(――状況から考えて、少しはあの化け物のことも見ているはず。その割には落ち着きすぎている……)
大抵の場合、あれを見て平静でいられるとは思えない。
あの化け物を見ただけでもそうだし、それを正体不明な力で倒した奈緒に対してもそうだろう。
奈緒のことですら化け物呼ばわりし、怯えたり逃げ出したとしても仕方のないことだと思える。
だが、「刀か?」と呟いた彼の声は、その割に随分と落ち着いていた。
そして怯えて逃げ出すどころか、逆に平然として近寄ってきたのだ。
それを不自然に思い警戒するのは当然のことだろう。
そしてその少年の方は、どうしたらよいのかと戸惑っている様子が窺え、会話のないまま二人の間に気不味い空気が流れる。
だがそれも僅かなことで、意を決したように顔を上げ真剣な眼差しを向けてきた少年に、奈緒も背筋を伸ばし凛とした眼差しで彼を見返した。
「驚かせてすみません。俺は、小早川翔、高校一年です」
「……佐倉奈緒、同じく高校一年です」
警戒し気を張り詰めていたところに、ごく普通に話しかけられ自己紹介されたことに少し拍子抜けしながら、奈緒も同様に名を名乗り、学年を伝える。
それを聞いた翔がどこかホッとしたように軽く息を吐き、僅かに表情を緩めた。
「ってことは、同い年ってことだよな。…だったら、敬語じゃなくてもいいか?」
「…構わないわ」
取り敢えずそう返すが、これは一体どういう状況だと思わずにはいられない。
翔の言葉から、奈緒と話そうとしているのだろうということはわかる。
見たところ翔から敵意は感じられない。
だが、やはり警戒心を拭うことは出来ない。
一連の流れを考えれば、彼の態度も行動も、どう考えても不自然だ。
「そうだな、何から話したらいいんだろうな…」
翔が視線を逸らし、困ったように呟く。
だがすぐに奈緒に視線を戻すと、僅かに緊張した面持ちで言葉を続けた。
「取り敢えず、俺は君の敵じゃない。それどころか、ある意味俺達は同類、仲間かもしれない」
「同類?仲間…?」
どういう意味だと視線で問うと、翔がより真剣な眼差しを向けてきた。
そして告げられた次の言葉に、奈緒は息を呑むこととなった。
「俺も、さっきの化け物みたいな奴に遭遇し襲われたことがある。そして、君と同じような力で倒した、それも二度」
「――そういうこと……。だから、あまり驚くこともなくあたしに話しかけてきたのね。普通なら、あたしだって化け物扱いされて怯えられてもおかしくない状況だもの……」
不思議と何の疑いもなく、すんなりと翔の言葉を信じることが出来た。
それまで抱いていた警戒心が、驚くほどあっさりと薄らいでいく。
既に彼自身があの化け物と遭遇し倒したことがあるのであれば、不自然に思えた彼の態度も行動も説明がつくし納得することも出来る。
寧ろそうでなければおかしいとさえ思える。
それに、翔が嘘をついているようには見えないし、そんな嘘をついたところで、それで何か得することがあるとも思えなかった。
「まあ、あれを見て平然としていられる奴の方が不気味だよな。…って、よく考えたら、俺も怪しまれてもおかしくないことやってるのか…」
自分の行動を省みた翔が、警戒されても仕方ないと顔を顰める。
あからさまに翔を警戒していた奈緒は苦笑するしかない。
流石に失礼だったなと、申し訳なく思う。
「――まあでも、貴方もあの化け物に遭遇していた可能性に全く気付いてなかった自分に呆れるわ。ちょっと考えれば、わかりそうなことなのに……」
「…どう考えても、冷静に考えられるような状態じゃないだろ?気付かないのは当然だと思う」
翔はそうフォローするが、やはり自分を情けなく思う。
仮に冷静だったとしても、それに気付けたかどうかは疑問ではある。
だがそれでも、全く気付けなかったことを不甲斐なく思う気持ちを拭い去ることは出来なかった。
「だから、そんな気にすることないって。…まあそれより、さっきの化け物のことだけど、俺も正直わからないことだらけだ。化け物を倒した力のこともな」
「それは、そうよね……」
奈緒を気遣いながらも話を化け物のことに戻し表情を引き締めた翔に、奈緒も何とか気持ちを切り替え改めて先程の一件について考えを巡らせる。
確かに彼の言う通り、現状ではわからないことばかりだ。
「ああ。あいつらが一体何なのか、何故俺達が襲われたのか、そしてあいつらを倒すことが出来た力を、何故俺達が使えるのか、この力は何なのか」
「それらを解明するにはどうすればいいのかも不明だしね。何をどう調べたらいいのかさっぱり見当も付かないわ…」
極めて困難な状況だということを思い知らされたようで、二人揃って困り果て顔を顰める。
手探りどころか取っ掛かりさえないのだから、途方に暮れるのも仕方のないことだった。
「それに、俺達以外にも同じ力を持っている奴がいるかもしれない。ここ以外に、もう一つあの化け物の気配を感じたんだ。感覚的に、東北とか北海道だと思うけど…。今は消えているから、俺達と同じ力を持っている奴が倒した可能性があるんじゃないかと思う」
思いもよらぬ翔の言葉に、奈緒は驚き眼を見開く。
だが、落ち着いて考えてみれば、それは可能性として有り得ることだと思えた。
この正体不明な力を使える者が、自分達だけだとは限らない。
ただ、それを使えるのが何故自分達であるのかがわからないだけなのだ。
「まあ、可能性があるだけで、現状確かめようがないけどな…」
「そうね…」
深く溜息を吐き肩を落とす翔に、奈緒も釣られて溜息を吐く。
訳がわからないことばかりで頭が痛くなる。
「一応化け物のことはネットでも検索してみたけど、当然の如く何も出てこなかった。良ければだけど、何かわかれば些細な事でも情報を共有したい。だから、初対面の奴にこんなこと言われるのは嫌だろうけど、連絡先交換させてもらってもいいか?」
「勿論構わないわ。あたしも、その方が助かる」
本来、初対面の相手と気安く連絡先を交換することはしない方だが、状況が状況なだけに躊躇うことなくスマートフォンを取り出すと、お互いの連絡先を交換する。
そして、あまり遅くなるといけないからと、後程改めて、電話かメールで翔があの化け物と遭遇した時のことを教えてもらうことを約束した。
「ええっと、因みにさ、ここって何処かな?」
「…えっ?」
そろそろお互い帰ろうかというところで、気不味そうな顔で突然そんなことを言い出した翔に、奈緒がきょとんとした顔で首を傾げる。
言葉に詰まり少し眼を泳がせた後、翔は気難しそうな顔で言い難そうに口を開いた。
「あの、ここって、都道府県でいうと、何処かな?」
「…福岡県だけど」
「…ああ、やっぱりそうだよなあ…!」
訝しげな眼を向けながらの奈緒の言葉に、翔が頭を抱える。
既に翔自身調べてわかっていたことではあるが、正直なところ現実逃避したい事実でしかなく、それを奈緒からはっきりと断言されたことで、打ちのめされた気がしたのだ。
「……どうしたの?」
翔の意味不明としか言えない言動に、奈緒は戸惑い窺うような視線を向ける。
その視線に気付いた翔が、一瞬口籠ると、観念したように口を開いた。
「あのさ、俺、島根県に住んでるんだよね…」
「…うん?」
「それで、少し前まで、島根県内にある自宅近くにいたんだけどさ…」
「……はあっ!?」
全く思いもよらない、しかも常識では有り得ない言葉に奈緒が素っ頓狂な声を上げる。
それに対し、翔は困り果てた表情で肩を竦めるのだった。
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