時の彼方(修正前)

水沢樹理

第1話

 三月三十日午後十一時五十分、少年は、静かにその時を待っていた。

 日付が変わる瞬間に、再び幕を開けるその時を。

 悲愴とも言える、揺るぎない確固たる決意をその胸に宿して―――。



 彼がそれと遭遇したのは、高校の入学式を数日後に控えた四月五日の夕方のことだった。

 同じ高校に進学する、中学時代からの付き合いである恋人とのデート後、いつものように彼女を家まで送り、のんびりと歩きながら自宅へと帰る途中、それは突然現れた。

 何処から現れたのか、気付けば十メートル程先に居たそれは、どう見ても異様でしかなかった。

 化け物――、咄嗟にその言葉が脳裏に浮かぶ。逃げなければ、と思うのに、恐怖で脚が凍り付いたように動かない。

 それはゆっくりと身体ごと彼に向き直ると、明確な敵意を持って凄まじいスピードで襲い掛かってきた。

 彼は、悲鳴を上げることも逃げることも出来ず、恐怖に怯えたまま、反射的に両腕で顔を覆い、ぎゅっと眼を瞑ったのだった――。



 心地よい風が吹き抜けるよく晴れた昼下がり、街中を行き交う人々の騒めきが一際大きくなった。

 その中心にいるのは、滅多に出会えないレベルの美しい一人の少女だ。

 彼女にとって注目を集めるのはいつものことだからか全く気にも留めておらず、その視線の意味には恐らく気付いていない。

 正確には、注目を集めることが当たり前になり過ぎて、注目を集めていること自体気付いていないと言った方がいいのかもしれないが。

 スポーツ専門店の自動扉が反応しない程度に入口から離れ、スマートフォンの画面を眺めている少女の美しさに、溜息を洩らす者、只々見惚れる者とそれぞれ反応は様々だが、中には当然の如く欲望に忠実な邪な視線を送る者も複数いる。

 大抵は、美しすぎる少女に気後れしてそれだけで終わるのだが、この時は下卑た笑みを浮かべたまま近付こうとする者がいた。

 だが少女がその視線の不快さに気付く前に、彼女の右肩にポン、と軽く触れる手があった。

「悪い、待たせた」

 少女の肩に手を置いたまま、すまなそうな顔でそう言う爽やかな雰囲気の少年は、少女に負けず劣らず美しい顔立ちをしている。

 その二人の姿に、少女に近付こうとしていた男は舌打ちして離れて行き、その男同様、邪な視線を送っていた者達は落胆し肩を落とした。

 その一方で少女に見惚れていた者達は、二人を恋人同士だと思い込み、お似合いだの、目の保養だなどと呟いている。

「別にそんなに待ってないよ」

 そんな周囲の状況に全く気付いていないその少女、佐倉奈緒さくらなおは、隣に立つ幼馴染みの涼川弘樹すずかわひろきを一瞥すると、時間を確認する為に手にしていたスマートフォンをバッグに仕舞おうと視線を落とした。

 その隙に弘樹が、周囲に警戒するような、威嚇するような視線を向けているが、当然それにも気付いていない。

「買物はこれで終わり?」

「ああ」

「それにしても、入学式前日に何をやっているのかしらね……」

 駅に向かって歩きながら奈緒が呆れた眼を向けると、弘樹は気まずそうに視線を逸らした。

「俺だって、急にペンケースが壊れると思わなかったんだよ……」

「だからって、なんであたしまで……。それもわざわざ電車で天神までなんて」

「いいじゃん、折角だからついでにいろいろ買いたかったしさ。約束どおり、パフェでもケーキでも奢るから!」

 昼食が終わってすぐ、ペンケースが壊れたから買物に付き合えと連れ出され、そんなに時間が掛かっていないとはいえ、あちこち連れ回されたのだ。

 恨めしそうな視線を向けるも、誤魔化すように笑う弘樹に、奈緒は深く溜息を吐き、いつものことかと無理矢理自分を納得させた。

 だが、弘樹から視線を逸らした瞬間、視界の端に飛び込んできた黒い影に、思わず顔を強張らせてしまう。

「どうした?」

 奈緒の異変に敏感に気付き、心配そうに顔を覗き込んでくる弘樹に、奈緒は気の所為だと思うことにし、何でもないと笑って首を振ったのだった――。

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