記憶違い

亜中洋

記憶違い

 子供の頃の夢を見た。

 オレ、向田康一は地元の公立中学に通う中学3年生で、大人しく着席して授業を受けていた。

 その夢は特別な出来事は何もなく、ゆったりとした時間が流れていた。

 社会科教師の声は夢の中にも関わらず眠気を誘発させ、視界がぼやけてくると、現実のオレが目を覚ました。


 現実のオレ、向田康一20歳はのっそりと起き上がってアパートの自室をぼんやりと眺めた。

 春休みに出席した同窓会で中学の頃の記憶が刺激されたのだろうか……などと考えながら、おれは二度寝を決め込んだ。今日の講義は3限からのはずだ。


 布団にくるまりながら、さっきの夢の反芻をする。 

 何の面白みもない授業の一幕で、実際に受けていた内容かも定かではない。

 ただ、前の席に同じ部活の友人である里見、左隣に当時淡い恋心を抱いていた女子生徒の山寺が座っていたところはちゃんと再現されていた。

 自分の席は窓側から4列目の一番後ろで、居心地のいい座席だった。


 淡い幸福感にくるまりながらの二度寝は至上の贅沢だったが、午後1時に目が覚めたときには、幸福感などすっとんでいってしまった。


「最初の講義を欠席するのはマズい………」

 そんなことを口走りながら、オレはアスファルトを彩る桜の花びらを、風圧で巻き上げながら自転車を漕ぎ、N大学に急いだ。



 その日を境に、オレは中学時代の夢をよく見るようになる。


 初めのうちは「掃除の前に机と椅子を教室の後ろに下げる」だとか「部活の練習の始めに5分間走る」とか、なんてことはないシーンが再生されるだけだった。

 何回かすると、思い出深いことも夢に見るようになってきた。昼休みに体育館でバスケをやろうとクラスの男子7、8人で2チームを作って試合をするのだが、他のクラスも同じことをしていて、1つのコートで3試合同時に行われるカオス感は久しく味わっていないことで、こんなにも楽しいと思えることは久しぶりだった。


 現実のオレは就職活動も本格化してきて、心がそういうものを求めていたのかもしれない。


 その後も、ふざけ合ったり、冬場にストーブの前で固まったり、自分のいままでの人生で最も楽しかった時間の追体験を楽しんでいた…………のだが、教室内を観察してみると、当時は気が付かなかったことに気が付いた。


 なんとなく仲が良さそうに見えていた女子生徒にも“上辺の付き合い”があるんだなぁ……とか。

 アイツの家は金持ちなんだろな、コイツはそうじゃないんだろな……とか。


 まぁ、オレの夢だから当時からなんとなく察してはいたけど、気が付かないフリをしていただけかもしれない。

 だから……夢の中では積極的に交流の無かったクラスメイトと話してみることにした。

 自己満足でしかないんだけど。

 でも夢の中とはいえ、アイツに話しかけたらこーゆー返しをしてくるだろうなってのが忠実に再現されていて、かなり面白いんだ。“忠実に再現されている”って夢に思い込まされているだけかも。



 夢の中のオレは21年分の経験値を持った15歳だ。

 夢の中でオレはクラスの中心人物になっていた。

 まさに夢だ。


 好きだったけど、何の接点もないまま卒業を迎えたクラスメイトの山寺ともよく話した。

 夏にはオレ、山寺、友人の里見、山寺の友人の藤崎…の4人でWデートみたいなこともした。

 流石にこの夢から覚めたときには、失われた青春を取り戻そうとするオッサンのキモさに自己嫌悪することになった。



 そんなキモいオレだが、夢に慰められながらなんとか就活を乗り切った。

 北関東を中心にチェーン展開するスーパーマーケットに就職を決めたオレは、N大学を無事に卒業し、埼玉に引っ越すことになった。

 4年間住んだアパートともお別れだ。


 引っ越しのための荷造りをしていると、本の隙間に挟まっていた便箋が、ぽとりと足元に落下した。

 見覚えのない、ファンシーな便箋だ。

 二つ折りのそれを開いてみると、女性らしい丸文字で文章が書かれている。

 最初に目に入るのは「康一君へ」という宛名書き。

 差出人は「山寺南」とある。


 オレの頭がおかしくなったかと思った。


 本文を読むと、オレと山寺は中3の冬から交際を始めたが、別々の高校に進学して自然消滅したことになっていて、恋人でなくなってもずっと友人でいよう、という内容が書かれている。


 もう一度宛名を確認したが、やはり「康一」とある。

 夢ならばともかく、現実では山寺とは何度か会話をしたことが有るくらいで、特に接点は無い。

 それに、山寺とは2年前の同窓会で会ったが、そこでも特に特別な反応は無かった。


 記憶を確かめようと、スマートフォンを手に取り、当時のグループチャットの履歴を探す。画面をスクロールし、2年前の記録まで遡ると、同窓会のグループの上に山寺との個人のやり取りの記録が出現した。


 オレ、向田の心臓は拍動のペースを急激に上げている。

 ありえない。いや、待ってくれ。酒に酔って記憶が無いだけかも。


 とにかく、このログを見てみよう。



「おつかれ~」23:34

             23:40「おつかれ」

「会うのは随分久しぶりだったねぇ

 何年ぶり?          」23:41

  23:42「高校1年の夏以来だから4年半かな」

「もうそんなに経つのかぁ

 なんか 

 だいぶ大人らしくなってたねw」23:44

    「そっちはあんまり変わってなさそう

 23:44 だった             」

          ・

          ・

          ・


 頭がクラクラしてきた。

 何度見ても、オレのアカウントが山寺の顔写真のアイコンと会話している。

 会話の内容もちゃんとかみ合っている……いや、まだドッキリという可能性も……オレが目を離した隙に誰かがこのチャットと手紙を仕込んだのかも……誰が?


 ダメだ。疲れている。脳が考えることを嫌がっている。

 今日はもう寝よう。いい夢でも見て気分を落ち着けよう…………夢?

 最近の夢の中じゃあ確かに山寺と親しくなってはいるが、それはオレの願望が現れているだけで…………いやそんなまさか。


 夢で見る中学が現実の出来事だなんてそんなことあるハズが……。


 もともとの記憶が偽物でこっちが本当の記憶?

 過去が改変?

 オレの記憶はいつから連続している?ちゃんと矛盾無く繋がるか?

 ……ダメだ、この世界が5分前に作られたことを誰も否定できないように、オレの記憶が本当のことだと証明できない……。


 オレは睡眠導入剤代わりの花粉症薬をいつもの2倍量飲んで眠りについた。


 眠りに落ちると、夢の中で目を覚ました。

 日付は9月1日、時刻は午前6時。

 15歳の向田は布団から体を起こした。


 そういえば……山寺について印象的な記憶がある。

 中学時代にクラスで起こった唯一と言っていいイジメ事件、その対象が山寺だった。

 その内容は、山寺の机の上に、百合の花が活けられた花瓶が置かれているという単純なもので、その後特にエスカレートすることも無かったのであまり問題にはならなかったのだが……。

 その事件の日は夏休みが終わって最初の登校日だったからよく覚えている。間違いない。


 この夢が実際の記録だか記憶なのだとしたら、事件の犯人がわかるかもしれない。


 朝7時、学校に到着。教室にはまだ誰も来ていない。

 問題の花瓶はいつもと同じく教室後方のロッカーの上に鎮座している。

 犯人を突き止めるために、一旦身を隠そうとしたが……

「あれ康一君、早いね」

 背後から声を掛けられた。

 振り返ると、藤崎だ。山寺の友人の。

「ああ、うん。早起きしすぎてさ」

「そうなんだ。私も。……どうしてたの?山寺の机を見てたけど」

「え!?いや、そんなことないよ」

「嘘、見てたじゃん」

「別にいいだろ」

「うわっ認めるんだ」

「ほっといてくれよ」


 そうしているうちに他のクラスメイトが登校してきた。

 結局、山寺の机に花瓶が置かれるイタズラは起こらなかった。

 ということは犯人は藤崎?過去が変わっているならそもそもイタズラが発生しないことになったのかも。



 現実のオレが目を覚ました。

 ベッドの上で考えを整理してみる。

 藤崎のことはとりあえずよしとして……山寺に直接確認してみるのが良いか?実は過去が改変されてる可能性があって、そのせいでオレと山寺さんが交際していたことになっていて…………ってこれじゃ完全にヤバイ人じゃねーか。

 そうだ、里見だ。里見とは中学の時いつもつるんでたからいろいろ把握してるだろう。

 さっそく電話だ。とるるるるるるる───


「………はい」

「あっ里見?オレオレ、向田だけど」

「あー?なんだよ突然……」

「あのさ、中学ンとき山寺南っていたじゃん」

「うん」

「オレと山寺ってさ、付き合ってたことあるっけ?」

「は?なんかたくらんでんのか?」

「いやいや、マジメな話で……」

「知らねーよ、んなこと」ガチャ


 切れた。電話が。

 これは……どうなんだ?

 やっぱり本人に直接聞くしかない!

 本人って?

 山寺だよ!



 というわけで向田は山寺に会うため地元に帰ってきた。

 駅前のドトールで待ち合わせ。あっ来た来た。おーい。


「急にどうしたの康一君。なにも買わないよ」

「いや、ネズミ講とか宗教とかじゃなくてさ…………ちょっと聞きたいことというか、聞いて欲しいことがあって……」

「うんうん、話してみて」

「あの……オレの頭がおかしくなってるのかもしれないんだけどさ…」

「うん」

「オレと山寺さんって昔付き合ってたことある?」

「うん」

「“うん”!?」

「え、なんで?」

「ちょっと待って、ちょっと落ち着かせて」


 向田はアイスコーヒーを一息に飲み干して深く息を吸った。


「確認させて欲しいんだけど……オレらが付き合ってたのって、いつの話?」

「えーー?まぁ付き合ってたって言っていいのかビミョーだけど、中学終わりから高校1年の7月頃まで……」

「それは…どういうきっかけで…その…」

「私から告白してスタートしたけど、お互い忙しくてぜんぜん会えないから別れを切り出したのも私」

「あっそうなんだ。……いや実は…信じてもらえるか分からないんだけど……オレの記憶だと違うんだ」

「へぇ~?そっちはどういう記憶なの?」

「中学のときは特に山寺さんとは接点なくて、そのまま卒業してそのまま……」

「……でもこの前の同窓会では普通に喋ってたよ?」

「いやそれが……その記憶もオレには無いんだ…同窓会に行った記憶はあるんだけど、なんか自分の記憶と他人の記憶がズレてて……それでどうしたらいいか分からなくて……」

「あー、ヤバイね。一回落ち着こう。コーヒーもう一杯飲む?」

「飲む」


 30分後

「……つまり中学時代の夢の中で好きに行動してたら現実のほうがその夢の内容に合わせてきた?」

「そうとしか思えないんだ。そんな劇的な変化はないんだけど、電話帳に登録されてる人が増えてたり……オレはそんなに社交的な人間じゃなかったハズなんだよ…」


 ううっ…う……とオレは泣きだしてしまった。情けない。

 この数日、勢いで動いてきたけど精神は相当まいっていたのか。


「うんうん、大丈夫。そのせいでなにか悪いことあった?」

「うぅ……いや…特にはないけど……」

「じゃあ大丈夫。とりあえずほら、糖分でも摂って」


 サーッっとコーヒーに砂糖が投入される。


「それ飲んだら呑みにいこう。塩と油とアルコール入れに行こう。それで大体問題解決」


 オレは山寺に手を引かれて店を出た。

 駅前は藍と紫とオレンジに塗れている。




 5年後。

 朝、目が覚めてベッドから抜け出す。あれから中学の頃の夢は見ていない。

 キッチンからはベーコンが焦げるいい匂いと音が流れてくる。

 山寺と結婚してから2年が経った。


「おはよう」

「おはよう」

「あれ?食パン8枚切りにしたの?」

「え?8枚切りがいいって言わなかった?」

「え~言ってないよ」

「たしか言ってたと思うけどな~」

「南の思い違いじゃ………ああ、もしかしたら言ったかも」


 記憶なんて不確かなものだ。食い違いがあっても正誤を確かめるのは難しい。どちらも“真実”を言っているのだから。


「今日は職場の飲み会があって遅くなるから、夜はテキトーに食べといて」

「わかった」

「じゃあ行ってきます」


 バタンと玄関で音がして山寺は出かけていった。

 オレもそろそろ出ないと。

 ワイシャツに袖を通しながら思う。問題なんて問題と思うから問題なのだ。現状を受け入れて幸せに生きればいいじゃないかと。




 その夜、山寺南は夢を見た。中学時代の夢だ。

 中学のいつ頃の夢なのかはすぐに分かった。

 斜め前の席に当時ひそかに思いを寄せていた里見君が座っていたから…………。


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